https://truewestmagazine.com/old-west-homosexuality-homos-on-the-range/
この記事の訳
時間がなくてなかなか終わらないのでとりあえず前半だけ
牧場の同性愛者たち
西部はどのくらい"ゲイだった"のか?
オールド・ウエスト時代の同性愛に関して一番驚くべきことは、荒々しく男らしいカウボーイの世界においてそれが特別珍しかったわけではなく、むしろ一般的でそれほど大した問題ではなかったということだ。
それはよく耳にする話とは真逆だ。西部には強く雄々しい男たちが住んでいたのだと人々は言う。ロープと馬、そしてもちろん最も男性の象徴とされる銃だけを持って、放牧地で何ヶ月も暮らせるような強い男たちが。
このような男性性の象徴を、ほかの男性のセクシャリティと一体化させて考えることは、マルボロを好んでいて肺がんで死んだ男性を探すようなものだ。それは、多くの人が不快に感じるであろう「断絶」だ。
実際に歴史博士のClifford P. Westermeierは、同性愛者であろうとなかろうと、カウボーイの性行為についてのあらゆる考察はそのようなデリケートな話題であると述べた。(1975年、Red River Valley Historical Review “Cowboy Sexuality: A Historical No-No?”)
「民衆の英雄、歴史上の模範となるもの、伝説、そして何よりアメリカン・カウボーイの遺した財産をもてあそぶのは、おそらく『天使が踏み入るのを恐れる場所へ愚者は飛び込む』ということわざが示す場所よりも危険だろう」
Westermeierはそのように記述している。
伝統的なカウボーイには4つの失敗があると彼は言う。飲酒、賭け事、女遊び、暴力だ。
「女遊びはよくほのめかされる。しかしそれは、彼の熱狂的な楽しみの中でも、くわしい実態が一番わからないものなのだ」
ほとんどの人がカウボーイは『女』遊びをするものだと考えるが、その予想はいつでも正しいわけではない。けれどそうかと言って、現代の同性愛が意味することと同じと言うわけでもないのだ。
「同性愛の歴史を知ることは大切です」コロラド大学歴史学部主任教授のPeter Boagは言う。
「19世紀のほとんどを通じて、実際に人々を同性愛者もしくは異性愛者と名付けたりすることはありませんでした。そういったアイデンティティが本当に明らかになったのは、20世紀以降なのです」
2003年に著書『Same Sex Affairs』を記したBoagはこう説明する。
「男性のみの集団においては、同性同士の関係は珍しいことではありませんでした。それは本当に容認された行為だったのです。そういった関係にある人々は同性愛者として見られていませんでした」
その主張は“Paradise of Bachelors: The Social World of Men in Nineteenth-Century America.” の記事の中でも強く支持されている。
「女性が不在であるとき、同性間の恋愛と友情とを隔てるあやふやな線はよりぼやけていき、よく言われる『普通の』性的役割というものが試され、不安定になった。男性たちはひっそりと、またあからさまに、ほかの男性に感じた性的な繋がりを表明することができた。
南カリフォルニアのエンジェル・キャンプの鉱夫たちがダンスパーティーを開いたとき、半数の男性は女性役となって踊り、彼らが『女役』であるとわかるようにズボンのクロッチを覆う継ぎを当てた」
しかし誰も彼らをゲイだとは呼ばなかっただろう。同性愛者とさえ呼ばなかった−−−その言葉は1868年までは使われることさえなかった。(異性愛者という言葉はもっと新しく、1924年に初めて印字された。)
彼らはパンクと呼ばれていたのかもしれない、と1997年の記事でPatricia Nell Warrenは語っている。
「パンクという言葉は、今は男子刑務所での若い同性パートナーを指すが、過去には牧場でのカウボーイたちの性的関係を示す用語としてよく使われた」
そこには同性間の『結婚』を指す言葉さえあったという。“Paradise of Bachelors”にはこう書かれている。
「カウボーイや鉱夫たちは、ほかの男性たちが『独身どうしの結婚』として認識していた(そしてときどき言及していた)パートナーシップを築いた」
一方ネイティブ・アメリカンの人々は、そういった人々を隠すことなく認め、彼らのことを示す『新しい性』という言葉を使っていた。生まれ持った性別とは逆の性別の服装や仕事を好む人々を指す言葉だ。人類学者たちはそのberdacheという言葉を今でも使っている。
「Zuni族の人々は、女性の仕事である手芸に優れている男性(そして男性の仕事に優れている女性)は2つの性別を併せ持っていると考えていた」
1991年に出版された『The Zuni Man-Woman』の著者であるWill Roscoeは、そのように記している。
「このことで、彼らはあらゆる面において特別な存在となった」
彼は大陸のすべての地域で、130以上の北アメリカ部族が"berdache"たちのことを文書化しているのを発見した。
「伝統的な原住民たちの社会では、berdacheたちは異例の存在ではなかった」
彼はそう記している。
「彼らはなくてはならない存在であり、生産性に優れ、コミュニティにおいて価値のあるメンバーだった。
