near’s vision

near’s vision

深海魚のようにひっそりと生きてきた人間ですが

深海を飛び出して

その眼になにが映るかな

その眼でなにが見えるかな

見て感じたものを記していくそんな感じの

でもやっぱりひっそりとしたブログです。

Amebaでブログを始めよう!
知らなければ


選ぶことすらできない


自分の人生ならば


自分で選んでいきたい


だから僕は


たくさんとことを知りたい


世の中に知らなくていいことが


あるのだとしても




Android携帯からの投稿
人は限りなく弱く


脆く


ブレてしまう。


やはりそんな生き物なのだろう。


時々そんな風に思う。


強く強くいたいと思っても


弱い自分が現れてしまう。


曲がらないように曲がらないようにと


背を伸ばしても


真っ直ぐにいられない自分が現れてしまう。


皆平等に。


きっとそんなもんだ


きっと。


自分自身の為に生きていたのなら


こんなもんだ


自身のことだけならこんなもんだ。


人であることの限界の一つだろう


だけど


もしも


これから


自分自身の為だけではなく


誰かの為に生きられるのなら。


大切な誰かの為に


生きられるのなら。


人は限りなく強くなれるし


逞しく


真っ直ぐに


いられるだろう。


これからの僕は


そんな風に


生きていける。


今僕は


誰かの為に


生きている。


真っ直ぐに。
我が家では牛乳は僕しか飲まない

でも最近は減るのが早かったんだ

どうやらばあちゃんが

じいちゃんの為に温めて飲ませてあげてるらしい

そんなじいちゃんは

癌に侵されている

肺癌

ヘビースモーカーだし

84歳だし

仕方のない事実なのだろう

放射線治療をして一時は良くなったのだけど

結局のところ

治りはしなかったんだ

昔は暴れん坊だったじいちゃんも

すっかり弱ってしまった

悲しいほどに

そんなじいちゃんに

ばあちゃんは牛乳を温める

薬なんかじゃない

そんなんで治るわけがない

そんなの分かってる

けれども少しでも身体にいいものをと

牛乳を温める

それは祈りであり

何十年もの思いのこもる愛情でもあるのだろう

温かい温かい思い

そう考えると

僕は涙が止まらなかった

そしてじいちゃんは眠るように

息を引き取った

僕はじいちゃんが亡くなる少し前

じいちゃんの手を握っていた

もはやろくに口も聞けず

目もあまり見えてないようだった

それでも僕は

手を握った

強く

強く握った

暴れん坊だったじいちゃん

でも家族に為に必死に働いたじいちゃん

かっこよかったじいちゃんの

バトンを受け継ぎたかったんだ

僕は継ぐ

僕は繋ぐ

じいちゃんから僕

僕から未来へ

そしてばあちゃんの牛乳のような

温かい思いで生きてく