新年度の始まり4月1日だ。4月1日と言えばエイプリルフーズで、いわゆるシガツバカの日で、今日だけはどんな嘘でも許されると言う訳であるが、最近はシガツバカという言葉も死語になりつつあるような気もする。イギリスなどでは、BBCなども大嘘の報道があったりと、大嘘の大イベントなどもあったりと、特別の日でもあったが、最近はそんなことも無くなったようだ。今年のことはまだわからないが、どんな事件の報道でも、たとえ戦争の勃発の報道でも、大嘘なら結構であると、思う4月1日である。


 核セキュリテイーサミットなるものがアメリカで開かれている。世界各国の首脳が集まって核兵器の安全管理に関して話し合うのだろうけど、核保有国の中でも最も危ないと思われるロシア不参加のセキュリティーサミットだけに、期待は少ないし、意義も半減すると思う。そんな国際会議の中で、日韓米の首脳会談が行われ、兆発とマスコミ的に表現される不可解な行動を繰り返す北朝鮮対策を話し合ったという。制裁の強化によって北朝鮮を黙らせるという政治用語として経済制裁の強化である。制裁によって北朝鮮を黙らせたにしても、苦しむのは末端の国民だ。多くの餓死も伝え聞こえる北朝鮮社会は、ミサイル発射などではなく、上から国民を須高ことが最優先されるはずだがと、一般の常識的な思考は通用しない狂気へと走った国家像が私たちの前で展開されている。一億総玉砕の狂気の標語を掲げて戦争を続け多くの国民を犠牲にした昔の日本同様に、北朝鮮の多くの国民は死と生の境目を行き来して国家に忠誠を誓って貧困に耐え上に耐えているのだろう。欲しがりません勝つまではと、国家への忠誠の標語を掲げて自らを鼓舞し、生と死の境目で頑張った過っての日本の国民を思い出すから、経済制裁の効果だけを追求するのは、必ずしも北朝鮮対策としては正しくないと思うが、他に効果的な策があるかどうか。三か国の首脳会談だが、結局アメリカオバマ大統領に従っただけの話だ。これからどんな策が打たれるにしても、最後は武力による解決となりそうな気もする。日本にとってはまずは、拉致問題の解決だが、政府には何が何でも拉致問題が先の雰囲気はない。


 日本周辺は北朝鮮という爆薬を抱えて、また、中国と巨大化する軍事力の脅威にさらされているが、直接的な軍事衝突はない。でも中東をはじめ世界は多くの地域で戦争が繰り返されている。戦争は国と国の軍事力の衝突と思うが、内戦もまた戦争に違いない。



改めて、先頭の定義を考えるのは、

地元紙熊野新聞の人権尊重文集

春を呼ぼう第11集⑩

中学二年生宇佐川さゆりさんの「命の大切さ」を読んでだ。


 その中で、私たちが単純に戦争という国と国の戦争が25か国で、国家内での権力争いである内戦21か国あるということを知った。軍事力の衝突する争いが46の国であるというのが、現在の地球上だ。世界平和などの言葉もむなしい現実の前に、平和な国の中学2年生は、平和の尊さを知る。それは私たち大人への警告にも似た素直な平和への感謝の思いであり、日本国憲法の戦争補期の平和主義の尊さを今一度考えされる素直な文である。中学2年生が考える平和、戦争、軍事予算、核兵器、等々は、歪なき心的視点であり、心を響く力があると思う。



 日韓米の首脳会談がもたらすものは、北朝鮮への制裁の強化による北朝鮮問題解決への取り組みの政治的な主張だけだと、経済制裁による効果への疑問は消えないが、末端の国民が塗炭の苦しみを味わうだけの経済制裁とは別の対策を考えてほしいものである。北朝鮮問題と限定することなく平和という観点から考えて、中学生の考える平和問題の中に、ヒントがありそうな気がするが、これが答えだと示すことなど不可能だ。でも、素直な平和への願いがしたためられる素直な文の中には、きっと、平和的な解決の糸口がありそうな気がする。