2019年に入り、妻は寝て過ごすことが多くなった。
本当は、生前整理をしたい、と言っていたけれど、それもままならない様子だった。
自分が死んだ後に出す手紙を、それぞれ書くつもりだったようだけれど、結局それも進んでいなかった。
ただ、本当にその変化は緩やかで、僕は気付いているようで、気付いていなかった。
いや、おそらく、妻自身も含めて、誰も、気付いていなかった。
それでもどうにか車には乗っていたし、最低限の日常生活は維持できていた。
2月に入り、一匹の猫の容体が一気に悪くなった。
元々猫エイズを持っている猫で、歯周病がひどく、餌を食べるのも苦労していた。
そして腎臓も悪くなっていた。
本当に、2~3日で急激に悪化した。
ある日、普段入れている檻の中で倒れていた。
少し様子を見て、一旦は動き出したけれど、様子がおかしく、妻がかかりつけの獣医のところへ連れて行った。
腎不全。
もうすでに、危篤状態だった。
僕は仕事帰りに一人で病院へ行った。
病院はすでに閉まる直前で、猫は集中治療室みたいなところへ入れられていた。
変わり果てた姿で、震えていた。
先生は言った。
もうすでに意識はないかも知れない。
今夜を乗り越えれても、あと数日ももたないかも知れない。
腎臓が機能していないので、尿を作ることが出来ず、毒素が全身を回っている。
本当に、いつ息が止まってもおかしくない状態で。
触ると、「にゃあ」と鳴いた。
僕は、この後、夜はどうなるのかを聞いた。
先生は、夜遅くなったら帰る、と言う。
この治療室の様子はカメラで確認が出来る、と。
それは仕方のないことだった。
うちの猫が死にそうだからと言って、先生に徹夜をさせるわけにはいかない。
それは分かっていた。
でも、かわいそうだった。
このまま、誰も見ていないところで、たった一匹で、死んでいくのかも知れない。
そんな淋しさを知りながら、死んでほしくなかった。
僕は言った。
かわいそうだと。
涙を堪えきれなかった。
そして病院が閉まる時間となり、明日以降どうするということを妻と話すこととして、病院を後にした。
その日の夜。
先生から、電話があった。
猫が死んだと。
深夜1時を回っていた。
僕と妻は、病院へ行った。
先生が待っていた。
猫は、もう動かなかった。
結局、先生はずっとそばにいてくれた。
最期の様子も、教えてくれた。
本当に、感謝してもしきれない。
僕たちはそのまま猫を連れて帰り、火葬までの間、猫をぬいぐるみで囲み、にぎやかに過ごした。
生まれた時から病気で、5年間しか生きることが出来なくて。
痛く苦しいことばかりだったと思う。
それでも、一生懸命甘えてきて。
妻が道端でうずくまっている猫を拾い、連れて帰り。
初めは一年ももたないかも知れないと言われていた。
それでも生きて、そのうちに妻が病気になって、もしかしたら妻の方が先に死ぬかも、と思っていた。
でも結局は、妻が死ぬ1ヶ月半前に、先に死んでいった。
あの猫は、あの時、妻に拾われた恩義を、ずっと、ずっと、感じていたのだろうか。
だからきっと、妻のために必死で生きて、そして死にゆく妻のために、先に死んでいったのだと、感じる。
今。
妻の写真を飾っているすぐそばで、猫の骨と写真を一緒に置いている。
寄り添うように。
もし、もしも。
死後の世界なんてものがあるのなら。
きっと、妻と猫は、今は一緒にいて、穏やかに過ごしているのだろう。
そう、願いたい。