大崎~大井町散歩 4月3日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「第156回 大崎~大井町散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は大崎駅から。

 

まずは、居木神社へ。

 

 

居木神社の参道。

長い階段坂になっていて、坂道愛好家には、たまらないかも。

 

 

途中参道で日向ぼっこしていた猫様に挨拶。

 

 

居木神社は、品川区大崎3丁目に鎮座する、日本武尊を主祭神とし、高龗神・大國主命・倉稲魂命・天兒家根命・菅丞相(菅原道真)を配祀。

さらに手力雄命・淀姫命・大山咋命を合祀する大崎の鎮守。

創建に関しては不詳ですが、かつては武蔵国荏原郡居木橋村(現在の山手通り居木橋付近)に位置し、「雉子ノ宮」と称されていたようで、江戸時代の初め、目黒川の氾濫を避けるため現在地に遷座。

その折、村内に鎮座していた「貴船明神」「春日明神」「子権現」「稲荷明神」の四社をあわせて祀り、「五社明神」と称されました。

そして、明治5年(1872)に社号を「居木神社」と改称した後、村社となり、さらに村内の「稲荷神社」「川上神社」「本邨神社」を合祀。

社殿は、昭和8年(1923)に荘厳な社殿が完成するも、昭和20年(1945)、戦災により焼失。

現在の社殿は昭和53年(1978)に再建されたもので、また、正面階段左手には昭和8年(1923)に溶岩で築かれた富士塚があります。

 

 

末社厳島神社(旧・松原家屋敷神)をお参りする皆さん。

こちらの厳島神社は、もとは神社の近くにあった旧居木橋村の名主・松原家の屋敷神として祀られていたものを居木神社が引き取り末社としたもの。

江戸時代後期の作で、小さいながら質の良い彫刻装飾が多用され、その多くに彩色が施された貴重なもので、区の指定有形文化財になっています。

 

居木神社の次は、貴船神社へ。

 

 

貴船神社は、品川区西品川3丁目に鎮座する、高龗大神と素盞嗚尊を御祭神として祀る、品川(旧三ツ木村)の鎮守。

由緒は、和銅2年(709)、藤原伊勢人(※)の勧請により創建といわれ、「貴布裲大明神」と号し、古来より水神として崇められ、享和3年(1803)に「貴船神社」と書くよう改められたといいます。

社殿は昭和20年(1945)5月の戦災で焼失し、昭和42年(1967)に再建。

また境内には、貴船神社の他に三ツ木稲荷社・大山祇社・満潮宮と祖霊社が祀られています。
※奈良時代後期から平安時代初期の貴族で天平宝字3年(759)生まれなので、時代に齟齬があり、別に藤原伊勢人と呼ばれた人物がいた可能性も考えられます。

 

 

境内の片隅にに立つ、文政十一年銘道標。(品川区指定史跡)

もとは居木橋村と品川宿の枝郷三ツ木との境に建てられたものが、現在地に移転保存されたもので、石質は高さ約1mの安山岩。

正面に「西めくろ(目黒)」左右に「左北品川 右南品川」背面に「文政十一子年三月松原氏」と刻まれていて、居木橋村の名主は、代々松原氏が務めており、観音信仰と交通の便を兼ねて文政11年(1828)に造立されたものと思われます。

 

 

社前に安置されている、貴船神社布袋像。

この布袋尊像は、国際自動車(株)の創始者・波多野元二氏が若年より布袋尊を尊崇し、社屋を建設する際に建立したもので、平成20年(2008)の社屋移転に際し、地域社会の鎮護として貴船神社に遷座したとのことです。

 

貴船神社の次は、戸越銀座商店街へ。

 

 

戸越銀座商店街は、戸越銀座商店街(連合会)は、品川区平塚・戸越・豊町・西品川にまたがる全長約1.3㎞にわたる都内最長の長さを誇る商店街で、戸越銀座商栄会商店街振興組合(商栄会)・戸越銀座商店街振興組合(中央街)・戸越銀座銀六商店街振興組合(銀六会)の3つの商店街振興組合で構成されています。

名前の由来は、大正12年(1923)の関東大震災後、銀座通りが改修工事のため、煉瓦敷きを撤去することになり、戸越の人たちがこれを譲り受け、道路等に再利用した縁(※)から「戸越銀座」という全国初の「○○銀座」が生まれました。

現在、戸越銀座商店街には約400軒の店舗が軒を連ねており、マスコットキャラクターの「戸越銀次郎」(猫)があちこちで「とごしぎんざブランド」のPRをしています。
※明治時代、銀座の街並みを煉瓦造りの街並みに変えていくときの煉瓦の製造元の一つが品川白煉瓦株式会社(現在の品川リフラクトリーズ)だったという縁もあります。

 

戸越銀座商店街で食べ歩きとお買物タイムスタート!