しかしアメリカに持ち込まれたヨーロッパの文化には、彼らに相当する役割はまったく存在しなかった。berdacheたちを見たヨーロッパの人々は、彼らのことを正確に説明することができなかったし、ネイティブ・アメリカンの社会における彼らの立ち位置を理解することもできなかった」
彼の本は『Zuniの乙女』We'whaに焦点を当てている。
「もしかすると、彼女はネイティブ・アメリカン史上もっとも有名なberdacheかもしれない」と彼は語る。
これらは、そうした事柄に関心を持ってきた人々にとっては新しい発見ではない。1948年にはすでに、Alfred C. Kinseyが"Sexual Behavior in the Human Male"で「私たちが今まで感知してきた同性愛者たちの大半は、地方の特定のコミュニティに属していた」と発表し、多くの人が衝撃を受けた。
彼は続けて次のように説明している。
「西部の農村部には、若くない男性たちの間での性的関係が多く見られる。それはおそらく開拓者やアウトドアに親しむ男たちによくある、ひとつの同性愛の形なのだろう。
今日では牧場で働く男性や牛飼い、探鉱者、木こり、農家がそれに当たる。
彼らは男盛りで活発だ。そして自然の厳しさに直面する者でもある。彼らは手で触れる現実の上に生き、理論的なことは気にしない。そのような背景から、彼らはセックスの相手が男性であっても構わないと考える。
可能なときには女性と性的関係をもつが、野外でのルーチンワークのために男性しかいない集団に入ったときには他の男性と関係をもつ」
あまり学術的ではないアプローチだが、この西部の古い詩は同じ点を指摘している。
若いカウボーイたちは大いなる恐怖に震えている
Young cowboys had a great fear
ビールで満たされたあの老いた馬たち
That old studs once filled with beer
すっかり腐ったビールだ
Completely addle’
彼らは鞍を付けて
They’d throw on the saddle
その後ろに乗るだろう
And ride them on the rear.
同性愛者たちはお互いの好みを知るために、「暗号」を持っていた。もし誰かがWalt Whitman−−−アメリカの有名な詩人である彼の名前、写真、著作−−−に関することを持ち出したら、それはWhitmanの"男性の好み"を彼らが共有しているということを示していた。
(補足:Walt Whitmanは、当時からゲイあるいはバイセクシャルだろうと言われていた詩人)
この問題においてもっとも論争の的となっている点のひとつは、初めのころのモルモン教会がどのように同性愛と折り合いをつけたのかということだ。
それを明らかにした歴史家のD. Michael Quinnは破門されてしまった。
彼はアメリカの宗教に、"カウボーイの宿泊所"と同じ(性に対して開放的な)考え方を発見したという−−−1800年代には男女の親しさを露わにすることが許されるだけでなく、推奨されていた。
Quinnは、モルモン教設立者であるJoseph Smithが書いた以下の文を引用している。"男性の友人たちは、夜には同じベッドに寝てしっかりと抱き合いながら、互いの愛について語り合うべきだ。" Smithは、彼自身もそのような行為をしたのだと言う。
同性愛の行為は、異性愛者の不貞行為ほど重い罪とは見なされなかったとQuinnは主張する。モルモン教の指導者と審判者には、「未婚の関係で行われる性行為よりも、同性愛の方がより寛容に受け止められていた」のだという。
上記のいずれも、今まで信じられてきた「西部の神話」とは真逆のことばかりだ。ハリウッドでさえもそれらを遠ざけてきた。
もしあなたが西部劇を学ぶ学生なら、おそらく長年にわたる数千作の中で唯一のオープンリー・ゲイのキャラクターを思い浮かべることができるだろう。それは"Little Big Man"に出演するゲイのネイティブ・アメリカンだ。
西部劇ファンがそのコミカルなネイティブ・アメリカンを見るのは問題ないという意見もあるだろう。なぜなら彼らはよく"敵"として描写されるからだ。一方で同性愛者のカウボーイが出演するのは問題があるとされる。(もちろん"Midnight Cowboy(真夜中のカーボーイ)"に出演するJoe Buckは両方の性的指向を持っていたが、ほとんどの人はこの映画を西部劇だとは考えない。)
けれどもうすぐ劇場で公開される作品は、同性愛をテーマにしたリアルな西部劇、Heath LedgerとJake Gyllenhaalが出演する"Brokeback Mountain(ブロークバック・マウンテン)"だ。
ピュリッツァー賞受賞作家Annie Proulxによる短編がもとになっている作品で、アカデミー賞受賞監督であるAng Leeがメガホンを握った。
「ワイオミングとテキサスの素晴らしい風景をバックにした壮大なラブストーリー」だと言われている。
プロデューサーであるJames Schamusは「とても、とてもレトロなラブストーリーだ」と語る。
「感情を揺り動かされたのに、社会の規律がそれを追い求めるのを阻む。人生におけるそういう瞬間に、Angは心を奪われたんだ」
Focus Featuresは自社の作品についてこう説明する。
「Brokeback Mountainは二人の青年の物語だ。牧場労働者とロデオ・カウボーイの彼らは1963年の夏に出会った。そして予想もしなかった、一生のつながりを持つことになる。彼らの混乱、喜び、そして悲しみは、忍耐力と愛の力を証明するものとなる。」