神谷町~三田散歩 8月29日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の夏の夕暮れ散歩「夏企画 神谷町~三田散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は神谷町駅から。

 

まずは、葺城稲荷神社へ。

 

 

葺城稲荷神社は、港区虎ノ門4丁目に鎮座する、宇迦之御魂神・須佐之男神・大市比売を主祭神として祀る西久保八幡神社の兼務社。

由緒は、『江戸町方書上』によると、葺手町は江戸時代初め、現在の内幸町にあり、江戸城及び江戸の街造りの屋根職人が集まった町で、元禄4年(1691)、江戸城拡張、江戸の整備ため、この地に代地替えを命じられ、職人たちが移り住んだときに当社を発見。

氏神様として奉斎したのが起源といいます。

その後、時を経て、東京ワールドゲート開発のため、一時、西久保八幡神社に仮遷座していましたが、令和2年(2020)3月、東京ワールドゲートの完成に伴い、完成前に敷地内の「葺城の森」に再建され戻ってきました。

 

葺城稲荷神社の次は、愛宕山(標高約26m、自然の地形としては23区内で一番高い山)の頂に鎮座する、愛宕神社へ。

 

 

途中、愛宕山を掘り抜いた23区内唯一の山岳トンネル「愛宕隧道」を通過。

 

 

愛宕山にはエレベーターもあり、手軽に登ることができます。

 

 

愛宕神社は、港区愛宕1丁目にある愛宕山の山頂に鎮座する神社。

火産霊命を主祭神として祀り、他に罔象女命・大山祇命・日本武尊を配祀。

創建は慶長8年(1603)、徳川家康が幕府を開くにあたり、江戸の防火・防災の守り神として奉斎したのが始まりで、慶長15年(1610)には、社殿をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等が、将軍家の寄進によって建立。

祭礼などには下附金を賜るほど、当時の幕府の尊崇は篤いものでした。

その後、江戸大火災、関東大震災、東京大空襲の度に社殿は焼失しますが、氏子中の寄付により、昭和33年(1958)に本殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至ります。

また、愛宕神社には、数々の有名なエピソードが残っています。

まず、境内にある急な石段(男坂)は「出世の石段」と呼ばれ、これは、寛永11年(1634)、三代将軍・徳川家光が増上寺参詣の帰りに、当社の下に差し掛かり、愛宕山に咲く源平咲きの梅を見て「誰か馬にて取って参れ」と家来に命じたものの、石段の険しさに誰もが尻込みしていたところ、讃岐国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬で駆け上がり、境内に咲き誇る源平咲きの梅を手折って、将軍に献上しました。

家光は曲垣平九郎を「日本一の馬術の名人」と称賛。

彼の名はたちまち全国にとどろき、石段は「出世の石段」と呼ばれるようになりました。

続いて、万延元年(1860)に起きた「桜田門外の変」のときは、当社は水戸の浪士たちの集合場所になっており、彼らは神前で祈念をした後、桜田門へ出向き、大老井伊直弼を討ち、目的を果たしました。

そして、明治元年(1868)には、勝海舟が西郷隆盛を誘い、愛宕山の上で江戸市中を見渡しながら会談し、江戸城を無血開城へと導きました。

このように、こちらでは後世に語り継がれる様々な事件が起きています。

 

 

我々がお参りしたときには、境内に人気者の可愛らしい白猫がいて、撮影会がスタート。

 

愛宕神社の次は、幸稲荷神社へ。

 

 

幸稲荷神社は、港区芝公園3丁目にある伊弉冉命と倉稲魂神を主祭神として祀る稲荷神社。

武蔵国豊島郡岸之村(芝大門付近)の鎮守として応永元年(1394)に勧請されたのが始まりで、寛永年間(1624~1644)に御府内古跡十三社の一社に定められ、その後、旧社地が上地となり、現在地に遷座。

社号は、創建当初は「岸之稲荷」と称していましたが、氏子や信者の中から幸事が続出したため、「幸稲荷神社」と尊称されるようになりました。

また、扁額は「幸神社」「瘡護神社」の二社の社号が掲げられており、末社である瘡護神社は、病気の際に土の団子を供え、平癒したら米の団子を供える風習があり、昔は本社(稲荷神社)よりも参拝者が多かったといいます。

他にも境内には、水をかけて祈願すれば、どんな熱病も癒えたり、子供の夜泣きがたちまち止むといわれる、社宝の御祠石(御福良石)があります。

 

 

幸稲荷神社参拝後、記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

幸稲荷神社の次は東京タワーへ。

 

 

東京タワーは、港区芝公園4丁目にある総合電波塔で、正式名称は「日本電波塔」。

テレビ塔の林立を防ぐため、内藤多仲の設計指導により昭和33年(1958)12月に完成。

高さ333m、重さは4,000tあり、メインデッキ(高さ150m)とトップデッキ(高さ250m)からの眺望が素晴らしいことから、都内随一の観光スポットに。

東京タワーは、これまで東京の全テレビ局の送信所として使われてきましたが、平成25年(2013)5月に、地上デジタルテレビ放送7局の送信所が東京スカイツリーに移転したため、以降は予備電波塔になり、その後の利用方法としては、FM放送用アンテナ、避雷針、航空障害灯、他にも、高度別に取り付けられた東京都環境局の風向風速計、温度計、硫黄酸化物測定器が、大気汚染の調査に利用されるなど、様々な用途で使われています。