 

 

まずは、後藤蒲鉾店で大人気の「おでんコロッケ」を試食。

ここから一回目のフリータイムを設けて、各々気になるお店へ。

 

 

つづみ団子で和菓子を買ったメンバーさん。

 

 

暑かったので、音更ぎょうざの宝永で「なまらカマンベールプレミアムソフト」を買って食べるメンバーさんも。

 

他にも、トミーズプリン工房などでお土産を買ったりして、まずは一回目のフリータイム終了。

 

 

続いて、第二京浜国道、東急池上線の踏切と渡って、「戸越と銀座のゆかり」の記念碑をチェック。

 

そして、戸越銀座商店街商栄会で二回目のフリータイムスタート。

 

 

こちらでは、お好み鯛焼きなど、変わり種のたい焼きが食べられる、おめで鯛焼き本舗で食べ歩きを〆るメンバーさんが複数いらっしゃいました。

 

戸越銀座商店街で食べ歩きとお買物を堪能した後は、戸越八幡神社へ。

 

 

戸越八幡神社は、品川区戸越2丁目に鎮座する誉田別命(応神天皇)を御祭神として祀る神社で、旧戸越村の鎮守。

由緒は、大永6年(1526)、諸国を行脚していた行永法師が、村内の藪清水池の水源地から出現した誉田別命の御神体を草庵(成就庵)に奉安し、京都の石清水八幡宮の分霊を勧請して、ともに祀ったのが始まりとされています。

その後、文禄元年(1592)に、行慶寺(神社に隣接する浄土宗の寺院でもと別当寺)を開山した念誉上人が、成就庵のところに八幡神社を建立して、御神体を阿弥陀如来とともに奉祀。

そして、元禄元年(1688)に現在地に移転しました。

社殿は約200年ほど前に建立されたもので、安政2年(1855)に改築。

境内には、延享3年(1746)に奉納された区内最古の石造狛犬や、戸越の地名の起こりといわれる古歌を刻んだ石碑(※)があります。
※「江戸越えて 清水の上の成就庵 ねがひの糸の とけぬ日はなし」ここは江戸越えの村ということで、「江戸越(えどごえ)」が「戸越(とごえ)」となり、それが戸越になったと考えられています。

 

 

戸越八幡神社では、神社のアイドルで、ドーム状のビニールテントの中にいる猫のみーちゃんに挨拶。

 

 

現在、戸越八幡神社では、安政2年(1855)に落成した総欅造りの社殿が、長年の風雨にさらされ傷みが激しい状態となっているため、やがて迎える御鎮座五百年(2026)の佳節を機に、社殿の改修とそれに伴う境内整備事業を計画。

現在、改修工事が進行中のため、拝殿は仮拝殿となっていて、仮拝殿の前には、ウサギと猿の可愛らしい神使が祀られていました。

 

戸越八幡神社をお参りした後は、文庫の森へ。

 

 

文庫の森は、品川区豊町1丁目にある、国文学研究資料館跡地に造られ、平成25年(2013)2月にオープンした区立公園。

文庫の森一帯は、江戸時代、戸越屋敷があったところで、明治23年(1890)に三井家の別邸となり、大正7年(1918)には三井家の事業の歴史を編纂する編集室が日本橋から移転。

会社の帳簿類も保管することになり、書庫と事務所が建てられ、「三井文庫」が創立されました。

戦後は、財閥解体による土地の売却で、昭和26年(1951)に「文部省史料館」が開館。

昭和47年(1972)、敷地内に国立国文学研究資料館が創設され、そして、平成20年(2008)、国文学研究資料館の立川市移転に伴い、跡地を品川区が取得後、公園整備が進められ、文庫の森が完成。

文庫の森は防災機能を備えた公園として、災害時には避難場所としての機能を持ち合わせており、大正11年(1922)に完成した壁式鉄筋コンクリート造3階建ての「旧三井文庫第二書庫」(国の登録有形文化財)は、防災備蓄倉庫として活用されています。

 

文庫の森の次は、戸越公園へ。

 

 

戸越公園は、品川区豊町2丁目にある、面積18,255㎡の池泉回遊式の区立公園。

公園は、もとは寛文2年(1662)に肥後熊本藩の分家熊本新田藩主・細川利重が下屋敷として拝領し、寛文6年(1666)に本家細川家の下屋敷となり、数奇屋造りの御殿や庭園からなる戸越屋敷として整備された屋敷地の一部にあたります。

