〈ヒーリングテラス蒼穹の想い〉で、多くの方の人生が変わってゆく姿をみましたがその中で、一ヶ月近く暮らしたお二人の変化を目の当たりにしたことで
私のこれからの関わり方が大きく変わるきっかけをいただきました。
わたしが東京から出雲への引越しを終え全国に旅立ったあと、
家主のいない我が家で生活をしたお二人。
わたしがいてもいなくても相手の人生は変わっていく…
わたしは直接関わりたい人だから
自分が関われないことに寂しさを覚えたけれど…
相手の人生は相手のもので、その人のタイミングで必要なことが訪れていること。
それはたくさんの方の人生に触れさせていただいて感じてきたことです。
彼女たちも〈ヒーリングテラス蒼穹の想い〉での生活の中で
それぞれのタイミングで自分の本質に気づいていきました。
素敵な方々がいたから、わたしが「 想い 」で動けました。
わたしが想いで動いたからこそ、お二人が暮らす場所ができました。
その場所があったからこそ、素敵な方々が想いで関わってくれました。
ともに笑って、それぞれの本質に気がつかせてくれました。
こうして人生が変わっていく姿を感じられてわたしはとてもとても幸せでした。
本来の自分に戻っていく姿をみることは喜びでしかありません。
どのようなカタチでも。
会うことがなかったとしても、わたしと相手の人生は織りなされている。
遠く離れていても、もう二度と会うことがなくても、
その方々の人生を想うことができる幸せ。
関わりというものが、行為とか距離は全く関係がないこと。
関わりではなく、人生を知ったという感覚。
そんなことをわたしに気がつかせてくれた
お二人の感想をご紹介させていただきます。
Setsuko
setsuko.nrt@gmail.com
【 出雲での滞在を終えて 】
私は、本質的に気づきあう場として出雲に新たにできた
「ヒーリングテラス 蒼穹の想い」に
8月下旬から25日間、滞在していました。
そこで開催される「本質的な叡智のバトン」は
9月7日から18日までだったのですが、私は
その前後の何もない期間に、普通の生活を過ごすことによって
何か感じることがあるかもしれないということで、長期滞在を選択しました。
そらさんには最初に向き合っていただいたときから
「環境の問題だ」とは言われ続けていました。
私自身は、その言葉を受け取れず、今まで殻をかぶって生きてきたのですが
やっと、長期滞在型のサロンをオープンされたということで
そらさんにも勧められ、長期滞在することにしたのです。
「環境の問題」といっても、周りの方が良くないということではありません。
私の本質というものが、環境的な条件を並べてから選択をして
新たな条件が加われば、“全てを白紙にする”くらい新たな条件に影響を受けてしまう・・・
そして、自分を見失ってしまうのです。
そんな私が、自分を見失うことなく自分を知るためには
影響をしようとしない方々の中に一度入る必要がある。
それを初めて会ったときから、そらさんは伝え続けてくれていました。
けれど私は・・・
実は私は、出雲に向かうまで、集団生活にとても不安を持っていました。
不安というより恐怖というレベルかもしれません。
必死に避けて通っていたので、何とも表現できないのですが・・・
そんな状態の私は、そらさんの話を受け取ることができず
「グループには入りたくない」という一心でその言葉をスルーしてきたのです。
そらさんは、ある意味 誰とも繋がりを持たないほど
グループを創ろうとしない人だということに気がついていながらも・・・
気がつけば私は、小学生の頃から集団が苦手で、どう振る舞っていいかわからなく
溶け込めない感覚と、会話を盛り上げるような言葉もほぼ出てこないので
皆んなの輪の中にいてもどんどん孤立感が生まれ「やっぱり一人の方が楽・・・」と、
ずっと思ってきました。
一対一では大丈夫だけれど、それでも落ち着かない感じ。
小さな時に経験した排除されることに対する恐怖の意識があるからか、
