3月は、糖尿病患者としての、あらゆる試みをするための月と位置付けた。


特別に、かの治療法を試みるのでもなく、食事療法だけで、

克服しようという覚悟を示し、実践していくための大事な月と位置付ける。


そのためにと言い訳する気はないが、ブログを書くのがおろそかになっている。


今月の最初に書くことは、東日本大震災発生から5年の3月11日を前にしての思うことであった。


つまり、大震災から5年の年月の意味を、傍観者的な自分流に考えたいと思ったのだ。そして、そのことを書こうと思ったのが今日3月10日だ。


でも、3月10日は、東京大空襲の記念日だと、テレビニュースで教えられた。


そんな日のことも忘れている自分が情けないし、嫌にもなるが、兎に角、決して忘れてはならない日だと、改めて自分に言い聞かせ、東京大空襲について考える。



でも、フェイスブックに書いたことをコピーするだけだ。



 3.11を間近に控えた3月10日は、多くの人が東日本大震災の発生した3月11日の前日であり、東日本大震災への思いで過ごす日かも知れないが、でも、3月10日も歴史的なことが起きた日であり、3.11東日本大震災同様に忘れてはならない日である。


 3月10日は太平洋戦争末期、広島や長崎への原爆投下の前、有る意味勝敗も決したと思われる戦争の最終章に、日本への決定的なダメージを与えるために行われた市街地への無差別空爆、東京大空襲があった日である。

 如何に戦争といえど、ルールはあるわけだけど、一切のルールを無視したアメリカの無差別殺戮である無差別攻撃である空爆でも最大の東京大空襲の犠牲者、10万人を超え、負傷者も、被災者も、被災家屋も桁違いであった。悪魔の所業としか表現できないようなアメリカ軍の無差別殺戮の東京大空襲があったのが今日3月10日であった。


 沖縄戦はこの世のあらゆる地獄を集めたような地獄だと表現されるもので、沖縄本島が完全なる焦土と化すまで、艦砲射撃が繰り返され、そして、地上戦となった時は、火炎放射器での焼き尽くし戦であり、生命体を完全の焼却しつくのではと思われるほどの地獄絵そのものであったが、東京大空襲もまた、地獄そのものであった。



東京都の平和の日が東京大空襲の3月10日。

沖縄の慰霊の日、広島、長崎の原爆念日、そして、終戦記念日同様に、

東京大空襲のあった平和の日3月10日も、決して忘れてはならない。

71年前に終わった戦争が、決して完全に終わってはないという思いをあらたにして、この国日本が、二度と戦争の惨禍へと進むことがないように、
為政者にはしっかりを国の行くへも正してほしいと願う3月10日である。