なぜ、梼原なのか。山深い梼原・韮ヶ峠を脱藩ルートに選んだのは、何故だったか…。梼原には旅人(まろうど)信仰という、旅人を小さな『茶堂』と呼ばれる建屋でもてなす風習があったそうで。 茶堂まえの小道は、実際に龍馬一行が脱藩の際に通ったという道です。 1日2回、ガイドさんと歩くツアーがあるようです。(^^)そんな訳で、諸国の最新情報に触れる機会の多かった人々は、脱藩にも協力的だったということです。関所役人もまた、寛大だったようですね。いやはや、成るべくして成った、ということなのでしょう。(^_^)