ここのところ、目まぐるしい出来事の連続で

落ち着いてブログに書くことができずにいました。

 

人生というものは本当に不思議なものです。

ただ目の前の出来事に、わたしらしい反応をしていったら

面白いところにたどり着いて。

 

出会ったお一人の方をわたしは放っておけなかった。

 

そのことが、大きな人生の変化を起こしたことのほんの一部を

今日は書いてみようと思います。

 

 

 

 

 

出雲の〈本質的な叡智のバトン〉で出会った友たち。

 

みんな、いい人と表現するには足りな過ぎるくらい良い人達すぎて。

その出会いから『 本来の人との繋がりとはこういうものではないか 』と感じたくらいに。

 

訪れるたびに、素晴らしすぎるみんなの姿を目の当たりにしてきました。

訪れるたびに、ピュアだからこそ、社会のやるべきことがわからないで

振り回されてきた方々がいることに気がつかせてくれました。

 

 

 

私たちは、同じことを良いことだと思いすぎていて

同じことをできて当たり前だと思いすぎているということに。

 

 

 

〈本質的な叡智のバトン〉に参加していると、様々な変化がおこります。

変化といっても、本来の自分に戻りとてもシンプルになっていくだけなのですが。

 

そして、そういう友のようにシンプルになっていきます。

 

それぞれの本質によって、全く違う自分自身に。

 

 

わたしたちが目指していくことは

社会で何でもできる人になるのではなく、

何もできないけれど…

想いの上に立っている人なんじゃないかな

わたしはそう思うようになりました。

 

 

 

 

わたしが放っておけなかった彼女。

 

困っていたから助けたかったのではなくて

困っていないから関わりたかった…そんな変な話をここに書いてみます。

 

どんなことを書くことになるのか、まだ全くわかっていませんが…

 

 

 

 

彼女は人のためなら何の制限もなく動く人。

きっと、思いやりがある人とか助けたい人とか大きなお世話好きの人とかいう

想像できることを遥かに超えた人。

 

時間やお金や距離などまったく関係なく、

自分のメリットやデメリットのことなんか微塵も考えない。

考えることが元々できない人。

 

相手のためなら喜んで飛んでいく。

人のためとなったら誰にも真似できないくらいのパワーのある人。

 

でも、特別な資格も特別なこともできない

ごく普通の主婦の方。

 

 

 

そんな彼女が人の気持ちを優先したばかりに

居場所がなくなっていることを知りました。

快適とは思えない環境に毎日いるということを聞いてしまいました。

 

わたしはどうしても放っておけなかった。

 

彼女の本質だからこそ、そう反応し、今の状況になっていることが容易に理解できたから。

 

彼女に、少しでも快適な居場所を作ってあげたかった。

彼女に、もっとたくさんの人に関わって欲しかった。

 

 

 

私には何もできないことを知っていても

そうしたかった。

それが一時的な事だったとしても

意味がないことだとしても。

 

そして彼女が求めていないとしても。

 

 

 

 

 

全国を巡っている私は、多くがホテル暮らし。

ホテルというところは、たまに旅行で過ごすのは快適だけれど

長期滞在するには空調の調整も上手くできないし、お部屋の中にくつろげるスペースは意外とない。窓が開かないところもある。もちろん料理も作れない。お惣菜を毎日食べることになる。

それでも何とか温かいものをとウイークリーマンションを借りても

やはり冷たい印象の環境でくつろげない。

もちろん、全国にあるサロン滞在の場合は、友が居てくれたりインテリアが素敵だから

居心地は素晴らしくいいのだけれど…。

 

 

そんな全国を巡って二年を迎えて、全国どこにいても変わらないほどになった中

出雲に今年のGWに訪れた時のこと。

 

出雲を訪れるときはいつも一週間以上のホテル滞在。

そして出雲は1年のうちに何度も訪れている場所。

観光地なので落ち着いたホテルの予約が難しい時も多い。

 

GWも快適とは程遠いホテル滞在となりました。(これもきっかけを作ってくれた出来事)

 

そのタイミングの本質的な叡智のバトン(私が参加している本質的に深める場)

ホテルの宿泊費を考えたらどこかに快適な場所を借りられるのでは?

