鈴木のじいちゃん。 | 浅見直輝の たびびとなおさん どこへゆく

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国会図書館は

新館や本館、

東西南北と

それぞれが

何階もある

大きな図書館です。


とりあえず向かった所は

新聞のあるエリアでした。


日本で初めての

新聞(みたいなもの)が

作られたのは

江戸時代だったようです。


安政時代からの

書物が纏められていました。


読み進めていき、

とても気になったのが

戦前、戦中、戦後の

新聞でした。


国民の意識を煽るように

新聞が国の方向性を

記していたような

印象でした。


自分の中での発見として、

太平洋戦争は

東條内閣により開戦され、

東條さんが戦犯と

されていたので、

終戦まで同じ内閣だと

思っていたのですが、

昭和19年に

総辞職していました。


その後、小磯内閣が

組閣されましたが

一年足らずで

また総辞職、

最後は鈴木内閣になり、

終戦をむかえたと。


あとで詳しく調べてみると、

この時期は

みんな首相を

断ってたんですって。


それでも天皇さんから

頼まれて

断りきれなくて

引き受けたと。


その後の

昭和天皇さんの

死去した号外新聞では、

当時、昭和天皇ですら

早く和平になるよう

無条件降伏を

促していたと。


それでも軍の最高位の

方々が納得しなかった為、

長引いてしまったと。


それで、

一番目を引いたのが

鈴木貫太郎という

人物なんです。

終戦時に首相だった

鈴木貫太郎さんは

なんと江戸生まれなんです。


二、二六事件で襲撃されたり

総理官邸を襲撃されたり

二度の暗殺にあってる人なんです。


それでも生き延びて、

77歳で総理になって

終戦を導いた人、

鈴木貫太郎。


おそらく昭和天皇も

鈴木さんなら

戦争を終わらせて

くれると信じて

任命したんじゃないでしょうか?

なんか天命を感じます。




「軍人は政治に

関わるべきではない」

という信条をもっていた

鈴木さん。

終戦から1年後に

インタビューされた

言葉が次のように

残っているそうです。

「われは敗軍の将である。

ただいま郷里に帰って
 
畑を相手に生活いたしています」


この人の大河ドラマを

作ってくれないかなぁ。