森田療法の精神科医である藤田千尋先生の言葉がとても良かったです。

 

藤田先生の言葉は、明瞭で、飾りなく、どれも胸に響きました。

 

1時間近い会話形式の話しです。その中で、私が印象に残ったと感じた藤田先生の言葉を、少し紹介します。

 

 

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「気にしやすい」という自分の資質に対して、「もっと気にしない人になりたい」と思い、

気にすることに反発することが、神経症のとらわれである。

 

苦しさや不快を取り除こうするから苦しい。

不安を除去することに力を使い、目の前の生活に力を使えないことが、苦しさの原因である。

 

問題となくそうとする苦しさと、それに力を入れるあまり自分の生活を放棄する苦しさ、という2重の苦しさに神経症の患者はとらわれている。

 

苦痛を取り除くことに力を使い果たすのではなく、苦痛を苦痛とする状態にもどすことが大切。

 

気になることは大いに気にしてよい。

自信のないものは自信のないままでいい。

自信のないまま、気になるままで生活を行う。

 

症状や問題に対して、どうやったら楽になれるかという計らいをやめる。

 

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藤田先生は、専門的な言葉など使わず、誰でも理解できる簡易な言葉で話しています。

だからなおさら胸に響きます。

 

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頭で理解しようとするのをやめて、生活・実践を通して体得していく。

 

感情というのは、頭で考えるのではなく、体得しないとほぐれるものではない。

体得というのは実際に行うことである。

 

自然に服従し、境遇に従順になる。

自分の不遇を嘆き、変えることができないことを変わらないと嘆いても、とらわれは深くなるだけである。

 

苦しいままでも手足を動かして、何かに関わってやっていく以外に道はない。

本来の自分に立ち戻るまでに相当苦しむだろうが、もうこれしかないと体で感じとることに意味がある。

 

嫌だなと思いながらでも手を付けてやっていく。

そうしないと自分に気づけない。

 

間違った発見(極端に自己保全に偏った認識)で、人は迷いに入っていく。本来の正しい生き方の発見をするには、苦しいままに手足を動かして、作業のための作業に徹する勇気を持ち実践すること。

 

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森田先生がよく話していたという例え話も骨身に染みるようでした。

 

 

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ある一人の百姓が野良仕事をしている。ふと顔を上げると、近くの木の枝に世にも美しい鳥がとまっている。

 

鳥はあまりに美しく、何とかして捕まえたいと思い、いろいろな手を尽くして鳥を捕まえようとする。

追っても逃げられるので、気にしていないふりをして、鳥が油断する隙を狙って捕まえようと思っても逃げられる。

 

あの手この手を使ったけれど、どれだけ頑張っても捕まえることができずに、精魂尽き果てて、あきらめてしまう。

 

ふと見ると、自分がその日に行うはずの野良仕事が手つかずだったことに気づく。これはいかんと自分の仕事に戻り仕事に集中し、ようやくその日やるべき作業が終わった。

 

やっと終わったと安心して、汗を拭くための手ぬぐいを出そうと懐に手を入れると、さっき捕まえようとしていた鳥が懐から出てきた。

 

「お前は何の鳥だ」と百姓が尋ねると、鳥は「私はさとり」だと答えた。

 

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このたとえ話は、どうやったら鳥を捕まえられるか(どうやったら症状や苦しみを排除、解決できるか)と作為してる間はいつまで経っても変わらない。

そうではなくて、本来やるべきことに精を出し、やりとげる過程の中で「気づき」は得られるのではないか、ということです。

 

苦しいと思うことに何一つ問題などなく、「目の前の悩みが解決しない限り行動できない」とかたくなに信じている自分に気づき、まずは一歩足を踏み出してみる大切さが染みるお話でした。

 

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カロンでした流れ星