今日は確か祖父の命日。

私が14歳の年に天に召されました。
何歳だったのかな?もう数年寝たきりで、祖母から自宅介護を受けていたなぁ。

明治生まれで、偏屈爺と呼ばれていた祖父は、でも私にとってはとても良いお祖父ちゃんでした。
東京へ出てくるたびに、銀座や上野へ連れて行ってくれ、昔話もたくさんしてくれました。
例えば、池上線の大崎広小路と戸越銀座の駅の間には昔、桐ケ谷と言う駅があったとか。。。自由が丘や白金など今ではこんなに有名だけれど、昔はただのノッパラだったとか。。。
農業高校で働いて定年を迎えた祖父は、定年後も良く農業高校へ遊びに行っていました。
よく連れて行ってくれ、散歩にも一緒に行きました。山しかない県なので山登りでしたが。。。
山の途中途中で牛や羊や豚や鶏に会い、おなかがすくと畑の端っこになっているトマトやキュウリやトウモロコシを頂いて食べながら歩き続けました。
そんな祖父は、着物かスーツを家でも着ている人でした。
祖母もいつも和服だったため、私も和服が大好きになりました。
この「偏屈爺」が言っていたことで、忘れられないこと。

お前は日本国内では死なんだろうなぁ。でからよ、日本のこと、よ~く勉強すんだで。

当時の私には意味が分かりませんでした。
ただ、海外に出た今わかるのは、日本の事を知らない日本人が多すぎる!
最近の若い世代は折紙もまともにできない。着物や浴衣は着られても、間違っている。
現在の天皇陛下の名前を知らない。(こちらでは昭和天皇とか平成天皇とかいいませんから)
文化交流で海外にいたこともあるので、当時はかなりたくさん、勉強しました。それを関係なくしても、和服はコンサルタント、茶道は3年程だけですが習っていたし、華道も齧り、いろいろ勉強しました。まあ、そんな話は置いといて

祖父との一番の楽しみは銀座のパーラーでおやつを食べること。
銀座三越へも行きました。遊園地へ連れて行ってもらった覚えはないけれど、そのほかのとっても楽しいことは、今、とても大切な思い出です。
でもね、おじいちゃん。今でも(かな?)私たちの間で語り継がれているのは、あなたがあなたの妻と二人で私たちの家へ来て、まだ学校から帰ってきていない私たちの家に上がって待っていたのはいいけれど、その間に大玉スイカを二人で食べつくしてくれましたね?楽しみにしていたのに!きっとおいしいスイカだったのでしょうね。そうそう、今でも忘れられないことのもう一つ。上野まで父とお見送りに行った時、電車に乗った後に「一人で座席を見つけるからもう降りなさい。ドアが閉まったら申し訳ない」と父に言ったでしょ?そのあと、父は駅員さんから「高齢者が座席に座っていないのに電車を降りるとはなにごとですか。あなたが降りてくるまで発車は送らせます。安全な場所に席を見つけてあげてください」と言われ、父がもう一度電車に乗ってあなたを席まで導いた時の照れくさそうな顔。

お葬式には歴代3代の校長先生もいらしてくださいましたね?本当にあなたは偏屈爺だったはずなのに、たくさんの人から愛されていましたね。
たった14年しか、私はあなたを知らないけれど、根底にはあなたとの思い出がたくさんあります。
私があなたと次に会えるのは、私がこの世を去った時。その時、またたくさんお話ししましょうね。