そんな話を出してみた。

 

その場で、先に述べた彼女の今の環境の話を聞いてしまいました。

 

 

 

 

何とか、彼女の居場所を作ってあげたい。

 

ささやかなスペースしか作れないだろうけれど、そうしてあげたい。

 

そこに集う方々も快適だろうし、何より私自身が

たくさんの人に関わりやすい。

 

出雲の本質的な叡智のバトンは、毎回善意で大きな料亭の一室を提供していただいていましたから

快適に深めることはできましたが、やはり滞在先は大きな問題。

 

スペースができたら彼女も居場所ができる。

 

 

「ホテル代で小さな賃貸でも借りられるのではないでしょうか」そう出雲バトン中に話をしてみた。

 

*もちろん彼女のためになどとは話していない。

 

 

 

そんな話をしたら奇跡が起こった。

 

出雲方々は、普通の暮らしをしている主婦の方々が多い。

賃貸の契約者が居ない…。

今までも何度もそれぞれに思っていたことだったようだけれど諦めていたことだった。

 

なのに、その私が発言したバトンに久しぶりに参加した方が

「 え?何が問題?契約者ってハンコを押すだけでしょ?笑 」って言ってくれた。

 

彼女は、シングルマザーだけどしっかりとした収入があり

学生の娘さんが住むことにしてくれるという…。

 

その言葉で出雲の方々が動き出してくれた。

 

もし、良いところが見つかったら「彼女の居場所もみんなの居場所も、私の滞在も楽になる」

そんなことを思いながら、わたしは出雲バトンを終え、また全国へ。

 

数日後、情報が届きます。「 素敵な一軒家が見つかりました! 」

 

「 不動産屋さんを通さずに直接見に行ったら、隣の大家さんがでてきてくださって

私たちを気に入ってくださり、家の中も見せてくれました! 」と。

 

 

 

喜ぶ出雲の方々。でも大きな問題があらわになりました。

 

隣が大家さんということは、契約してくれる方が住んでいないことがバレてしまう。

助けたかった彼女や出雲の方々や私たちが出入りすることで、どう思われてしまうだろう。

 

すごく素敵な場所。みんなが気に入っている場所。

でも、ここは借りられない…。

 

そんなメールが私に届いた。ただの報告として。

 

なのに、私は、15分である決断をした。

 

 

 

 

『 私が契約者になって出雲に住む! 』と。

 

正直、怖かった。

 

 

私の選択。「 それしかない! 」としか思えない選択。

 

でも、その後に、事実が押し寄せてくる。

 

 

今は無職で、蓄えを全て使い切る勢いで、全国を回っている。

いずれ働かなきゃいけない!働くなら東京がいい。

出雲には仕事は少ない。望む仕事もないだろう。

そもそも東京生まれの東京育ちで、東京が好きだ。

また出雲から東京に帰るとなったら無収入の私は契約ができない。

今の賃貸を解約するのはリスキーすぎる…

元々、ホテル代を払っているのをそのお金で賃貸をということなのだから

東京の契約はそのままでいいじゃないか!

他の使いやすそうな物件を探してもらえばいい。

見つからなかったら縁がなかったんだ、引っ越さなくていいってことだ。

 

さすがに移住なんて大それたことはしないほうがいいんじゃないと

冷静にメールをくれた友にも一瞬止められて。笑

 

でも、揺るがなかった。私は冷静だった。

シンプルにその選択しかないと思った。

 

選択を変えようがなかった。

他の選択肢が存在していないくらいに。

 

 

 

 

 

行為や結果に囚われていたら絶対にできない移住というわたしの選択。

いろんな理由をつけて曖昧にしてしまうことができる条件。

でも、決めてしまった。

 

そして、わたしは

そういう人なんだということを自覚しました。

 

 

それだけ、人生が条件で決まるのではないことを

気がつかないうちに知ってしまっていたのでしょう。

 

 

私らしい反応。

 

私らしい選択。

 

 

 

 

 

移住を決めたとしても、

いい物件がみつからないかもしれないし、契約まで至らないかもしれない。

 

あるいは、自分自身が行けなくなる可能性だってある。とか。

そんなことも頭においての決断だったけれど

その後はあり得ないほどスムーズな展開で。

 

 

実は、最初のその素敵な物件は、先に契約者が現れ流れた。

 

次の素敵な物件も、先に契約者が現れ流れた。

 

そこで、現れた三つ目の物件。

 

そのタイミングで、全国を巡っていたわたしは出雲に入った。

 

そしたら、なんと… そこがあり得ないほどの好条件の物件で

奇跡としか言えないほどのタイミングで即契約になりすぐに住めるようになった。

 

その連続が、ネガティブにとれば引っ越さなくっていいと伝えているように思えた。

試されているようだった。

でも決めた。

そこで見えてきたのは、結果

ネガティブにみえたことも全くネガティブなことではなかった。

全てのことが奇跡としか思えない事の連続だった。

 

 

そして決まったのは、出雲市駅徒歩10分

来春には大きなスーパーが建つ(徒歩二分)すぐ近くの

庭のある平屋の一軒家。

(実は、決めた後にわかったことだけど、元の所有者が国のため地域の方々との様々な決め事がない物件。私たちが制限なく自由に過ごせる場所)

 

様々なことが奇跡のようだった。

 

 

 

 

