私は今現在市川市真間にございます、弘法寺というお寺にお勤めしております、藤井大基でございます。

私は平成28年の4月に弘法寺に随身としてお給仕させて頂く事となり、はやいものでもう3年目でございます。

真間の弘法寺はとても境内が広く、また自然も大変多いです。

今の季節ですと、落ち葉が来る日も来る日も落ち掃き掃除が大変です。

外で掃除をしていると、

「こんにちは」

「ご苦労様です」

とお参りの方々が挨拶を致します。

私も笑顔で「お参りご苦労様でした」とご挨拶いたします。

人として挨拶をするということは、当たり前の事ではありますが、ではなぜ挨拶をするのか。

そう私が思ったある出来事がありましたので少しばかりお話させて頂きます。

ある日、友人4人で食事をしていると「会社の同期の1人が挨拶を返してくれない。どうしてだろう?」とつぶやいた。他の2人は社会人としてダメであるとか気にしない方がいいと言っていましたが、私は深く考えてしましました。

「挨拶」の語源を紐解いてみると、禅宗で問答を交わして相手の悟りの深浅を試すことを「一挨一拶」という、その言葉に由来するそうです。「挨」には「押し開く」「互いに心を開いて近づく」、「拶」には「迫る」「擦り寄る」といった意味があるそうです。

つまり、挨拶は「あなたはご大切なひとなのですよ」と伝える最良の手段であり、お互いが、お互いのおかげで生きていることを自覚し合う、かけがえのない機会なのです。

これは仏教の精神にも通ずるところが大いにあると思います。

ですから、私もますます日々の挨拶を大切にしなければならないと思う今日この頃でございます。