女王道プラクティショナー
心屋認定カウンセラー
あゆーるです
おじいちゃんの容体が良くないとのことで
この土日は 彦根に帰省していました
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おじいちゃんが そろそろアカンかもしれん
その連絡が来たのが土曜の朝
その週の頭に一度 危篤になったという連絡が入っていたので
驚くことはなかった
むしろ このおじいちゃんのことで
両親がとっても大変な思いをしていたことを
ずっと見てきていたから
あぁ やっとか
って どこかで ホッとしたような気持ちになった
生まれてから20年間も ずっと一緒に暮らしてきたのに
もう死ぬかもしれない
っていう連絡をもらった時
何も心が動かない自分のことが怖くなったし
私って なんて薄情なんだろう。。
って すごく悲しくなった
もともと破天荒なおじいちゃんだったし
口より手が早いような人で
物心ついた時から
そんなおじいちゃんに手をあげられる母を
何度も目にしていて
助けたいけど私も怖くて何もできなくて
そんな自分のことを
ずっとずっと自分で責め続けてきてた
ここ数年は 痴呆症がどんどん進んできていて
文字通り 盆正月くらいにしか帰らない私のことは
もうわからなくなっていたし
手が早いとはいえ
昔は おじいちゃんなりの正義でやっていたであろうことも
痴呆症の影響で 理性も働かず
こっちの理解できないことで
突然手をあげることが多くなっていたようで。。
そして そんなおじいちゃんと一緒にいたおばあちゃんも
孫の私からしたら
素直に懐けるような関係性ではなかったこともあって
いつからか
おじいちゃんとおばあちゃんなんて
早く死んだらいいのに
って。。
心のそこから
思うようになってた
2人が死んだら
お母さんとお父さんが楽になる
2人さえいなくなれば
お母さんとお父さんが笑える時間がもっと増える
って 真剣に思ってた
だから 今回の一報を受けて
最初は
ふーん そっかぁ
って
それだけしか思わなかった
大人になればなるほど
おじいちゃんが長生きしてくれるますように。。
とか
おばあちゃんの墓前に報告してきました!
とか
そういうことを目にするたびに
そんな風な関係でいられる人のことを
心底羨ましいと思っていたし
その感覚が全く理解できなかった
私にとっての
おじいちゃんとの思い出や
おばあちゃんとの思い出は
楽しいものは何一つなくて
あんなに一緒に過ごしていたのに
出てくるものは
心が冷たくなるようなものばかり
だから 本当に
何も悲しくなかった
そのはずなのに
もしかしたら
本当に 死ぬのかな
って
ちゃんとその現実を受け止めたら
とってもとっても小さなことだけど
少しだけ思い出せたことがあった
建て替える前のお家で
逆立ちの練習を見てもらったこと
小さな食堂をしていたんだけど
そこの常連さんへの瓶ビールを開けさせてもらったこと
お店でお客さんといつも話していたおじいちゃんの
その膝の上にたまに座っていたこと
朝 鶏ガラでスープをとっていた姿
どこかへ連れて行ってもらった
とか
いつもわかりやすく応援してくれていた
とか
何かしてくれた
とか
そういうことは
全然思い出せないけど
私にも 思い出はちゃんとあったんだなぁ
って
小さなことだけど それを思い出せて
初めて涙が出た
嬉しくて流れる涙なのか
悲しくてのそれなのかは
自分でもわからない
でも 本当のおじいちゃんではないけども
私にとっては
20年一緒に暮らした 本当のおじいちゃんなんだなぁ
って
改めて感じる機会になった
土曜の夕方
一人で病室に入ったら
おじいちゃんは眠っていて
何も会話は成り立たなかったけど
ただ隣に座って
細くなったおじいちゃんの手を握ってきました
時折目を開けてくれるけど
焦点は合わなかったし
私を孫だとは認識してないと思うけど
それでも
何か言おうと口を動かしてくれてるのはわかった
なんて言ってたのかなぁ
何を言いたかったのかなぁ
それをわかる日は 絶対にこない
明日死ぬかもしれないし
まだいっぱい生きるかもしれない
だけど おじいちゃんの生きてる間に
笑いあってた時間があったことを思い出せて
良かったな
って すごく思った
おじいちゃんが大好き!
とかにはなれないけど
それでもいいや
って 思えるようになれた
私がそう思える時間をくれたことを
心から感謝してる
突然死なずに居てくれて
本当に良かった
エゴだとしても
それでもいいや
ただの羅列になっちゃったけれども
ここまで読んでくれた方には
本当にありがとうです
明日からまた 新たな1週間ですね
素敵な時間となりますように✨
今日もお読みいただき ありがとうございました