尼崎ではまず墓参りに出向いた。
父方の祖父母や叔父さん叔母さんの墓である。
墓の草むしり中に
「お前のおばあちゃんは
改名しはったんやで」
と、衝撃の告白が
父の口からサラッとこぼれた。
なんでも、
鹿児島県徳之島で産まれた祖母は
琉球の血が流れているようで、
産まれた時は、
『メチア』
という名前だったらしい。
本土の尼崎に引っ越してから、
その独特な名前が
コンプレックスだったらしく、
『ちえこ』という名前に変えた。
それは父の産まれるずっと前の話。
そんなメチア、もとい、
ちえこさんは、
なんと9人も子どもを産んでいた!
しかし、
僕が知っているのは、
父を含めて4人だけ。
あとの人達は
病気などで
幼少の頃に命をおとしていた。
現存しているのは
73歳の三男、
64歳の五男、
そして62歳の六男である父だけ。
この9人兄弟という話は
以前にも聞いたことがあったが、
他の亡くなっていた御兄弟の名前や
産まれた年、亡くなった年を
今回初めて知った。
もし、長男さんが生きていたら、
一番末っ子の父とは18歳差である。
下手したら親子だ。
見てみたかったなぁ。
そんな僕を後目に
これまた父が呟く。
「お兄さん達が生きてたら
お父さんは産まれてなかったから
ある意味感謝やねん」
そうか。
長男さんが産まれたのは
第二次世界大戦が始まるずっと前。
7番目の三女さんが
産まれた時にやっと戦争は
終わったけど、
生きていたのは二人だけ。
みんな生きていたら
経済的にも苦しくて
子どもを作ろうとしなかっただろう。
多くの悲しみを乗り越えて
それでも前を向いて
人生を歩んでいた祖父母を
改めて尊敬した。
そして、
9人も兄弟がいたのに、
僕が産まれるまで
孫は全員女だった。(7人連続)
産まれる予定のなかった父。
その父の第二子が
初めての男孫だったのだ。
そんな前田家の奇跡の象徴である
わたくし、たびびとなおさんは
生き字引として、
ジョースター家のように、
前田家のルーツを
伝えていこうと心に誓ったのであ~る。