自ら人と関わることを避けている状態だったように思います。
体も過敏性腸症候群の気配を昔から感じていて、
長時間人といるとお腹の具合が悪くなってしまうことから
人と長時間共にすること、しかも滞在なんて絶対に無理!という決めつけもありました。
事実、無理だと感じたことも多いのですが。
そんな私が、まったく知らない場所で全く知らない方々の中で長期滞在する。
とは言え、出雲の方々は主婦の方が多く
昼間のみ話に来てくれますが夜は独り。
という話を聞き、なら私も、たくさんの人との関わりを頑張れるかもしれない。
大きな決断ではありましたが、
「何とか私も本質を感じたい」その一心で周囲の条件が変わる中
振り回されながらも決めることができました。
いざ、出雲へ行く日も近づいた時
滞在が一人ではなく二人だということを知ることになります。
この、もう一人との出逢いが、私を知るためには必要不可欠であったことを
終わった今、本当に感謝とともに感じています。
今回の出雲での本質的な叡智のバトンには、
全国からたくさんの人たちが集まるということが事前に分かっていました。
「どうなるのだろう・・・」という気持ちで押しつぶされそうになりながら、
なんとか体調だけは保たなければ!!と気を張って挑んだ私でした。
いくら頭をひねっても上手く言葉では説明ができないのですが、
結論から申し上げると、本当に行ってよかったです。
大げさではなく、人生が変わったと実感を持てるような
出雲での暮らしでした。
そもそも人が苦手ではないことに気づいたこと。笑
そらさんに言われたように、影響をしようとしない人たちの中にいると
自分の何かを訂正しなくても、自分で居られるんだ・・・
ということを知ったのです。
「そのままでいいよ」なんて認めてくれたわけではありません。
「みちるはそういう人だもんね」なんてことも一度も言われません。
本当に自分を何一つ訂正する必要がないんです。
自分を自分で認める必要もないんです。
本当のわたしがやりたいと思うことだけをやってしまう感じで
わたしだと思っていたものが、動かないので勝手に消えた感じ??
ほんとうに説明ができないのですが、ただ居るだけです。
何かを上手くなる必要もないし、何かを丁寧にする必要もありません。
もちろん、日常のいろんなことは普通にします。でもそれだけで
人が苦手だった私が=「人が大好きなんだ。本当は人と関わりたくて仕方がなかったのだ」と
いうことを知ることができたのです。
「影響をしようとしない人たちの中にいると」と書きましたが
そんな体験をしてみて思うことは、それは本当に
当たり前すぎるくらい「当たり前な関係」で
そんな当たり前な関係が、本当に世の中には無いんだな・・・ということ。
そらさんが体験させたいと言い続けてくれた関係が、本当に
ここに来なければ体験できないんだな・・・ということ。
何かをしなきゃいけないみたいな行為的な関わりじゃないし、
本当の関わりとはどういうものなのかを、
毎日の何気無い生活の中から深く感じさせてもらい
それは、ただただ想いで関わるだけで良かったのだということの確認の日々でもありました。
きっと25年以上、人が苦手だった私が
25日間で人に関わりたくて仕方ない私を思い出せたのです。
とにかく驚くしかありません。
私の場合、すべてが自己否定につながって
いつも自己嫌悪や罪悪感がつきまとっていた人生。
学校生活で友達が突然離れていった時も…
意味不明な理由で先生に怒鳴られて3年間学校に行けなくなった時も…
相手の要望や好みに沿ってないからと悪口を言われたりしても…
どんな状況でもどんなに理不尽でもそれに気がつかず
常に、自分を責めていました。
毎日が退屈で好きなことをやってみようとか、興味を持ったものに手を出してみたりとか
刺激を求めてみたり、恋愛や仕事、人間関係など・・・
全ての領域で自由奔放にやってみても結局、
手応えなど感じないし、諦めと自己否定からも抜け出せずにいました。
なのに、その嫌われたり怒鳴られたり悪口を言われたことに向き合ってもいないし