こうしてお借りした一軒家はいま、

本質的な人生を知ろうとする方のために…

今ある環境から離れてゆっくりと自分自身を感じられるように…

当たり前に人のことを想い、幸せを願う方が集う場になるように…

そんな想いで解放しています。

 

相変わらず、私は全国を巡り様々な本質の方々に出会うことを辞めるつもりはないので

我が家は、みんなの場所で我が家のようで我が家ではないのですが。笑

 

 

そして、引越して二ヶ月後の9月には、沖縄から北海道まで全国から30名以上の方々が

本質的に深めるためにここに訪れてくれ

多くの方の人生がこの場所で変わっていきました。

 

さらに、その三ヶ月後の今、

全国から、10名以上の方々が滞在し、出雲の方々と本質的に深める流れとなりました。

(さらに今日、東京・大阪からはじめて本質的に深めたいと願う方々が出雲まで足を運んでくれることが決まりました)

 

 

こんな、一人の人を放っておけないという想いが

移住の流れとなり、その先のみんなの想いが驚くほど素敵な場所にしてくれました。

 

こんな展開になるとは想像もつきませんでしたし

人生が変わる瞬間に、こんなにも関われるとは思いもよりませんでした。

 

 

 

 

わたしの想いやみんなの想いはカタチになって

《 ヒーリングテラス蒼穹の想い 》として

多くの方の人生を後押しする場となりました。

 

サロンを作ろうとか、みんなが集まる場所を作りたいとか

そんなことをまったく考えていなかったのに

こうして全国から本質を深めに来ていただく場ができてしまいました。

 

 

 

これが、私がこの二年感じてきた

人生は、目的をもって創り上げるのではない 』ということ。

 

 

 

 

自分自身の本質を感じ、自分自身の想いの上に立ち

本質的な選択をした時に

本当の人生は見えてくるのだということ。

 

 

そのスタートラインに立っただけですが

私の人生が大きく変化する体験でした。

 

 

 

 

 

『 放っておけない。』

 

そんなわたしの想いからスタートしたことだけど、

わたしだけでなく、常に想いの中にいる人たちがここ出雲にはたくさんいてくれること

それが、すごく自然な形で流れていきました。

 

誰も無理をすることなく、誰も人のために行うのではなく

自分のために動いてくれたからこそ

《 ヒーリングテラス蒼穹の想い 》は生まれました。

 

 

それぞれがその方の本質らしいことをしただけ。

 

わたし1人ではきっと何もできなかった。

みんなの後押しがあったからこそのこと。

 

関わってくれた誰もが、相手のために、みんなのために選択をし、

自分ができることを当たり前に全力でやってしまう。

 

そんなお互いの姿を常にみることができて…とても豊かで幸せな時の流れでした。

きっと関わった誰もがそれを感じてくれていたと思います。

 

そして今、みんなで笑っています。

 

また、新しい出会いを楽しみにしながら。

 

 

 

自分の想いも、相手の想いも感じられる。

それぞれの本質らしい想いの場。

 

当たり前に相手を想うことができる人たちと関われて…

わたしは本当に幸せ者です。

 

 

 

Setsuko

setsuko.nrt@gmail.com

 

 

 

後日談:

実はその彼女は、物件の契約を決める数日前のバトンで

何の問題もなくなってしまいました。笑

 

 

彼女を放っておけないという想いが

私の人生を動かしました。

 

ただ、それだけ。

 

 

 

契約前に、契約する意味がなくなる。笑

でも、私の中には、ここまでせっかく動いたのに…とか

東京から離れるのは怖かったのに…とか、離れたくなかったのに…とか

損をしたとか失敗したとか… 思うことはなく

やっぱりやめようという気は全く起こりませんでした。

 

 

人生が、想いで動いていることを知っているから。

 

その先に、ネガティブなことが存在しないことは

多くの方々の人生を、本質的に見て知っているから。

 

 

わたしは出雲へ行くように動かされた。

 

ただそれだけ。

 

私自身の人生に必要だったこと。

 

 

そしてここでは書ききれない、何十日話しても話しきれないほどの

奇跡という人生の完璧さを感じました。

 

 

 

偶然のようにみえる出来事は、実は完璧なまでに訪れていて、

本質が反応することを打ち消すことなく選択していけば

その先の人生は、自分がみたい光景が広がっている。

 

そこには無限の可能性や無限の幸せがあるとしか思えなくなりました。

 

それは、自分が計算して創ることができない人生

 

多くの本質と織りなしている人生

 

本質的な人生を歩むというのはそういうことなんだと思うのです。

 

 

 

出雲にて。

 

 

 

▼そらさん(本質的な叡智のバトンについて)のブログはこちらから

https://ameblo.jp/sora-ni/

 

 

 

 

 

 

 

【プロフィール】

https://ameblo.jp/n-setsuko/entry-12344192927.html