育児専念の主婦から 社会復帰したのが二年と四ヶ月まえ。


そして 今日、その仕事(飲食店パート)を辞めました・・・。


 25歳のときに 夢を忘れられず 上京してから

ミュージカルスクールに通いつつ始めた 飲食店(居酒屋等)のアルバイト。

 上京するまで 実家でぬくぬくと 経済観念をまったく身に着けてなかった

私は、 アルバイトも適当だった。 そして ある居酒屋で 店長の

仕事への熱さ 接客業の醍醐味など・・に感化され

アルバイトに熱が入り始めたのは良かったが、次第に

ミュージカル 舞台への熱さより アルバイトへの熱さが増していった。


そして その私を感化した店長は 後に(6年後)

私の主人となる。


 人生の歩む道の 分岐点や歩いてるうちに変わっていった景色・・。


両親の愛?ゆえの 両親の目が届く箱の中でしか 自分を出せずに

お利口さんでいた私・・・。

 志望大学に受からず 芝居の道に飛び出したかったが、

親の言うことを聞いてしまい 行きたくもない短大へ行き、

保育士資格を取得、流れで児童厚生員(児童館)の職に就く。


とはいうものの

 子ども達と触れ合ううちに 子ども達の人間の本質・・・

に惹きつけられていく・・・。

 子ども達に ミュージカル舞台経験を踏ませられる 機会を

与えられ、指導していくうちに やっぱり 一度は自分の夢に

トライしたい!と 25歳という遅まきながらの 上京だった。



 自分のことだけを考え 感じてれば良かった・・・・あの頃。


今は 自分のことを二の次にしても 娘の成長発達を敏感に?

感知して 切磋琢磨・・・。


 私の両親は 末娘の私を育てるのに きっと「守る」

事がベースの愛情だったのだろう・・・・。

「可愛い子には 旅させろ」でなく 「可愛い子は守りぬけ」かな。


でも 自立を言葉でしか捉えられなかった私は 

かなり鈍感で 無知だった。


 上京してようやく ヨチヨチ歩きはじめ 危険や安全を

体感して覚える子どもと同じような感じだった。


・・・・・・・・・こんなことを書くつもりじゃなかったのだが・・・あせ



 上京してから 接客業(飲食店)ばかりやってきたが

それはそれで サービス業のホスピタリティーや難しさを

身につけることができて 経験してきて良かったと思っている。


 社会復帰する際は とにかく仕事に就くのに 経験の長さや

感覚が身についてる飲食店のパートで探し、案の定

即座に採用された。


 でも今 大きなことは言えないが、「子ども」が頭の中の

キーワードとして 再就職活動を迎えようとしている。


娘がまだ乳児期の頃は 自分の子だけで精一杯だ!

と感じていたが 娘が幼児期となり 情緒面の

著しい発達を 感じると 児童厚生員の頃の感覚が

よぎる。


 今日 怒涛のランチタイムパートをあがったばかりで

何も具体的に動いてないので どう転ぶか分からないが

 気負いすぎると 逆に動けなくなる性分なので

適度に就活していきたい。

(といっても 猶予は二ヶ月だが・・・ぶた


 今後の自分に乞うご期待。

何の仕事に就くかも乞うご期待。