押上~浅草散歩 5月15日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「第158回 押上~浅草散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は押上駅から。

 

まずは、東京スカイツリーを眺めながら、東京ソラマチへ。

 

 

東京ソラマチは、東京スカイツリータウンにある、東武鉄道株式会社の子会社である東武タウンソラマチ株式会社が運営する商業施設。

バラエティ豊かな300以上の店舗が集まっています。

 

東京ソラマチの次は、おしなり公園へ。

 

 

おしなり公園は、墨田区押上1丁目、業平1丁目・2丁目・3丁目にある区立公園。

押上・業平橋駅(現在のとうきょうスカイツリー駅)周辺土地区画整理事業において計画された部分と、東武橋から京成橋まで約450m間の北十間川護岸と親水テラスの区間、さらに両岸を南北に結ぶ歩行者専用橋(おしなり橋)を合わせた約6,600㎡の親水公園で、平成24年(2012)4月1日に開園。

名前の由来は、地元町会の総意によって、両岸の地名である「押上」と「業平」から一文字ずつ取って名付けられました。

 

おしなり公園の次は、大横川親水公園へ。

 

 

大横川親水公園は、墨田区内を流れている大横川の多くの部分を埋め立てて造られた区立公園。

幅30~40m、長さ約1.85㎞の細長い公園で、園内は5つのゾーンに分けられており、北端部には船の形をした遊び場と管理事務所があるほか、鏡に映った東京スカイツリーと一緒に写真が撮れるスポットがあります。

 

大横川親水公園の次は、東京ミズマチへ。

 

 

東京ミズマチは、墨田区向島1丁目の東武鉄道の高架下に令和2年(2020)6月18日に開業した複合商業施設。国内外の宿泊需要に対応するコミュニティ型ホステルや隅田公園や北十間川の環境と一体化した新業態のレストラン、スポーツと一緒にカフェが楽しめる開放的な施設などがあり、現在、イーストゾーンとウエストゾーンを合わせて12のテナント(※)が入っています。
※全部で14テナント分用意されています。

 

 

東京ミズマチの「むうや」(パン店)と「いちや」(和菓子店)に寄って、向かいにある隅田公園の木陰でおやつタイム。

 

 

隅田公園は、隅田川沿いに位置し、墨田区向島と台東区浅草、台東区花川戸にまたがっている公園。

墨田区側は、水戸徳川家3代藩主•徳川綱條が、元禄6年(1693)に将軍家から賜った下屋敷があったところで、屋敷は「小梅御殿」と呼ばれていました。

小梅御殿は、西は隅田川、南は北十間川に面し、現在の向島1丁目の大半を占める2万坪余りを有し、小石川本邸の別邸として、従者の蔵奉行、水主(船を操る人)、鷹匠の住まいとして使われ、船蔵や材木も置かれていました。

明治に入ると、水戸徳川家の本邸になりますが、大正12年(1923)の関東大震災で屋敷は焼失。

昭和6年(1931)、帝都復興事業計画により、防火避難公園として開園しました。

 

隅田公園の次は牛嶋神社へ。

 

 

牛嶋神社は、墨田区向島1丁目に鎮座する、須佐之男命・天之穂日命・貞辰親王命を御祭神として祀る神社で、本所の総鎮守。

創建は、貞観年間(859~877)に慈覚大師円仁(第3代天台座主)が御神託により、須佐之男命を祀ったのがはじまりと伝えられ、古くは「牛御前社」と称し、明治以降、「牛嶋神社」と改め、郷社に列格。

当時は、少し北の弘福時の西隣(向島5丁目)に鎮座していましたが、大正12年(1923)の関東大震災で社殿等を焼失し、その後、隅田公園の開設にあたり、昭和7年(1932)に現在地に遷座。

現社殿はその時に完成したものです。

境内には、全国でも数少ない三輪鳥居が立ち、文政8年(1825)年頃に奉納されたといわれる撫牛が祀られています。

 

牛嶋神社の次は、三囲神社へ。

 

 

三囲神社に到着したところで記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

 

三囲神社は、墨田区向島2丁目に鎮座する、宇迦御魂之命を御祭神として祀る神社で、隅田川七福神の恵比寿神と大國神も別殿にて奉斎。

創建年代は不詳ですが、弘法大師が祀ったという田中稲荷がはじまりとされており、名前の由来は、文和年間(1352~1356)に近江三井寺の僧•源慶が社殿を改築した折、白狐に跨った老翁の像が出土。