相手が悪いんだなんて正当化なんてしなくても、私は今回のバトンで
私の本質的な動きとして、『私には他者否定がない』ということに気がつけた時
「あらら??自分を何とかしようとしなくてよかったんだ・・・
そもそも最初からずーっと・・・私は私のまんまだった^^;」
そう何にも問題視することがないことに気がついたのでした。
もちろんそんなのは知識では知っていたし、
そんなワークなんぞ飽きるくらいやってきたけれど、
それでも拭えなかったほどの自己否定が消え
自己否定の意味が、全くわからなくなった瞬間でした。
否定の無い関係の中で
世の中の全員の本質が驚くほどバラバラだということを知りました。
相手のことなんて分かりようがないことを知りました。
好き嫌いすら本質の違いからきていることも知りました。
相手の動きも視点も、全く自分の範疇を超えていて、
予想なんて到底できないということをこの滞在でリアルに体感しました。
それを経験してやっと
「あぁ、、自分を否定するなんてホントに意味がない。っていうか、
もはや否定の意味すらわからない(笑)」と、
どうやら今までのような感覚にフォーカスができなくなったみたいなのです^^;
いつも自己嫌悪や罪悪感がつきまとっていた人生には
もう、間違いなく戻れません^^
それは、違いを知ったはず…なのに
違いを知ったことで、その人の本質を愛おしく感じるようになった…
そんな感じなのです。
ほんとうに不思議です。
違うことを、自分を守ることに使うのではなくて
違うことを、その人を知るために使うのです。
自分や相手を訂正しようにも、
本質が選んでいる動きはどうしようもなく、変えようがありません。
そこをジャッジせず、
グループ化するわけでもなく、
ひとりも排除せずに
いられる社会になったら…
さぞかしこの世は平和だろうなぁと心から想えます。
人に関わらなかった私が…。
ちなみに、私が頑張って保とうとしていたお腹の調子も、
なんとかしようとしている時はずっと調子が悪く・・・
あまりにも長引くので途中で諦めて「なんとかしようとするの、もうやーめた!」と
意識から外した途端、どんどん回復に向かうという謎の出来事が起きまして(笑)
意識の領域はとてつもなく深く、面白いものだ・・・と興味深々な今の私です。
出雲から帰ってきても、相変わらず抜けまくりの私だし
みんなの輪の中でも特に会話がないまま眺めている私だろうし
相変わらず結婚願望もなけりゃ、何をやっても手応えなんて感じられない私だろうけれど(笑)
ただ『他者と暮らすのも悪くないな』と思えたことは、思わぬギフトです^^
出雲で長期滞在していなかったら絶対に感じられない、
変えようとせず『想いで関わる』ということ
その深い温かさと安心感を「蒼穹の想い」という場で体感させてもらったことは
私の大きな財産となりました。
ここで出逢った多くの方やこれから出逢う方も含めて
今後も、私なりに人と関わり、想い続けていけると感じられることが
こんなにも豊かなことなんだとは気がつきもしませんでした。
そんな、幸せなフィーリングと共に。
必要な方々に届くことを願って
綴らせてもらいました。
おじま みちる
そして、自宅に帰って一週間
やっぱり今も、周囲に言われたことを次々に基準にして
決めたことが変わっていくような日々を送っているけれど
一つ大きく違うのは、そんな私を素直に笑えること^^です。
これは変えようがなく… これからもみんなのことを想い続けちゃうんだろうな…と
温かくなれることです。
想うこと=振り回されること
それが、私の場合… セットだから^^

私は今、出雲に40日間の長期滞在中です。
出雲に生まれた新しいスペースでの『本質的な叡智のバトン』も終わり、
10月1日までの、私のロングステイもそろそろ終わりに差し掛かっています。
残すところ、あと4日の出雲滞在。
本当に色々なことがあったようで、何も特別なことなど無かった日常
色々な気付きがありましたが、何も変わっていない感覚。
