※長々と書いてます。飽きにご注意ください。
『ブルーインパルス』
航空自衛隊 第4航空団飛行群 第11飛行隊というのが正式名称で、『ブルーインパルス』の名の元は航空管制上のコールサインですが、愛称としても定着してます。
自衛隊関連のイベントや、国の大きな催事などで展示飛行します。
そのルーツは戦前の横須賀海軍航空隊に始まり、終戦を経て航空自衛隊の創設、現在に至るところ。
戦前、一般からの献金で製造された航空機を『報国号』と称してました。
その受け渡し式典のときに曲芸飛行を行ったというのが原型のようです。
(さすがに公式には曲芸とは呼ばず、編隊特殊飛行としたそうです)
折しも柳条湖事件を機に満州を制圧するなどで日本社会は高揚、報国号の献納数も増えたため編隊特殊飛行の機会も増え、その頃、編隊特殊飛行チームを引き継いだのが源田實でした。
【源田實】旧帝国海軍の戦闘機パイロット。
真珠湾攻撃時、南雲第一航空艦隊の航空参謀。
大本営海軍参謀を務めた後に第三四三海軍航空隊を編制、司令に転出し終戦を迎える。
戦後、航空自衛隊に入隊、退官、自民党から参院出馬し当選、4期を務めて引退。
戦後、航空自衛隊が発足しアメリカから戦闘機の供与を受けることになり、あるパイロットが教官課程の修養のためアメリカ留学した際、ネリス空軍基地でみたサンダーバーズのアクロバット飛行演技にいたく感銘を受けたそうです。
このパイロット、帰国後に同僚を誘い、訓練飛行中にこっそりアクロバット飛行してたんだそうですが、やがて飛行隊長にバレます。
が、その飛行隊長、怒るどころかノリノリで正式に訓練できるよう上申。
上層部の了解を得て、アクロバット飛行チームが発足します。
このときの飛行隊のコールサインは『チェッカー』、編隊には色名をつけており、それが『ブルー』。
いくつかのイベントでアクロバット飛行を披露し、形の上でいったん解散。
あとを引き継いだ飛行隊のコールサインは『インパルス』。
なので新しいアクロバット飛行チームのコールサインは『インパルス・ブルー』となりました。
そうして航空自衛隊としてアクロバットチーム設立の準備は進められていましたが。
戦技研究であったり機体研究であったりという一応のお題目はありましたが、基地上空での曲技飛行は規則違反だとか、国家公務員がショーをやる必要は無いとかいうお固い反対意見もあり、活動中止状態に。
そこへ交代着任した航空幕僚長が。
アクロバット飛行の披露は様々な効果があり、また非公認な訓練では事故死しても殉職扱いにならない可能性もあるとのことで、チーム設立に道筋をつけようと直接介入します。
その航空幕僚長こそが源田實その人でした。
元編隊特殊飛行隊のリーダーだもの、話は早いですわな。
1960年4月、ブルーインパルスは正式に空中機動研究班として発足、特別飛行研究班、戦技研究班と名称を変えていきます。
当初は航空団の教官から選抜されたチームでしたが、現在では3年任期の専任チームです。
空自の最精鋭パイロットたちの飛行展示、何度でも見たいものです。