忘れてはいけない娘の思い出がある。


あれは、娘が年中だったかな。
いつものように、夕方、保育園にお迎えに行った。
娘は教室の端で座っていた。
そう、その時の娘の顔が、、、忘れられない。

何かを我慢してるようで、グッと力を入れていたのが、私を見留めて、泣きそうになって、でも我慢していて、
一瞬で、何かヤバいことが起きてるって、分かった。

ヤバいことは、実はズボンのウエストのゴムが切れてしまったことだった。
切れてしまったズボンを右手でずっと握りしめ、落ちてこないように、座り込んで、一人で私が来るまで待っていたのだろう。

ズボンのゴムが切れた、、、たったそれだけのこと。
そんなの先生に言えばすぐに対処してくれるではないか。
先生なんて、担任だけじゃない、昼に着替えてから迎えにいくまでの数時間に、娘に関わる先生は複数いる。
娘のロッカーには、ズボンの替えが何枚もあるのに、、、
切れちゃった、脱げちゃいそう、、そんなことを言ったところで、叱るような先生達ではない。なぜ、一言言えないのか。定型児なら、簡単に言えるだろうに。

でも、言えなかった。
言えなかったのが、娘だ。

その時に決意した。
私が娘に教えなければいけないのは、ヘルプの出し方だ。
誰に、何を、どうやって。

人は一人では生きていけない。必ず誰かの助けが必要になる。
自分に出来ないことを知り、それをサポートしてくれるように訴えることで、初めて自立が出来るのだと思う。
一人で何もかもやろうするのが自立とは言わないと思ってる。

その日、娘の洋服を全て点検し、緩くなってるものは全て外した。もちろんゴムが切れたズボンは捨てた。

そして次の日、私は娘に説明した。
具体的に、端的に、困ったらどうしたら良いかを。
ヘルプを出す先生は、担任ともう一人に絞った。
ゴムが切れちゃった、と言えなければ、先生の前で「困っています」と伝えるようにと。絵カードも再度教えた。
しかし、それを言えないのが娘なのだ。
だから、代替として、自分で解決できるように、訓練した。
同じようにズボンのゴムが切れたなら、ロッカーから新しいズボンを持ち、トイレで着替えるようにと(教室は人の目があり、娘は人と違う行動をとることが出来ないので)

毎日毎日教えた。

今も教えている。
学校で困った時、誰に話すかを。
現担任と、以前の担任(神先生なので、絶対に丁寧に対処して下さるのを知ってるので)
そして、パパとママに話すこと。
ママは短気だから、えー!とか言っちゃうけど、絶対に味方だから、パパに言えなくても、ママには話してと。パパに知られたくないなら、パパには秘密にするからと。
何度も何度も教えて、今では私には打ち明けてくれることも出来てきた。

あの日、あの時の娘が、私の療育の基本方針になってる。
困った時は、適切な大人に、話す。
話せないなら、解決できるように、自分で工夫する。
困ったことは放置しない、放置したら増えていくだけだから。

あの日、教室の隅で、ズボンのウエストを必死に握りしめて、固く口を結んで、でも大したことないような素振りで、他人から見たら違和感ないよう教室に座っていた娘。

しっかり教えなければ、困っていることに気付かれないまま放置されてしまうタイプだ。
娘も気付かれたくないから隠そうとする。

いつか私から巣立たなくてはいけない娘。
いつまでも守ってはあげられないから、
他人を頼ることを教えた。

自立のために。

一つ一つ、小さなことからでも、積み上げていこう。

あんな顔は、一度でたくさんだ。