でも、私が生きてきた数十年分の成長を一日で経験しているようでもありました。
もう、何十年も経ったような…感覚だけど、一瞬の変化のよう。
もちろん頭では一ヶ月程度とわかってはいるのですが。。。
*
今私が感じていることは
私が長年、海外から訪れた講師の方の通訳としてまた参加者として関わってきた
セラピーやスピリチュアルなことの
どの言葉にも、どの状態にも、全く当てはまりません。
高揚感、喜び・叫び、飛び上がるような驚き、浮遊間…
そんな感覚とは全く違うし、
シフトといえば『シフト』ですが
かといって『悟り』と言われるようなものとも全く違う。
自己覚知や探求的なものでも全くありません。
『探していた自分が見つかった!』そんな感覚ともまた違うのです。
もちろん『新たな自分の発見』でもありません。
『オリジナルな私』という言葉もしっくりきません。
けれども、絶対的な感じ。それほどまでに大きな気づきによって
当たり前の自分になり、
当たり前の人生を、
当たり前に生きられるようになった実感。
それが何よりも今、幸せなのです。
*
こんな支離滅裂な感じで、今までに味わったことのない感覚。
こんな表現をしたら
どのような暮らしで、どのようなコミュニケーションで
どのようなワークをしたのか
どのようなことを教えてもらったんだろう
なんて、思われるかもしれません。
でも、出雲の方々が平日の昼間だけ話に来てくれて
スーパーに行ったり、掃除をしたり、水やりをしたり…そんな一人暮らし。
そんな日常に、
富山から同じように本当の自分自身を感じるために訪れた人が
一週間後からは寝泊まりをするようになり… 二人暮らしが始まり
10日後くらいからは、12日間もの長期開催された本質的な叡智のバトンで
沖縄から北海道までの方が
わんさか訪れて、ともに時間を過ごしました。
そして、みんなが帰りまた、10日ほど一人の暮らし。
でもそこには、何のルールも決められたこともありません。
ただ、出雲の方々や同居人の
私とは全く違う人生を感じようとしただけでした。
*
このように書くと、「違う場所で知らない人たちと暮らしたら
価値観はずれるし変化が起きるよね」と
そんな軽い感じに理解されてしまうかもしれませんが
もちろん、そのような変化でもありません。
全くそういうことではなくて、自分自身が見えてくるのです。
そして、相手の生活や価値観を感じるということではなく
全く違う本質の動きが人生を創り上げていることを知ろうとするのです。
ですから共通点をもし見つけたとしても、
その共通に見えるところが全く違う理由であることを知るのです。
その先に、相手の人生そのものを知る感じ。
こう書くと、難しいように聞こえるかもですが、まったくそうではなく・・・
ほんとうに言葉では表現できないのですが・・・
私も、バトンで本質について深めていなければ共通項を見つけては安心して
違う価値観を見つけては驚き、価値観を外していたことでしょう。
そんなレベルではないのです。
当たり前に、本質の違いを知っていくのです。
これは、普通の社会の中(家族や友達やどんなコミュニティーや場所、どんな手法や療法が用いられているところや人との間であったとしても)では経験し得ないこと。
そう言い切れます。
これは、長年のセラピーやスピリチュアルに関わる人生で
今までどんな場所でも、どんなワークや様々な自分との向き合い方をしても、
決して得られなかった感覚で、
それは私が、生きている内に感じることを諦め掛けていたものでした。
退行催眠療法・ヒプノセラピーや過去世などのリーディングや
アカシックレコード・・・ブリージング(呼吸法)や瞑想法
様々なものを駆使してもわからないであろう私そのもの《本質》を
リアルに体験してしまったような時間だったのです。
でも、何のワークもしていません。
人が人を当たり前に想う。ただそれだけ。
その中にいるだけで感じられたものです。
こうして長々と書いても、信じられないでしょうけれど…
