両親は地方から東京にでてきて事業を営んでいました。

実家は農家、親戚たちの多くも農家で貧しかったそうです。

 

父は母と結婚をし東京で建設に携わる仕事につきました。

最初の頃は自分が稼ぐためだったけれど、

これはお金になると思い仕事を大きくしていきました。

 

田舎の親戚たちが仕事をしてお金を稼げるようにと

宿舎を建てて呼び寄せて。

まかないさんも縁故ある人の出稼ぎの方でした。

 

父はいつも早起きで、働いているみんなが起きる前に宿舎へ行き

毎日休まず現場に送り出していました。

命を預かっているという感覚で休日も気を抜ける日がなかったようです。

 

今考えれば、出稼ぎにきている人たちの多くは

社会一般的に言うと、だらしないと思われるような人たちばかり。

お酒を飲み、タバコを吸い、パチンコや競馬などのギャンブルをし、

もらったお給料がすぐなくなってしまう。

お金がないからと毎月前借りをしていたり…。

父が前借りの手帳をいつも持ち歩いていたのを覚えています。

 

 

 

 

でもそれは家族のためと出稼ぎにきて、言われたことを一生懸命にやって、

楽しいことにお金を使ってしまっていただけ。

そもそもお金というものがどういうものか、どうして必要なのか、

それをあまりわかっていなかっただけなのだと思います。

家族の生活のためのお金…以外お金の意味がわからない。

 

幼少期のわたしからみえる姿は、

いつも笑っていて遊んでくれる優しいおじさんたちだったし、

わたしが社会にでてから感じたことは、

その人たちは、損得勘定がなくとてもピュアな人たちだということでした。

 

事務的なことはすべて母がまわしていたのですが、

働いている人たち1人1人の生活や、田舎のご家族のことまで考えていて

この人はお金を使ってしまう人ただからとか

この人の家族が将来的にお金が必要だからとか

それぞれの理由で、父が勝手にお金を天引きして積立をしたりしていました。

 

実際に病気で働けなくなった人に

本人に渡すと使ってしまうだろうからと

田舎の奥様に貯金通帳を渡してあげたということもありました。

 

いまはそんなこと勝手にできない時代だけど。

 

 

いつも仕事優先、働く親族たちが優先で、子供たちのことは二の次だったけど

わたしは人に関わることを当たり前のように感じていました。

それを幼少期に感じられて、とても恵まれていたと思います。

 

忙しくてお誕生日のお祝いもしてもらうこともなかったけど

その姿を観るだけで充分でした。

 

 

 

そのことがあったからか…

わたし自身、誰かの何かをサポートすることに自然とフォーカスしてきました。

( わたしの本質だからこそ、そこにフォーカスしていたんだと今はわかります。同じように育っても兄弟がすべてそういう想いになるわけではありませんから。)

 

お金のこともそのひとつとして。

 

お金があれば多くのことを手に入れられる。

お金があったら幸せに近づけるのではないか?

そう思って、困っている人にお金を貸したこともあるし、

お金の運用のお手伝いすらしました。

 

けれども、どの人も反応が全く違ってた。

いくらお金があっても不安な人もいたし、

感謝されることもあったけど、わたしからみて何も変わっていない、

むしろ逆効果だったように思う人もいて。

もちろん、いい方向に向かったように見える人もいました。

 

そもそも成功している人たちがみんな幸せかというとそうではないということは

どこかで知っているのに、その答えを探し続けていた過去。

 

 

 

 

本質的な叡智のバトン 〉で出逢ったこんな方がいます。

裕福に生まれ育ったにも関わらず、生きている実感を持てなかった方。

何不自由ない恵まれた環境で、誰もが羨ましいと思う家庭に育ちながら、まったく自分を感じられていなくて。

彼女は、世の中で良いとされる条件を揃っている人ほど、人と人との繋がりや、

生きている実感を感じられていないのではないかと今はっきりと言います。

 

自分の本質に気づくことで幸せを手に入れた彼女だからこそ言える言葉でしょう。

 

昔も今も環境はまったくかわっていないけど、今は幸せのフィーリングの中にいる1人です。

( Yuka Nakabeさんのブログ:https://ameblo.jp/synchro-serendipity/ )

 

 

 

 

