『中庸』
大雑把には、中間という感覚で捉えられることが多いようです。
しかし、ただそうではなかろうと。
中庸であること。
それは、常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ平凡な感覚でも理解できるもの、ということらしい。
ワタクシなりには、物事には『程(ほど)』というものがあるのだ、ということでしょうか。
偏りには、また新たな偏りが生じるもの。
反作用とでもいいましょうか。
舌鋒が過ぎれば、禍根を残しますわなぁ。
常に、程々に保つ。
誰にでもできることながら、いつ如何なるときにも、とはいかない。
このあたり、人というのは面白いですなぁ。