なにかを所有するということ。
それは豊かなシルシなのかもしれません。
しかし同時に、所有するものを『失いたくない』という意識もでてきます。
所有するということは、まったくの私事です。
仲間同士のそれであっても同じ。
制限があれば、それは『私』です。
失いたくないと思えば、心はそこに囚われてしまう。
なにかに囚われた心は、やがてそれ以外のものごとへの視界を失っていくことでしょう。
大切なことまでも見失うことにならないように・・・。
個人が確立していく過程において、失いつつあるものは多いような気がしてます。
人が集団で暮らしていく以上、全体=『公』への配慮はあるべきです。
個人の勝手というものは、公において認められる範疇でのこと。
『自由』を軽々しく振り回すべきではありません。
所有するということは、自身の主張ということです。
過ぎた主張には、抵抗がおこりますぞーー。
ちょっと相手の立場に変われば、すぐにわかることなんですけどねぇ。