24代・飯豊天皇


父は履中天皇の子・押羽皇子(市辺押磐皇子)という、皇子時代の雄略天皇に殺された人物。

跡継ぎのない清寧天皇に探し出された同母弟二人(顕宗・仁賢天皇)が、天皇亡き後たがいに譲り合い即位しなかったため天皇に。45歳。




25代・顕宗天皇


父は押羽皇子。


兄の億計(おけ)王(仁賢天皇)、弟の弘計(をけ)王(顕宗天皇)は、父が殺されたため丹波へ、そして播磨へ逃げていました。弟は兄に、逃げて苦労ばかりしている身がつらい、名乗り出よう、と言います。はじめ尻込みしていた兄でしたが、いよいよ決心し、弟を誘って郡司の館へ行きました。身の上を訴えながらともに舞い、二人は見いだされたのです。


兄は弟へ即位をすすめますが、弟は聞き入れません。そこで姉の飯豊が即位することになりますが、その年のうちに亡くなってしまいます。

そこで弟(顕宗天皇)がようやく即位しました。36歳。治世は3年。


天皇は東宮であった兄に、「父の仇をとるため、雄略天皇の墓をあばき骨を砕き捨てよう」と持ちかけますが、兄は「父は一皇子であっただけだが雄略は世を治めた天皇である、また清寧天皇の恩を忘れてはならない」と説いて、弟天皇を説得しました。


そのあと、天下泰平によく世は治まりました。




26代・仁賢天皇


顕宗天皇亡き後、兄が即位しました。40歳。治世は11年。

詳細は先代に書きました。たいへん心ざまの立派な天皇でした。




* * *


なかなか物語性豊かな面白い記述です。



★飯豊天皇という「女帝」


確固たる代数をあたえられて天皇の数に入れられています。この女性については、歴代天皇に入れるべきか論があるようです(現在、代数には入れられていない)。


★億計・弘計王兄弟物語


いわゆる貴種流離譚の面白みがあります。

記紀などとも大体同じ話になっていますが(とくに『日本書紀』)、兄弟の性格描写がはっきり描き分けられています。積極的でイケイケな弟・顕宗慎重派で穏健な兄・仁賢、そして兄の助言により世は丸く収まる、のような結末。


水鏡の記述を見る限り、兄弟はほんの1歳?違い、名前もオケとヲケ、双子のような合わせ鏡のような存在、というのが面白いと思いました。




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