先日、セッション。

私が誰なのか…判断なく 存在として ただ ただ ある事を感じ微笑んでくれる人(妖精?(・∀・))と。

その夜 書きなぐった 私の文章。

いつぶりかの ブログUPで明かします。



私は 命 という名のもとに生まれた。
生命とは 命令?

産着をまとってる頃までの私は 光に包まれていた。

記憶、言葉を習得し始めた頃と同時に 「ごめんなさい」という感覚がどこかに張りついていた。  私が私のままでいると    誰かを 傷つけ、傷つけられるんじゃないかと。

そして 自分を許さなかった。
自分のままでいることを。


でも、子どもの私は、夢があった。

だから、トライしていきたかった。
「ごめんなさい」と言いながら。


彼(ダンナ)は、自分のままで生きている(様に見えた)自由だと思った。 そんな彼を 私は支えたい 応援したいと思った。

母性なのか…
やんちゃな子どもを微笑ましく見守る母親のように。

そして 私は(本当の)子どもを産んだ。
本物の母性は コントロールは必要ない。
自然と芽生えて、自然と成長して、自然と離れていく。

恋愛感情や執着の中でうまれた 母性は…

いつからだろう

母性=犠牲

子どもは 犠牲を望んでいない。

母親(親)の犠牲は 子どもの罪悪感に移行する。

そして 連鎖。

鎖を解き放て…


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