思い込みはコワイものですよ | 『遊び』のススメ

『遊び』のススメ

独自の視点で見たこと、聞いたこと、感じたことを書き連ねて参ります。(^^)v

いろんな物事を見聞きするうち、知らず知らずに自分の中に作り上げられてしまう『観念』。
初めて見知ったことが幾度となく繰り返されて、それが当然なのだ、『当たり前』なのだと固着します。
そうして出来上がり固まってしまった『固定観念』は、自分でも気づかないうちに自身を縛り上げてしまいます。
なにか自分に変化が訪れようとするとき、この固定観念は強力に作用します。
(そんなはずは、ないのだ)と。

例えば。
宝くじの高額当選者は、自分で当選番号を何度も何度も確認してみても、『信じられない!』『夢じゃないのか?』と受け入れられないんだそうです。
当選金の引き換えが始まるまでの数日間は夢と現実の狭間を漂うように過ごし、いよいよ銀行へ向かいます。
(オカン、頼むから起こしに来んなよ)
などと、まだ夢でないことを祈りつつ。

銀号の窓口で当選くじを差し出したら、『先ず宝くじ売り場の端末で当選金振出伝票もらってください』と言われてもう一回ドキドキします。
窓口のおばちゃんに『おめでとうございます!!』と言ってもらえました。
ここでようやく事実だと確信することになります。
あとは銀行窓口で出金されるだけ。

これ、すべて固定観念が様々なところで何事もなかったように引き戻そうする作用を働かせた結果なんですね。

宝くじ当選という事実は自分にとってハッピーなことに違いないんですが、それまでの経験上から固められた観念のなかに、(そうそうハッピーなことはないのだ)という形式が出来上がってしまっていれば、夢から醒めて傷つき悲しむ自分という状況に落とし込みたくないという守りの本能が裏で動きだします。
本当かどうか心配するあまり、胃が痛くなるとかありますしね。

人間はその生存本能に従って安全や安心を求めるものですから、普段と違うことが起こりそうになると、その良し悪しに関わらずに『現状維持』に向かおうとします。
宝くじ高額当選してるのに、『そんなはずない。もしかしたら夢かもしれん。』と右往左往するのは、そういう内側の心の問題です。
それは側から見てたら滑稽なほど。

それもこれも、すべては人の『思い込み』がなせること。
(そういうことも、あるかもしれん)と柔軟性をもっていれば、例えば意に反して良いことが起こっても、慌てふためいて要らぬ心配をしなくて済みますよー。