仕事始めから二日目で休日日曜日。
こんなにも寝て こんなにもダラダラと過ごした今日...
日頃から、何かをしてないと...あれやらなきゃ、これやらなきゃ...
罪悪感に駆られる傾向の私。
生産性がないと 存在価値を否定してしまいそうで。
元来は のほほーんと 自由気ままな子ども時代を過ごしたはずで。頭の中も 空想妄想で時を過ごしていた。
いつの頃からだろう...
必要とされたい?......
あ〜、恋を覚えた頃かなぁー(´・∀・)
うんうん、確かに 「存在価値」なんて、子どもの頃に言葉自体も知らなければ 考えもない。価値観も自分の認識ではない。
友情も気の合う者同士で、執着もなければ自由。
恋は獲得したくなるもの...
そのためには、対象にとって価値のある存在でなければならず。
「あなたのために~」の私の価値。
そのためには 自分基準、本意じゃなくなること。
そして、どうにか獲得したらしたで継続持続せねばならず。
そして、子どもを産んだら そりゃもう母性全開で本当に「全てを子どものために~」が発動する。
したらば、両立困難。
自分以外の 全てに「何かを」注いでいるつもりでいたら、崩壊寸前。
そろそろ「ヤバいっすよー」と 予期せぬ出来事起こり始め、はたと「?なにやってんの?自分どこさ?」と気づかざるを得ず。
んで!無我夢中とはこのことぞ、とばかりに あれよあれよと りこーん(離婚)。
かれこれシングルマザー6年近く。ここにきて 昨年下半期から 急勾配で 何?何?色々巻き起こりながら、対処対応するのみ。
湧き出てくる感情やエゴを ポジティブ?に抑え込んだり。
けれど...そろそろ、私の鏡の様な我が娘が、自己確立し始める年頃に差し掛かってきた。
私達のアンテナは結構強く、お互い考えてたことが同じだったり 偶然の一致も多々ある。
知らず知らずのお互いの影響力が 敏感に交錯し始める。
年末に初めてお互い声を荒らげた不一致があった。
娘「ママは私のこと分かってない!」
私「私はあんたを守りたい一心でやってきた!」
今にして思えばまるで昼ドラの様な喧嘩のセリフだった(笑)
そんな光景のなか、「あー、一心同体ではなくなってきたな」って感覚が私の中に走った。
親の願い通りに歩まなかった罪悪感、母に「あなたのためを思って」と言われた嫌悪感。
その感覚も同時に蘇る。
喧嘩の発端も、離婚した元旦那の事が原因で(娘にとっては父親)。
尚更私の感情がモコモコと必死で押さえる手の隙間から溢れ出る構図。
そして...
言われ得ぬ 孤独と愛情。
たしかに 冷静と沈黙、平穏と安らぎを保てたなら...
覚醒者に憧れる。もしかしたら、覚醒とは自覚がないのかも。
生理的欲求を満たし、だらしなく過ごした今日。
(横目には冬休みの宿題に追われる娘)
ただ、そこにいた 私。
差し込む太陽の温もりに気持ち良くなって三度寝をする私。
価値なんて関係なく 眠った私。
ダラシナイって思った時点で価値判断だけど、緩める日にした。
お互い伝播する娘に 緩く優しくいれたらと...