このとき白狐が現れ、像のまわりを三度まわって消えたという縁起から「三囲」と名付けられました。

その後、元禄6年(1693)の旱魃のとき、俳人•宝井其角が「遊ふた地(夕立)や 田を見めぐりの 神ならば」の句を奉納したところ、たちまち雨が降り、評判となりました。

また、豪商三井家は、三囲神社が日本橋から北東(鬼門)の方角にあって「鬼門除け」になることや、「囲」の字が「井」を囲んでいることから、三井を守る守護社として崇拝。

神社は現在も三井家と三井グループ各社から信仰され、三越本店や各支店には分霊が祀られており、境内に置かれている青銅製のライオン像は、閉店した三越池袋店にあったもので、平成21年(2009)に寄贈されました。

 

三囲神社の次は、すみだリバーウォークへ。

 

 

途中、隅田川テラス(墨田区側)をぶらぶら。

 

 

すみだリバーウォークは、令和2年(2020)6月18日に開通した、東武鉄道の隅田川橋梁の横に新設された歩道橋。

開門時間は7:00~22:00で、橋の2か所に東京スカイツリーの公式キャラクター「ソラカラちゃん」が隠れています。

さらに床の一部がガラスになっていて、足元に流れる隅田川を見下ろすことができます。

 

 

すみだリバーウォークを渡った後は、台東区側の隅田川テラスをぶらついて、浅草寺へ。

 

 

途中、戦後の東京で一番古い地下商店街といわれているディープスポット「浅草地下商店街」を通過。

 

 

浅草寺は、台東区浅草2丁目にある、金龍山伝法院と号する聖観音宗の総本山。

本尊は聖観世音菩薩で浅草観音の名で親しまれており、坂東三十三箇所観音霊場の第13番札所で、昭和25年(1950)に独立するまでは天台宗に属していました。

創建は都内最古といわれており、縁起によると推古天皇36年(628)に檜前浜成・竹成兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたところ、1寸8分(約5.5cm)の黄金の聖観音像が網にかかり、その観音像に祈ると豊漁となりました。

この像を拝した土師中知が出家して、自宅を寺にして像を安置したのが浅草寺のはじまりといわれ、そして、大化元年(645)、勝海上人が堂宇を建立して開山。

観音の夢告により本尊は秘仏に定められ、開帳は厳禁され、後に天台宗延暦寺の僧•慈覚大師円仁が天安元年(857)に本尊に代わるお前立本尊(開帳本尊)をつくりました。

このことから浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開基としています。

浅草寺は平将門の乱や以降もたびたび堂宇を焼失してきましたが、平公雅をはじめ、源義朝・頼朝、足利尊氏、北条氏康らの尊崇を受け再建。

江戸時代には徳川幕府の祈願所となり、寺領500石を受け、江戸有数の大寺となりました。

また庶民の信仰を集めて行楽地となり、明治期には境内の大部分が浅草公園に。

昭和20年(1945)、戦災により二天門と伝法院以外は焼失しましたが、昭和33年(1958)に本堂、昭和35年(1960)に雷門、昭和39年(1964)に宝蔵門、昭和48年(1973)に五重塔、の順に再建されました。

 

浅草寺をお参りした後は、浅草オレンジ通りへ。

 

 

浅草オレンジ通りは、台東区浅草1丁目にある、伝法院通りと雷門通りをつなぐ通り。

浅草公会堂完成以前は同所に台東区役所の第二庁舎があって、「区役所通り」と呼ばれていましたが、昭和52年(1977)10月の浅草公会堂落成にあわせて「浅草公会堂オレンジ通り」と名称を変更。

さらに昭和62年(1987)、「オレンジ通り商店街振興組合」の法人化に伴い、通り名も「オレンジ通り」に落ち着き、イメージキャラクターの「オレンテくん」が誕生。

また、台東区は大衆芸能のメッカとして多くのスターを世に送り出してきた地で、区では大衆芸能の振興に貢献した芸能人の功績をたたえ、その業績を後世に伝えるため、昭和54年(1979)より手型とサインを浅草公会堂前の「スターの広場」に設置。

現在、公会堂の改修工事のため「スターの広場」は見られなくなっていますが、工事終了後、再び公開される予定です。

なお、オレンジ通り沿いの花壇に設置されている手型はこれまで通り見ることができます。

 

こんなふうにあちこちご案内して、浅草駅でお散歩は終了。

 

 

その後、ご希望された方々とファミレスで短時間の黙食マスク懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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