カロン★です


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前回、「ネガティブな感情を止める」のではなくて

「自分を攻撃する声に気づく」ことがとても大切だというブログと書きました。

 

 

誰かや環境をとがめる気持ちがわいてきたら

その感情を持つ自分を責めるのではなくて

「そのような感情を持ったということは

自分が自分に優しくすることを忘れていた」ということだと気づけばよいだけのことなのです。

 

 

ただ、あまりにも長い間

ネガティブな感情を抱え込んで

その感情を自分と同一化してしまっていると

自分に愛情を持って接することが

どうしても難しいと感じるものです。

(私がそうでした)

 

 

ありのままの本当の自分を知られたら、周りは誰一人いなくなってしまうとさえなぜか思っていました。

自分を無価値な存在としてずっと判断していたのです。

 

 

罪悪感にさいなまれたり

自分を卑下する気持ちが

あまりにも自然な心の状態になっていると

自分やまわりを否定する思考が頭を完全に占領して

自分に愛情を持って接するなんて言われても

簡単にできるものではありません。

 

 

 

私が陰の極みにいた時、

(エゴの声と自分を完全に同一視していた時)

自分が「愛」に値するなどと

どうしても思えなくなっていました。

 

 

そんな時、固く閉じられた心の扉を優しく叩いてくれたのは

「奇跡のコース」でした。

当初は、すがるものをいろいろ探して、原始仏教の教えなどを勉強したり、ヴィパッサナー瞑想の教室に通ったりしましたが、どうしても私には入ってきませんでした。

 

 

 

私が学んだそれらの教えには

それまで私を苦しめてきた二元論的な考えが

はっきりと存在しているように感じていました。

 

 

 

具体的には

「善と悪」や、「良い行いと悪い行い」

「正しいことと間違ったこと」あって

後者は罰せられるという考えです。

 

 

(余談ですが占星術的に言えばこれは土星の域を超えられていないということです)

 

 

 

私は世の中にまん延する、自分を律するべきだ、というこの考え方、そして自分の頭の中で繰り返し自分を責め立てるこの考え方に、本当に疲れ切っていました。

 

 

 

 

奇跡のコースというのは、

私達が本来の私達の姿を思い出すための指南書として、

イエスから私達に向けて書かれた聖書ほどもある長いテキストと、365からなるワークブックなどから構成されている書籍です。

 

 

 

 

コースに書かれている内容は、今まで私が学んだものとは違っていました。

あまりにも違っていて、そしてあまりにも愛情にあふれていました。

イエスの愛というものが、あまりにも無条件だったことに、面食らいました。

私にとってコースは、愛というものが、全く分け隔てされるものではなく、また外から与えられるものではないことを、自分の深いところに静かに下ろすサポートをしてくれました。(もちろん今も)

 

 

 

コースは、

 

  • 無条件の愛というものが実際に存在していて、
  • それは外界や未来からもたらされるものではなくて、
  • 常に無条件の愛の中に自分が在るということ、

 

そして

 

  • それに気づかせないようにしてきたエゴという存在を自分が育ててきたのたということ
  • どのようにして本来の自分の状態にかえっていくことができるのか

 

を、優しく、愛情深く、辛抱強く教えてくれます。

 

 

自分を批判する心や、罪悪感や、無価値感があまりにも強くて、自分の中に愛があるといくら言われてもそれを信じられないときがあります。

 

 

そんな時は、「信仰心」というものが役に立ちます。

「内なる神への信仰心」と言ったほうがよいのかもしれません。

 

 

私にとって、自分というものは、自分が思ってきたような存在ではなくて、神の被造物だったということを気づかせてくれる手助けをしてくれるのが、コースです。

 

 

エックハルト・トールさんは著書で

 

わたしたちは『苦痛にとって代わられる、つかの間の快楽』だけが与えられた、見知らぬ宇宙に置き去りにされた、意味のない『かけら』ではない

 

と言っています。

 

 

そのことを思い出させてくれるのに、コースは優しく、確信を持って私たちを導いてくれます。

 

 

 

奇跡のコースは、キリスト教の用語が多いですし、長いですし、比喩的表現が多いですので、万人に向くわけではないと思いますが、

奇跡のコースでなくても、愛を完全に見失ってしまったと感じている時、愛というものが何なのかも忘れてしまっている時に、内なる信仰心を目覚めさせてくれる「なにか」であれば、何でもよいのかもしれません。

 

 

どのような「なにか」でも良いと思いますが、

経験上強く感じるのは、その「なにか」は、

私達を不安にさせるような、罪や、悪や、過ちを裁くような考えを教えるものでなければ、よいのではないかと思います。

 

 

不安や罪悪感から生まれるものは、エゴの餌しかなくて、

なにひとつよいことはありません。

だから人を不安にさせるような「なにか」は、すべてがエゴの創造物であると私は思っています。

(究極的にはエゴに創造する力などはないのですが)

 

 

 

常に自分に親切にすること、

いつも自分に優しい言葉をかけてあげること、

どんなときも自分の内側は「善」であり、

自分は「愛」という素で構成されていることを思い出すこと。

 

 

 

「無心になる」ことも大切ですが

無心になるどころではないと感じているなら、

自分に親切にすることだけを

心に留めておくと生きることが格段に楽になると思います。。

 

 

 

 

 

 

 

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最後までお読みくださりありがとうございますニコニコ

 

 

 

よかったらこれからもお付き合いください

 

 カロン★でした