命、、、というものに向き合うこと。
自分という本質が、それをどのように感じるのか。
命についての話もしていないのに
私の本質が根源的なものに反応する。
そんな深い気づきの時が
この普通の暮らし・当たり前な時間の中にあるとは思いもしませんでした。
これを、そらさんは毎瞬感じ後押ししている。
それを肌で感じる瞬間でした。
*
こう書いても… ただ『当たり前の自分』に気が付いただけで、
ビックリするくらいに見た目は何も変わっていません。。。
でも、それと同時に私のフィーリングは
全く別人のように変わりました。
違う世界に人生があることに気がついたような感じです。
今までも、一時的な大きな変化は体験済みですが
そのどれとも違います。
そして、もっと穏やかです。
大きいという表現でも強い何かでもなくて全く別のものです。
そして、間違いなく、
また元の状態に戻るようなことはあり得ないと言い切れるほどの
変化です。
短期間だというのに。
*
《本質的な叡智のバトン》を全国で開催している “そらさん”が、
過去様々なワークをしていたにも関わらずその全てを捨てて
どうして今、こういう場で向き合い続けているのか・・・
その訳を、私自身が体験することになるとは
全く思ってもみませんでした。
なんども言いますが、みんな普通の人たちです。
子育て中のお母さんだったり、ごく普通の主婦の方々だったり
料亭の女将さんだったり、ナースだったり・・・
中には、小さな時から人生に絶望して自傷行為を続けていて
そらさんと出逢って結婚しておなかに赤ちゃんがいる妊婦さんだったり
ごくごく普通の方々です。
様々なワークに参加したり通訳をしたりしている時には
出会うことのないような、ほんとうに普通の人たち。
何かの勉強も探求とかもしていません。
同居人としてご縁が出来た “みちるちゃん”も、ほんとうに
裁縫が得意なごくごく普通なおとなしい印象の人。
人間関係が苦手で、これから仕事をどうしようかな…とはじめは悩んでいました。
そんな方々に囲まれて、ごくごく普通な日常を送る。
なのに毎日毎時間、大きな変化が起こり続ける。
今までに関わった人と違うところと言えば、
そらさんの言葉を使うなら、
ほんとうにシンプルで、想いの上に立っている人。
そらさんのバトンに参加して、“自分の想い” というものに気がついているひと。
みんなの本質が全く違うことを知っていて、“否定の全くない人”
違うのは当たり前なんだから…と、“違っていても相手のことを想える人たち”
損得勘定が全くなく、否定が全くない。
その人達それぞれの“一方通行な想い”だけで成り立っていて、
そんな関係性の中でこそ感じることが出来る様々なこと。
そんな、想いのある人達が集まり創り上げている場所だからこそ、
経験出来るリアルなこと。
ここに来る前の私は、
ただ『今まで、一人暮らしもしたこともないし、出雲でのバトンを受けがてら、
社会勉強と自立の為になればいいなぁ』くらいの軽い気持ちでした。
(私としては、それだけでも重い決断でした)
でも、私が手に入れられたものは
全ては、本当の意味での『想いの上』にあれば
本当の気づき、変わることのない気づきは訪れて
人生は動くんだっていうこと。
本当の関係を感じたら
過去の関係の問題は、向き合わなくても消えるんだ…ていうこと。
そんな『当たり前』のこと。
『当たり前』に常に相手を想い
『当たり前』の普通の生活をし
『当たり前』に織り成し合っているお互いを感じながら
『当たり前』に目の前の現実を見て
『当たり前』の自分や相手に触れて
本当の意味で『当たり前』のことに気がつくこと。
『本当に相手を想う』こと。『想われること』 それを肌で感じて
『想いはいつだって一方通行』だということを知っていること。
『否定』や『損得』が全くない関係性が当たり前で
『生きる実感』というそんな当たり前なことに気がついていくこと。
『本当の人生の流れ』『計算では人生が流れていないことを知ること(奇跡)』
