北行急行... -6ページ目

北行急行...

素敵な唄、想いとともに時間(とき)を越えて旅する、北行急行(North Express)の旅日記...。

3月4日(土)、新しい自家用車が納車されました。
今回は乗用車ではなく貨物車の(日産)キャラバンにしました。

大きく見えますが小型車(5ナンバー)サイズにおさまっています。
※これまでより全長が約100mm長く全幅は約90mm狭く、ホイールベースも100mmほど短くなりましたが、最小回転半径は(エクストレイルの)5.3mから5.7mと小回りが利かなくなっています(2WDは5.2m)。

昨年8月はじめにダンパーからのオイル漏れ修理、(ついでに)エンジンオイル交換でディーラーへ。
その場で新車購入の話になり、そのまま契約(発注)。約7ヶ月間の期間を経て納車となりました。
発注から半年以上過ぎると新車購入熱も冷めますね。いまのままでもいいかなって(笑。

とりあえずはベッド、テーブル、ポータブル電源を装備して撮影の足仕様にする予定です。
撮影地に前乗り、翌早朝からの撮影も快適になりそうです(足を伸ばして寝られると疲れ具合が違います)。
それからパソコン、wi-fi、携帯電話があればどこにいても仕事ができる環境になってきているので、机を備え付けて移動現場事務所にしてみようかとも考えています。
嫌いな会社にわざわざ行かず仕事をするとかいいじゃありませんか(^▽^)
※仕事が嫌いなのではなく会社が嫌い
仕事がどれだけ捗るのか実験してみたいと思います。

T31 エクストレイルは納車から約14年、約211,700km走りました。
その前の車(R20 ミストラル)は13年 266,000kmでしたので、ちょっと乗り足りない感じでした。
今回(!?)は300,000kmくらいは走りたいですねぇ…。

 

車内の整理をしていたら、さくらかおりさんが出てきました(*´∀`)

あけましておめでとうございます。

 

久し振りのブログになりますが、「前に書いたのいつだっけ?」と思い読み返したら、2021/12/7、母親が亡くなったことを記したものでした。
2022年はブログを書いていなかったようです(´・ω・`)

この年末年始も帰省する予定にしていましたが、新型コロナウィルスの感染者が増えて(身近にも数名)いるので中止としました。
関東にいるので年末(大晦日)は最後の日の入り(茨城県 ひたちなか市)を、元旦は初日の出(東京都立某公園)を撮ってきました。
ここ数年撮影に行く回数が減っているので、今年(こそ)は回復させたいところです。
2月ごろには自家用車の入れ替えも予定していますし、それつながりでいろいろと計画していることも(^^*)
やりたいことは尽きないので楽しんでいきましょう。
ことしもよろしくお願いします。

 

※だいたい50人くらいの人が集まります

 

※太陽が昇ると夜明け前の静かな公園に戻ります

 

※2022年最後の日の入り

列車が写っているんだけど、後ろの木が大きくなってわかりにくくなりました。

 

※夕刻のブルーアワー(2022年最後)

2021(令和3)/9/1、母が亡くなりました。
行年78歳でした。

早いもので3ヶ月が経過。
8月中旬のあわてた帰省、お葬式、納骨、四十九日。
実家の小工事(機械警備)を終えて、やっと一段落、ブログのUPとなりました。
まぁ、お時間ある方ご覧ください。


7~8年前からパーキンソン病を患い、闘病中でした。
闘病と言っても、進行を遅らせる以外の手立てがなく、何れは…という病です。

昨年(2020年)の1月(正月)に帰省したときは、自宅でほぼ寝たきりの生活。
同年2月に施設で面倒をみてもらうようになり、その後は新型コロナ云々で会いに行くこともできず。
(父親も腰痛等で面倒をみきれなくなっていたこともあり、タイミングとしては悪くなかったと考えています)

今年8月中旬に父親から「もう幾らも生きられない、会わせたい人に会わせておけ」なる趣旨の話を医者からされたと連絡があり、PCR検査の陰性を確認してからの帰省になりました。
ちょうど仕事で某病院にいたときに連絡をもらったのですが、総務課長に話したら「いいですよ、すぐ手配します」と当日に検査をうけることができました。
看護師さんも「帰省するなら早いほうがいいですよね、すぐに検査結果が出るようにします」と、普段は外注しているPCR検査を院内でやってくれた様子でした。

帰省のタイミングが合った弟、父親、俺の3人で母親の元へ。
(新型コロナウィルスのこともあり)施設での面会は15分だけ。
母親は目は開いているものの会話もできず、こちらの話も理解しているのかわからないまま。
「家族4人がそろったの、何年ぶりかな?」とは言えず仕舞い。


