娘、年長、5歳。
3歳半で自閉スペクトラム、知的境界と診断。
言葉の成長とともに、今は知的平均に。

3歳直後、療育センターへ、私が自らアポをとる。
思えば、あの時が、娘の特性全開だったなぁ。
3歳直後に、保育園の身辺自立のレベルがあがり、担任との相性(ややキレやすい若い先生)もあり、突然、夜驚症、激しい癇癪が始まった娘。そんな時も保育園では大人しい子で、担任は何の問題意識もなかったけど、家庭と保育園のギャップがありすぎ、
家では朝から寝るまで、殴る蹴る泣き叫ぶの癇癪に耐えかね、自ら療育センターに連絡。
今に至る。

魔の3歳台を過ぎ、今は他害は家族にもなくなり、自傷の爪噛みも落ち着き、夜泣き含む夜驚症などの睡眠障害も姿を潜め、穏やかで笑いの絶えない毎日を過ごせている。

同年齢と中々遊べない特性や、偏食少食、虚言、聴覚過敏、知的平均ではあるが学習に困難さが見え始めているけれど、娘の素直でとにかくニコニコしている素晴らしい面が、娘と私を支えていると思う。

しかし、そうは言っても、スペシャルニーズが必要な娘。
毎日悩みは尽きない。

パパは、今のまま、ありのままの娘を愛している。
そんなパパのように、私もありのままの娘をただ愛したい。今はまだ自信をもって言えないけれど。

こうあらねばならない、という思考の狭い私は、マイノリティとなった娘を完全には受け入れられてないと思う。
パパと娘が、仲睦まじく触れあう姿を見るたび、私とパパの温度差を感じる。
ただただ娘を愛したいだけなのに、愛してると言えない私。
娘のためと言う大義のもと、娘にあれもこれも、と求めてしまう。ありのままでいいと、今のままで十分可愛いのに、もっともっと、と。
生きてるだけで、丸儲けと思っているのになぁ。

どうしても、定型の子との比較をしてしまう。
忍耐、待つ、が足りない私。

日々、修行中。
母として、人として、大きな器の人になりたい。

障害があってもなくても、いや障害があるからこそ我が娘。
娘の全てを受け入れたい。

今はまだ自信がないけど…。