娘、新しいクラスにも馴染めて、友達たくさん出来たそうです。
→母の声1
友達たくさん?
それって、友達なん?
単なるクラスメートで、ただ毎日話すだけなんじゃないの?みんな友達なんて、高学年になったらあり得なくない?
また、◯ちゃんと遊ぶ約束したんだ。
→母の声2
それ、こだわりじゃないんかい?
執着しとらん?
クラス離れたけど、毎休み時間遊んでるのって、こだわりだからじゃないの?
こだわりじゃなくて、本当に楽しいからで、一緒にいたいからで、、、うん信じてるし、信じたいって思えば思うほど、切なくなるのは何でかな
勉強、困ってないよ~
→母の声3
うん、困ってはないよね。困ってるって思ってたら、右か左か何かしら反応してるだろうし。しかし娘よ、勉強習慣化出来てて、毎日チャレンジやってるし、ドリルもしてるけど、テスト散々だよ。それで困ってないとか、自分に対して気にしてなさすぎじゃない?
私、音遮断出来るようになったんだ
→母の声4
音遮断?
あぁ、聴覚過敏だけど、自分で意識して、気にしないように出来るようになったのね。
、、、って、出来てないし❗
母から見て、あなたの聴覚過敏、年々微悪化してますけどね。
へー、そうなんだね~
と、貼りつけたようなセリフを言ってしまって流してますが、にわかに信じられない自分がいて、色々隠してる気持ちが騒がしいです。
フルタイム残業付きの私は、あまり普段の娘の様子が見れないので、社会にいる娘を見れる機会では、ついつい観察・検証・次の目標探しをしてしまいます。
娘の人生は、私の人生じゃない、と念押しして挑んでいるんですが、なかなかこれが出来ない。
色々出来ない人生も娘の人生、娘の自由、娘の選択です。
母として、少しでも生きやすいようにサポートしてしまうし、手を掛けすぎてしまうんです。普段構えない分、代わりにやってしまう。
それじゃいけないと、他人の中に放り込む活動(子供会みたいなの)も、娘が興味を示す活動に限りますが、積極的に参加してます。
えぇ、そうです。娘のためにという名の、私の安心のためにです。
小さな失敗をたくさんして、強くなってほしい、という私の願いのためです。私は、娘のために、と言いつつ、娘を甘やかすことしか出来ないので、せめて母子分離の成長の機会を増やすようにしています。
見ていなければ、さほど気にならないので。
母修行、険しいですわ
娘を信じられない時、即ち母としての自信がない時。
報われないことを恐れない自分になりたい。
私も、ありのままで生きる私に、なりたいな。