松山 晴れ

仕事の合間、秋空に映える松山城へ登城する。


夢と感動さがし-松山城


松山や秋より高き天守閣、

子規の歌の通り、山の上に高くそびえる天守がある。

麓に二の丸三の丸があり

四国最大規模の城郭である。


関ヶ原後、加藤嘉明が20万石で入り

築城に着手、その際に松山と名付けたのが松山の始まりである。

その後蒲生氏を経て松平定行が藩主となる。

この松平家は家康の異父弟の定勝の家系で久松家の松平家である。

ちょっと複雑である。

松平家として入るわけだから親藩である。これが幕末まで続き佐幕派として

土佐藩に攻められ官位剥奪、蟄居を命じられる。

後に姓を久松家に戻し賠償金を払い蟄居を免除され伊予藩知事となる、

その頃が司馬さんの「坂の上の雲の時代」である。



夢と感動さがし-松山城階段

長くなったが、本丸の石垣、本丸の櫓、天守が現存する

高知城と並び遺構が多い城である。

城全体が戦闘能力の高い城であるが、櫓と天守はどこか

華麗で優雅な城である。


夢と感動さがし-松山城天守

明治維新の後、開花期を迎えた近代日本、

親藩で佐幕派と言われ乗り遅れた伊予の国に

子規も秋山兄弟もこの城を眺め這い上がってきた。

彼らと同じ位置から城を眺め立ち尽くし

激動の時代を命を賭して生き抜き礎を築いた彼らに

恥じないよう笑われなよう生きなければと

気が引き締まる。