人と人が『互いに織り成し合っているからこそ見えてくること』
そんな当たり前なこと。
『それぞれが全く違う本質』であるということ。
『本質は何にも全く影響されない』ということ。
『お互いに影響することはない』ということ。
それでも“想い合うことしかやることはない”という『当たり前』なこと。
言葉では言い表せませんが、その全てを私は
生まれて初めて
この出雲の『ヒーリングテラス蒼穹の想い』という場所で感じ、
気が付くことが出来ました。
たった一ヶ月ほどの時間で。
多くの友に想われ続け、助け、支えられながら、
そして私も想い続け、助け、支えながら。
ゴロゴロしながら、笑い合いながら♪
(みんな、助けたとも想ったとも思ってもいませんが笑)
私は、出雲に来ることでようやく
本当の意味での自分、自分の人生と人生の選択、自分の想い、
そして何より『生きている』という実感を初めて得ることが出来ました。
本来当たり前に有るであろう『自分』という存在の実感、
『生きている』という実感。
(私は今までずっと、幼少期から何をしても、この感覚を得ることが出来ませんでした)
私を知る人からは、もしかしたら…
「何を言っているの? あなたはいつも自由で楽しそうだったじゃない」と言われるかもしれません。
もしかしたら、母でさえも。
相手や自分を想うこと。『想いを否定されることなどあるはずがない』
という当たり前なことを知ることができました。
そしていつまでもずっと、当たり前に続いていく『それぞれの想い』。
そんな全てを私は、想いの上に成り立ったこの場所だからこそ、感じることができました。
想いでしか生きられないし想いでしか動けない
損得も否定も全く持たない友たちが、ただ居てくれたからこそ
自分に気が付き、自分を感じ、愛というものを感じることができました。
愛そして、想いで生きる ということが
何か清らかなこと
そんなイメージをもち
とても難しく縁遠く感じていた私が
想いで生きる。とは
その人の本質のままに生きること。
それを知ることができました。
数々の様々な本質の方々とともに、様々な想いで生きる姿を感じました。
きっと、これが愛に形がないということ。
本質=愛 なんだということ。
私という存在
私という実感
私という本質。
世の中の本質という言葉とも全く内容の違う
全ての方が全くオリジナルという本質。
その本質という意味を私自身が体感しました。
今まで、自分だと信じていた自分がどんどんと変化して、
新たな自分が見え続けるのです。
全国から集った方々がいなくなり一人で広い一軒家に暮らしている今も
毎日のように。
今までは想像や妄想が出来ていた私の未来の人生。
今はもう、何が起こるか、どんな新たな自分に出逢うことができるのか、
そんな想像すら出来ない程に、豊かに広がっています。
きっと多くの方が、自分自身の人生を生きている実感を感じていないと思います。
そんな方々に、この体験、そして実感を是非して欲しい。
そんな『想い』で今は、いっぱいです。
ここで得たものを、次の人、また次の人へと・・・
『バトン』のように、私も渡し続けていくことが出来ますように。
より多くの人が、本当は当たり前にすでにある
『本当の自分』
『本当の幸せ』
『本当の想い』
『本当の織り成し合い』
に気が付き、感じることが出来ますように。
その先に、諦める必要のない本質的な人生はあるのですから。
2018.9.28 Yuka Nakabe
今Yukaさんは再び出雲の〈ヒーリングテラス蒼穹の想い〉に滞在中です。
本質的な人生を知るために今回の滞在は23日間^^
わたしも滞在して一緒に深めています。
ぜひYukaさんのブログで彼女の本質を感じてみてください。
出雲での気づきも綴っています。
▼Nakabe YukaさんのBlog
https://ameblo.jp/synchro-serendipity/
【プロフィール】
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