今こうして全国を巡り、たくさんの人生に出逢ってみると

お金が人生ではないし、仕事も人生ではないし、好きなことをすることも人生ではない、

ということがはっきりとみえてきました。

 

そういうものとは違うところに人生は流れていて

全てのことは『 それぞれの本質のためにある 』のだと知りました。

 

これを、文章では伝えられないのがもどかしいですが。

 

 

これまで想いだと感じていたものとは、まったく違うといっていいほど

もっともっと暖かく豊かな広がりがある”想い”にたどり着いて。

 

思いやりとは違う、全員がまったくちがう本質だからこそ感じられる”想い”

それを感じれば感じるほどに、みんなが素敵だなぁとしか思えなくなりました

 

 

 

 

わたしもそらさんに出逢うまで、

本当の”想い”というものを感じることはできなかった。

 

OL時代だろうと多くの方に関わらせていただいたけれど

わたしの本当の想いではなかった…と今わかります。

 

”想い”の中にいるということがこれほどまでに豊かで幸せなことなのか

ということを日々感じていて

常に常に幸せのフィーリングの中にいるようになったからこそ

見える世界があります。

きっと言葉では何も伝わらないのでしょうけれど…

 

 

わたしの全国を巡る生活はもう3年目。

出雲の一軒家の自宅を維持し、車も所有し、全国を巡る交通費、宿泊代、

バトンの参加費ももちろん自腹。

収入もなく貯めたお金を使い果たす勢いです。

 

信じられないかもしれませんが、

不安も一切なく幸せにこの生活を続けています

 

 

これは、無くなったら働けばいいというような開き直りでも

何でもできるという働ける自信でもありません。

 

私らしい本当の人生の流れを感じていて

日々が、幸せでしかないのです。

 

それが条件が揃っているかどうか… ではなくて。

 

お金とか、パートナーとか、何ができるとか何を得たとか…そんなことではない

私の人生を感じていますから。

 

 

 

 

そんな当たり前のことに

気づいたから…知ってしまったら… 不安は消えてなくなりました。

わたしの幸せは毎瞬自分を感じながら

誰かを想い続けることだから。

 

 

 

わたしだけではありません。

当たり前のことに気づいている人たちは他にもたくさんたくさんいます。

 

そんな人たちはいつもみんな笑っていて。

 

そして、これからもずっと、間違いなくずっと、

幸せでいられます。

 

 

Setsuko

setsuko.nrt@gmail.com

 

 

 

わたしが毎日のように終電だったOL時代を思い起こすと

もしその時に家庭をもっていたなら

家族は会社で何をしているのかわからないだろうし

いつも夜中に疲れて帰ってくる姿ばかりを

目にすることになるんだろうなと想像していました。

 

そういう意味では、

多くの家庭で、子供たちが人と関わりというものを感じられる機会がないのではないでしょうか。接する大人は家族と先生だけで、家族という狭い世界でしか感じることができなくて。

いい学校に入るため、いい会社に入るためにと勉強をしなさいと言われても、働いて疲れきった姿をみていたら、その先に幸せがあるとはきっと思えなくて…

大人もこの社会で生きていくのに精一杯で…

人とどう関わったらいいのかもきっとわかっていなくって…。

 

苦しみながら幸せを探し求め、何かを追い続けているように感じます。

 

わたし自身がそうだったように。

 

仕事のこと。お金のこと。余暇を楽しむこと。パートナーのこと。

様々な人間関係のこと。

 

人との関わりすら全くみえない世界にいるのだろうと思います。

 

それを思うと胸が苦しくなります。

 

 

環境が何も変わらなくても、

こうして幸せに生きている人たちが実際にいるということを知ってもらいたい。

 

人は、幸せに笑って生きているのだということを感じてもらいたい。

 

そんな方々と出逢えますように。

 

幸せに生きるだた1人のわたしとして、何かお伝えできることがあるなら…

そう想いわたしは全国を巡っています。

 

いつかお逢いできる日がくることを願って。

これから出逢うあなたへ。

 

 

兵庫県芦屋市・ヒーリングテラス天弓の雫にて。

 

 

▼ そらさんのブログ(本質的な叡智のバトンについて)

https://ameblo.jp/sora-ni/entry-12372375405.html

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