16代・応神天皇


仲哀天皇第四皇子、母は神功皇后。


4歳で東宮になっていますが、即位は母天皇のあとを受けて71歳。ただ、『日本書紀』を見ても、応神の即位は母(摂政)のあとを受けたことになっています。


母とともに八幡宮の祭神として有名です。


武内、言に依りて

伐たれんとせし事


大臣として腕を揮っていた武内ですが、異母弟の讒言にあい、あやうく討たれそうになってしまいます。無罪は「おのづからあらはれにき」ということで、許されました。『紀』では「探湯」をしたと明記されています!

その後さらに重用され、次の仁徳天皇時代に死亡記事が載っています。



17代・仁徳天皇


応神天皇第四皇子、母は皇后・仲姫。


■王位三年しき事。

子細あり


仁徳天皇の即位には、紆余曲折がありました。父帝の東宮には父の意向で異母弟の菟道稚郎子(うじわきいらつこ)が立っていたのです! ところが、兄弟は即位を譲り合います。譲り合っているうちに三年経過……というわけ。


結末は、なんと、「東宮みづから命を失ひ給ひにき」、異母弟の自殺でした……。

『紀』も同じく自殺としていますが、『記』では自然死とされています。


高き屋に 登りて見れば 立つ

 民のかまどは にぎはひにけり


天皇の御製と伝えられています。

民の生活を思い、三年間の租税中止をしたとされる仁徳天皇。その仁慈・仁政をたたえたものです。

実はこの歌、本当は元ネタがあって、藤原時平の「高殿に 登りて見れば 天のした よもに煙りて 今ぞ富みぬる」なのだそうです。