28代・継体天皇
応神天皇の5代目の孫。父は彦主人。
母は垂仁天皇7世の孫・振姫。
58歳で即位、25年間世を治めた。
■越前より
入洛
暴虐非道な武烈天皇が崩御したとき、跡継ぎがなく、みな嘆いた。
丹波の国にいるという仲哀天皇五代の孫を迎えにあがると、その王は血相を変えて逃げ、隠れてしまった。
越前の国に応神天皇の五代の孫王がいると聞き、役人たちがお迎えにまいったところ、この王は堂々としてたいへん高貴な様子であった。しかしこの話をにわかには信じず、なかなか受けようとはしなかった。都へ入ってのちも、なかなか帝位につこうとせず、大臣らみなでおすすめし、ようやく即位なさった。
また都遷りが三度あった。(注:実際には四度という)
29代・安閑天皇
継体天皇の子。母は妃・尾張目子姫。
68歳で即位、2年の治世。
30代・宣化天皇
継体天皇の子、安閑天皇の同母弟。
69歳で即位、4年の治世。
* * *
遠く越前からなんとか引っ張ってきた継体天皇。
それにしても、応神天皇五代の孫王とは……。
もとからの妻・尾張目子媛所生の安閑・宣化天皇をふくむ三代とも、皇位継承上、すこぶる疑問があるといえます。
現代の古代史上にはさまざまな説があるようですが、『水鏡』成立のころからすでに疑問があったのか、『水鏡』では内実のある記事はいっさいありません。
そして、31代は、同じ継体天皇の子ですが母が仁賢天皇の娘・皇后手白香皇女である、欽明天皇の即位となります。
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突然ですが、これにて『水鏡』を終えたいと思います。
というのは、時代が妹ブログの範囲に突入したからです☆
つづきは妹ブログにて、読んでいきたいと思っております。
告知はいたしますので、もしご興味ある時代などありましたら、お付き合いいただければたいへんうれしく存じます。
なんといっても、こちらの連載で思い出深いのは、
雄略被害者友の会
ですね なつかしい~
たまにはああいう気合入ったバカ 、なにかの機会にやりたいなぁ(^^♪
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