土地はその後、文化3年(1806)に石見浜田藩・松平周防守の屋敷となり、さらに伊予松山藩・松平隠岐守の手に渡りました。

そして、明治の変革期に何人かの手を経て、明治23年(1890)に三井家の所有となりました。

三井家は、昭和7年(1932)9月に学校・公園用地として、現在の戸越小学校、都立大崎高等学校を含む別邸の庭園部分を荏原郡荏原町に寄付。

同年10月、荏原町は東京市の一部として荏原区となり、公園用地は東京市に移管され、昭和10年(1935)3月、東京市立戸越公園として開園しました。

その後、昭和18年(1943)の都政施行により東京都が管理を行い、昭和25年(1950)、管轄が品川区に移管。

移管後、区では数度にわたる改修を重ね、歴史的な風情を復元させ、武家屋敷の雰囲気を醸し出すよう、正門(薬医門)をはじめ施設の再整備を行い、現在は敷地内に令和4年(2022)4月にオープンする予定の(仮称)品川区立環境学習交流施設の工事に取りかかっています。

 

戸越公園に着いたところで、東屋で小休止。

 

 

園内では既に藤の花やツツジが咲き出しており、季節がひと月早いと、皆さんを驚かせていました。

 

 

休憩終了後、池をバックに記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

(撮影OKの方だけ撮らせていただいております。実際は女性5名様・男性4名様、計9名様がご参加くださいました)

 

 

記念撮影が済んだところで、今度は園内の流れがある方に異動。

滝が見える橋でマイナスイオンを感じて、公園を後にしました。

 

戸越公園の次は、横須賀線第2戸越ガードへ。

 

 

横須賀線第2戸越ガードは下から、横須賀線と湘南新宿ライン、その上に東急大井町線、さらにその上に東海道新幹線が走る、鉄道三重立体交差スポット。

鉄道珍スポットとして知られる場所で、こちらで暫し鉄道ウォッチング。

 

続いて、神明児童遊園へ。

 

 

神明児童遊園は、品川区二葉1丁目にある区立公園。

もとは二葉図書館の隣に昭和39年(1964)に開設されたもので、昭和43年(1968)頃に設置されたタコ型滑り台が地元の人々に親しまれ、公園は「タコ公園」と呼ばれるようになりました。

ところが、補助第26号線道路整備と公園改修工事に伴い、平成19年(2007)に公園は閉鎖。

タコ型滑り台は、地元住民の惜しむ声を受けて、当初は新公園に移設する予定でしたが、親ダコ内部の老朽化が進んでいたため、移設を断念。

取り壊しが決まり、地元住民が中心となってタコとのお別れ会が開かれました。

そして、平成22年(2010)3月、道路を挟んだ向かい側に新公園がオープン。

園内には、新設された親ダコと旧公園から移設された子ダコが並んで設置され、人気遊具の復活となりました。

※昨日はタコ滑り台で遊ぶ子供が非常に多く、写真が撮れなかったので、過去の写真をあげています。

 

神明児童遊園の次は、大井蔵王権現神社へ。

 

 

大井蔵王権現神社は、品川区大井1丁目に鎮座する、権現台(※)の鎮守として、大井権現台の地名の由来となった神社。

江戸時代、江戸の町に火事や疫病が流行ったとき、この地域は大井村の権現神社の天狗のおかげで無事だったとされ、その後、人々は天狗に感謝して権現神社のお祭りには太鼓を叩いたり、天狗を祀った神輿を担いだりしてきました。

今ある、「大井権現太鼓」の発祥はそのときの名残です。

また、社地は遷座を繰り返し、昭和63年(1988)、現在地に新しい社殿を竣工。

例大祭は毎年4月の第3土曜・日曜に行われ、通称「天狗祭り」と呼ばれています。

この祭りは、巨大な天狗の顔がのった神輿を白粉をつけた男たちが赤やピンクの長襦袢姿で担ぐという、異色の祭り。

約30年前に町の有志が神社の天狗伝説をもとに始め、定着しました。

さらに、当社は荏原七福神の福禄寿でもあり、お正月は七福神めぐりで賑わいます。
※もとの社地。現在の品川区広町2丁目付近で、JR東日本の東京総合車両センターがあるあたり。

 

こんなふうにあちこちご案内して大井町駅でお散歩は終了。

 

 

その後、ご希望されたメンバーさんとファミレスで短時間のミニ懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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