私は そんなに優しさに枯渇していたのか・・・・。


「優しくあらねば」という意識はあったと思う。

だが 優しさを受け取る 心の余裕がなかった・・・。

ということは私が人に相手に優しくしていたつもりのものは

心からのものではなく、偽善や押し付けだったのか・・。


嫌な想いをしても 不快になっても

感情を押し殺し 黙って笑顔をつくる・・・。

それが 相手を受け入れる という心の構造が私だった・・。


私が幼少期から 喜怒哀楽 「怒」をうまく出せない

その場で うまく相違の感情を伝えられなかった。


黙って押し殺し溜めていき 傷つき、

自分の感情 言葉で 相手を傷つけることをも

恐れた。


感情や相違をうまく伝えられない短所が最近になって

意識に表面化してきてはいた。


「優しさ」から逸れてしまったが・・・・。

看護師さんたちは 患者をケアするという

仕事上の優しさだったかもしれない。

でも 仕事でだろうが優しさにあふれた手術室の

光景が頭から離れない。


子どものように 素直に優しさに感動した私。


「~な自分でありたい」 「~でなくては」

「~しなければ」etc・・・ そう思う意識と反比例な

自分になっていた。


「今の自分を受け入れよう」

「このままの私でいい」


頭では何度も何度も繰り返してきた。


「もう・・・いい・・・。」

やっと少しずつ 自由?になってきたかもな・・・。


まだまだ イライラや不安がよぎる自分は払拭できないが

それも否定せず・・。





停滞? 後退?している私だが、

娘は 私に笑顔を振りまいてくれてる・・・・・・・・・。