9/1、いつもより早く出勤していました(6:30ごろ)。
父親より電話があり「母さんが亡くなったようだ」と。
「ようだ」とはなんだ? と問うたところ、「死亡確認ができていない、医者の回診時に確認ができる」って話でした。
「あぶないときは、施設に泊まるように」と言われていたようですが、その様子がないまま亡くなったようです。
誰にも看取られることはありませんでしたが、「あまり迷惑をかけぬよう」という、最後の心遣いだったのかもしれません。

実は婆様もそうでした。
付き添いの方が席を外した30分くらいの間に、息を引き取っていました。
こういったところは、いい意味で嫁入りした先に染まっていたのかもしれません(もちろん素質(!?)もあったと思います)。
亡くなったこと以上に、(想像ではありますが)こんなところに涙です。


9/3に弟と帰省、9/4に納棺、9/6に葬儀と、まぁいろいろといそがしかったです。
どうせ暇だから、ちょっと仕事ができるだろうとPC持って帰ったけど、そうでもなかった(笑。
葬儀場に宿泊施設が併設されていて、ほぼそこで過ごしました(時々実家に帰ったけど)。

納棺師のお仕事を身近に感じたり、(お葬式の)会場設営を覗いてみたり、いい経験をさせてもらったと思います。
普通は開場作りの様子なんて見ないですよね。
でもね、スタッフさんが汗ふきながら会場を作っている姿は、ありがたく感じました。
※結婚式やお葬式の会場って上着を脱げないから、普段の冷房よりも冷えるようにできているんですけどね。

※壇上に登って見たけれど、すごくよくできてるの(´∀`*)

お葬式当日は、7:30集合。
友引の前後は他の方のお葬式が詰まりやすいそうです。
なので出棺が遅れないよう念を押されました(^_^;) まぁ仕方がありません。
出棺経~出棺~火葬~葬儀とトイレに行く暇もないほどのスケジュールのはずでしたが、そこは母親の配慮(!?)か、全体的に巻いた状態で進みました。休憩時間も思いの外多かったです。
インチキ和尚の言葉も、こんな気持ちのときはありがたく聞こえてきて、不思議なものです(知らないふりしてるけど、和尚さんは同級生だったりします)。


「会場に飾る写真を何枚か用意してほしい」と葬儀屋さんに言われていました(葬儀前日)。
父親、弟と3人で写真を選んでいましたが、「こんな感じの演出だよね」と話しながら選ぶ兄弟に対して、想い出話が多くなる父親。必然的に写真の枚数も多くなります。
葬儀屋さんは「大丈夫ですよ」と。
限られたスペースに上手に飾ってもらいました。
写真を預ける際に、撮影した年(年代、順番)をしつこく聞かれ、「なぜだろう???」と思っていましたが、葬儀途中で映像が流され、「これかぁ」と納得。こちらも上手にまとまっていて、感動ものでした(DVDもらいました)。


葬儀が終わって帰宅、葬儀屋さんが会場に飾っていた写真や、生花を持ってきてくれました。この辺でやっと一息ついた感じです。
葬儀屋さんと雑談交えていろいろ会話。
「あの映像、よくできてたねぇ(^^*) 撮影した年をしつこく聞くから、なんでかなぁ?って思ってたよ」と話すと、徹夜でつくりました、と。

まっぴー(以下、ま)「○○(葬儀屋さんの担当)さんって、この仕事やって何年くらいになるんです?」
葬儀屋(以下、葬)「2年ちょっとですかね」
ま「何でこの仕事はじめたんですか?」
葬「やりたかったんです」
ま「おおおぉ、そうなんだぁ。でもさ、みんな淡々とこなしてる(ように見える)じゃん、そんな感じなんかねぇ」
葬「そんなことないですよ、影で泣いちゃうことだってありますよ。感情(が)入りますからね」
こんな会話をしましたが、「やりたかったんです」って言葉に感動してました。

納棺師の方の仕事もそうかもしれません。
おそらく故人とは会ったことがないはず。生前の姿を想像しながらやっているんでしょう。
生前は気がつかなかったのですが、(死化粧をした顔は)他界した(母方の)婆様にそっくりでした。
「あんまり気にしてなかったけど、やっぱり母娘なんだんぇ」と、弟と話していました。


遺された者は、故人の想いを繋げていかなければならない。あまりへこんでばかりもいられないのです。
もしかしたら忌み嫌われる仕事なのかもしれないけど、一歩前へ進み出せるよう、足下を固めてくれているような、そんな仕事に感じました。
そんな風に感じたもの、母の死があったからと思います。
ある意味大きな出逢いを残して、母は旅だったのかもしれませんね。
死というものは、大切にしなきゃいけないものだと、あらためて実感している今日この頃です。

会場は広かったもののコロナ禍云々もあり、多くの方には焼香だけでお帰りいただきました。
この場を借りて(!?)、あらためてお礼を申し上げます。