わたしの両親は秋田県から東京にでてきて事業を営んでいました。

実家は農家、親戚たちの多くも農家で貧しかった。

 

上京して建築関係の仕事に出会います。

最初の頃は自分が稼ぐために始めたけれど

これは稼げると感じ仕事を大きくしていきました。

 

その当時は建築業が急成長していた黄金時代。

どんどん仕事を増やしていき会社を経営するまでになって。

 

田舎の親戚たちが仕事をしてお金を稼げるようにと

宿舎を建てて呼び寄せて。

まかないさんも縁故ある方の出稼ぎでした。

両親はその人たちの家族が問題なく暮らしていけるように。

そう願っていました。

 

父はいつも早起きで、働いているみんなが起きる前に宿舎へ行き

毎日休まず現場に送り出していました。

事故がないように…

怪我がないように…

病気がないように…

いつもいつも体のことまで気遣って。

命を預かっているという感覚で休日も様子をみに行き

気を抜ける日がなかったようです。

 

 

事業をしていると、必ず厳しい状況というのがあって。

当然仕事がないときもある。

そんな時、働いてる人たちが実家のお庭の草むしりをしに

きていることがよくありました。

幼い頃はそれがどういうことかわってなかったけど。。

 

働きにきている人たちを休ませると、お給料が渡せない。

その人も、その家族も苦しい。

だから、形だけ働いてもらってお給料を払っていた。

そうやって家にきた時は、近所のお蕎麦屋さんの出前をとって

みんなにカツ丼を食べさせてあげていたな。

余計にお金がでていくことなのに。。。

 

 

資金繰りが苦しいときは、

銀行から借り入れるということももちろんしていたけれど

いますぐお金が必要なときは、質屋でお金を融通することもしばしば。

事業が潰れるかもしれないという危機感とはいつも隣り合わせで

苦しい状況を何度も超えてきた。

 

 

秋田にいる家族のためにと上京し一生懸命働いていた人たち。

雇う側の両親も、働いてる人たちも、

みんな誰かを想って一生懸命だった。

その先にもまた他の誰かがいることを当たり前に知っていた。

 

わたしはそういう姿をみて育ち

幼いながらに人と関わることを当たり前に感じてきたように思います。

 

 

この厳しい社会の中で、

誰かを想い頑張っている人たちはたくさんいる。

それは今のこの時代だって変わらない。

 

 

 

 

今滞在している東京青山を歩いていると

「 コロナの影響によりしばらく休業します 」

という張り紙があったりして

閉まっているお店が目に飛び込んでくる。

 

この辺りは家賃も高いだろうに… 一ヶ月だけでもすごい金額になる。

それがいつ終わるかわからない状態。

家賃が払えなくなったら…ということが脳裏をよぎる。

そこに携っている人たちのことを考えると胸が苦しくなる。

 

 

他にもこの社会に適応できない方々や動けない方々

OL時代に身を置いていた旅行(観光)業界の方々…

医療現場の方々…

中小企業や個人事業主の方々…

ここに書ききれない様々な方のことが頭に浮かんでくる。

 

そして、今たくさんの方々の人生を身近に感じていて

手に取るように…厳しい状態を理解できる。

 

 

 

これまでも大変な状況というのはあったと思うけれど

今、これまで感じたことのない厳しい現実が押し寄せてきている。

だって一握りの人のことだけじゃない。

世界中・日本中が混沌としていて連鎖していくのだから。

 

多くの方が、出口がみつからない…

八方塞がりな閉塞感の中にいるのではないかと思います。

 

 

 

 

先の見えない不安。

みんながどこを向いて良いかも

何を信じればいいかもわからなくて…

きっと何もみえなくなっている。

 

 

ついていけない人はどんどん切り捨てられて

時代の流れだからと簡単な言葉で処理されてしまう。

なぜだか、その流れに乗った人は優秀で、

乗れない人は価値がないように言われていることが悲しい。

 

そんなところに、自己責任…なんて言葉を正しいように使っていることに

気がついていないことが苦しい。

 

 

ひとりひとりに人生があるということが置き去りになっている気がして。

 

 

 

お金だけが安心の源となり、

誰かの人生に起こった成功の法則を求めていく。

 

そこにあるのは…

相手の人生を感じようとしない希薄な繋がりのように感じます。

 

 

 

何よりも、想いの上に立っている人たちが

この厳しい現実に押し潰されてしまうのではないかと思うと

心配でたまらない。

 

誰かを想って純粋に頑張っている人たちがいる。

 

 

そのことを

わたしは意識から外したくない。

 

 

 

 

あなたが本当の人生というものを知ること。

 

そして本当のあなたを知ることができたならば

あなたは影響を受けることなく人生を歩むことができる。

 

これは、理想ではない。

 

 

そんな人生を私はたくさん見てきたし

私自身がずっとその中にいる。

 

 

きっと、多くの人は、

相手のことを思っていると影響を受けてしまうシーンしか見ていないのだと思うけど

それは、人生の流れが見えていないときの話。

 

あなたは、自分の本当の人生の流れと

経済の流れと・・・

 

どちらを知った方が、しあわせになれると思いますか?

 

 

 

 

影響を受けない人生が

想いの先にある広がりが

どれほどまでに繋がりが深く温かいものかを感じることができれば

あなたにきっと希望が蘇る。

 

 

私には、あなたの厳しい現実を変えることもできないし

こんなことを書いても何も届かないことはわかっていても

どうしても書かずにはいられなくて。

 

 

 

本当に大変な人たちはこのブログを見ている人にはいないだろうけれど…

 

 

安心・安定の先に幸せがあるんじゃない。

どんな環境であろうと、今幸せを感じることができます。

 

 

 

自分らしく生きることも…人生も…

諦めることしかできなかった人たちが

幸せに人生を歩んでいく姿をたくさんみてきたから。

 

 

 

『 人生を信じる 』

 

 

 

それは、良い結果を待つことではありません。

それを作ることでもありません。

 

 

そんなことをまた書いてみようかと思う。

 

 

Setsuko

setsuko.nrt@gmail.com

 

 

 

ちなみに、こういう経験を書くと

優しい両親に育てられ、その優しいところを見て育ったから

こんなことを感じられるんだね。

 

なんてコメントをいただいてしまいそう…。

 

父親は、酔っぱらうとクダを巻き

母親は殴られたりしていました。

 

兄弟も、なかなか偏屈な人たちで正直大変な思いをしました。

 

でも、自分が受けた被害や良い家族かどうか…なんてことよりも

私は、その人を感じたかった。

 

だから、私は、家族のことよりも従業員を大切に思って

家族のことを振り向かない父を人として尊敬していました。

 

 

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