また、完成時、自立式鉄塔として世界一の高さを達成した日本を代表する建造物であることから、国の登録有形文化財にも指定されています。

 

 

東京タワーでは、今回は展望台には上らず、東京タワーフットタウンを見学。

東京タワーフットタウンは、東京タワーの足もとにある地下1階、地上5階建ての施設。

1階にはチケットカウンターや展望台に直通するエレベーター乗り場、2階には「東京おみやげたうん」などの名店街、3階には東京タワーオフィシャルショップや企画展示ギャラリーなどがあり、屋上にはメインデッキに通じる直通階段の上り口と下り口があります。

 

 

3階では大人も楽しめる、トミカの発売50周年を記念した特別展示「TOMICA GALLERY in TOWER GALLERY」が開催されていて、私はこっちに夢中に(笑)。

 

 

一方、スイーツ優先のメンバーさんは、ソフトクリームを購入。

 

 

フットタウンで各々過ごしていただいた後は、外に出て、ライトアップが始まった東京タワーを鑑賞。

 

暫し鑑賞後、続いて一時パワースポットとして話題になった蛇塚へ。

 

 

蛇塚は、港区芝公園4丁目、芝公園19号地に造られた人工の渓谷「もみじ谷」にある塚。

由来は、秋田から上京して飲食店を始めた神成志保という女性が、夢に蛇が出るたび商売が繁盛し、そのうち、箪笥から蛇の死体まで出てきたとのこと。

彼女は死体を芝公園に葬りましたが、東京タワーの建設による区画整理を知り、蛇を掘り返し納骨先に困っていたところ、夢の中に「心光院」(港区東麻布1丁目にある浄土宗の寺院)の屋根に上る蛇が現れました。

そこで、住職に供養をお願いしたところ、境内に竜王堂が建立され、もみじ谷にも蛇塚が建てられました。(写真のお地蔵様の後に蛇の像が祀られています)

 

蛇塚の次は、宝珠院へ。

 

 

宝珠院は、港区芝公園4丁目にある、阿弥陀如来を本尊として祀る、貞享2年(1685)に霊玄上人が創建

した浄土宗の寺院。

寺の弁才天は、三井寺(滋賀県)を再興した円珍(智証大師)が、天安2年(858)に琵琶湖に浮かぶ竹生島で彫ったとされ、源頼朝や徳川家康も信仰したといい、開運出世等のご利益があることから、港七福神の一つにも数えられています。

また、閻魔堂には、貞享2年(1685)作と伝わる高さ2mの寄木造の閻魔大王坐像が、右に司録(判決を記録する役)、左に司命(判決を言い渡す役)の二像を従えて祀られており、こちらは港区の指定有形文化財に登録。

この閻魔堂の側面の壁には、自分の悪い行いを閻魔様に申し出て懺悔する「閻魔耳」があります。

その他、境内には「三竦み」を意味するヘビ・カエル・ナメクジの石像なども安置されており、大勢の信仰を集めています。

 

宝珠院の次は、伏見三寶稲荷神社へ。

 

 

途中、眺めの良い赤羽橋交差点から、東京タワーをチェック。

 

 

伏見三寶稲荷神社は、港区芝3丁目に鎮座する、稲荷大明神を祀る神社。

明治初期に幅広く事業を営んでいた小林七兵衛が、近くにあった三宝稲荷を屋敷内に勧請したのが始まりで、その後、伏見稲荷大社(京都)より分祠したといいます。

また、幾度か遷座を繰り返した後、昭和60年(1985)に現在地に鎮座しました。

 

伏見三寶稲荷神社の次は、三田春日神社へ。

 

 

途中、三田通りを横断中に再び、東京タワーをチェック。

 

 

三田春日神社は、港区三田2丁目に鎮座する、天児屋根命を御祭神として祀る神社。

由緒は、天徳2年(958)、武蔵国国司・藤原正房が任国の折、大和国・春日大社の第三殿に祀られている天児屋根命を現在の目黒区三田に勧請。

その後、天文年間(1532~1555)に目黒三田より、現在地に遷座。

戦前の建物はすべて欅造りで、彫刻も見事なものでありましたが、戦禍により焼失。

戦後、昭和34年(1959)9月、春日造りの本殿・幣殿・拝殿のほか、末社稲荷社・鳥居・社務所の増築をして、戦後復興事業を完了。

そして、平成5年(1993)、三田通り拡幅にともない社務所を新築。

平成7年(1995)に境内整備を終え、平成14年(2002)11月、狛犬を建立。

祝詞の神、出世の神として崇敬を集めています。

 

こんなふうにあちこち巡って、三田駅でお散歩終了、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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