このつながりが、数年数十年後も続けばいい。
自分が小さすぎて哀しい
大きくなる努力もしていないから当然
努力する気もないから当然
自分は必要に迫られる状況に置かれないと
それ以上を求めることができない
向上心が不足している
程々でいい、楽に生きていきたい
そう言いながらも、上を行く人々を見て
比べて
自分の小ささにうんざりする
そんな毎日。
大きくなる努力もしていないから当然
努力する気もないから当然
自分は必要に迫られる状況に置かれないと
それ以上を求めることができない
向上心が不足している
程々でいい、楽に生きていきたい
そう言いながらも、上を行く人々を見て
比べて
自分の小ささにうんざりする
そんな毎日。
何かをする理由、しない理由
全ての行動は合理性を伴わなければならない
そんな気持ちで生きるぐらいがちょうどいいと思います。
全ての行動は合理性を伴わなければならない
そんな気持ちで生きるぐらいがちょうどいいと思います。
相手に説明する、ということは、
当然のことながら、
その相手よりもその事柄について多くの知識を持ち、理解している必要がある
プレゼンテーションの対象に求めることのできる知識量・理解度は、自らの持てるそれの数%だ
いや、逆に数十倍の知識量・理解度を得て初めて、
他人にプレゼンテーションできる、と言った方がいいのかもしれない
自分でも大して理解していないのに、誰かに説明し、理解させようなんて到底無理な話なのだ
また、自分よりも理解していないように思える相手から、プレゼンテーションを受けようものなら
それは全く聞くに値しないものと判断して然るべきだろう
誰かに知ってもらいたいならまずは自らが知るべき
これはどのようなことに関しても言えるだろうか
自分を誰かに知ってもらいたければ、
まずは自分自身が自分を深く分析し、評価し、
理解していなければならないのかもしれない
昔の自分と、今の自分は何が変わったか
根本的な部分は変わっていないように思う
ただ、細かい部分でかなり修飾・修正が施された(施した)
変わっていないことはなにか
臆病であること
閉鎖的であること
消極的であること
思い切りのないこと
自信のないこと
・・・
マイナス要素しか思い浮かばないが、しかし、
いずれの要素も大きく改善されていることを実感してもいる
いつか自分自身に満足する日が来るのだろうか
おそらく、いつまでも未完成なのだろう
悪口は、何をもって悪口となるか
悪口を悪口足らしめる発言者の基準はどこにあるか
自分は誰かの悪口を言っている、という判定をどうやって行っているのか
それは、”自らが言われたくないことを相手に言っているかどうか”、らしい
いくら相手の立場になって、何を言われて嫌かを考えたところで、
それを言われて嫌かどうか判断するのは自分なわけだから、
なるほど確かに、その通りだ
誰かを悪く言うということは、そのまま、
自らの言われたくないことを晒しているに過ぎない、ということだ
しかし逆は成り立たなそうだ
自らが言われて嫌でないことが、相手も嫌でないとは限らない
なかなかに面倒だ。
当然のことながら、
その相手よりもその事柄について多くの知識を持ち、理解している必要がある
プレゼンテーションの対象に求めることのできる知識量・理解度は、自らの持てるそれの数%だ
いや、逆に数十倍の知識量・理解度を得て初めて、
他人にプレゼンテーションできる、と言った方がいいのかもしれない
自分でも大して理解していないのに、誰かに説明し、理解させようなんて到底無理な話なのだ
また、自分よりも理解していないように思える相手から、プレゼンテーションを受けようものなら
それは全く聞くに値しないものと判断して然るべきだろう
誰かに知ってもらいたいならまずは自らが知るべき
これはどのようなことに関しても言えるだろうか
自分を誰かに知ってもらいたければ、
まずは自分自身が自分を深く分析し、評価し、
理解していなければならないのかもしれない
昔の自分と、今の自分は何が変わったか
根本的な部分は変わっていないように思う
ただ、細かい部分でかなり修飾・修正が施された(施した)
変わっていないことはなにか
臆病であること
閉鎖的であること
消極的であること
思い切りのないこと
自信のないこと
・・・
マイナス要素しか思い浮かばないが、しかし、
いずれの要素も大きく改善されていることを実感してもいる
いつか自分自身に満足する日が来るのだろうか
おそらく、いつまでも未完成なのだろう
悪口は、何をもって悪口となるか
悪口を悪口足らしめる発言者の基準はどこにあるか
自分は誰かの悪口を言っている、という判定をどうやって行っているのか
それは、”自らが言われたくないことを相手に言っているかどうか”、らしい
いくら相手の立場になって、何を言われて嫌かを考えたところで、
それを言われて嫌かどうか判断するのは自分なわけだから、
なるほど確かに、その通りだ
誰かを悪く言うということは、そのまま、
自らの言われたくないことを晒しているに過ぎない、ということだ
しかし逆は成り立たなそうだ
自らが言われて嫌でないことが、相手も嫌でないとは限らない
なかなかに面倒だ。
全てはセンス
センスが無いことは諦めるしかない
いっそ割り切って、努力で不足分を補う方が余程建設的
人生を楽しいものとするためには
ひたすら方向違いの努力をしていても意味がない
与えられた仕事を完璧にこなすだけではダメだ、楽しくない
なんとなく頑張る、なんとなく努力する前に
まずは努力の方向性を考える努力をするべき
人生を楽しいものとするためには
その目的に沿った努力
つまり、楽しむ努力が必要だろう。
センスが無いことは諦めるしかない
いっそ割り切って、努力で不足分を補う方が余程建設的
人生を楽しいものとするためには
ひたすら方向違いの努力をしていても意味がない
与えられた仕事を完璧にこなすだけではダメだ、楽しくない
なんとなく頑張る、なんとなく努力する前に
まずは努力の方向性を考える努力をするべき
人生を楽しいものとするためには
その目的に沿った努力
つまり、楽しむ努力が必要だろう。
組織を組織として存続させるためにはルールが必要
個人であれば、好きにやればいい
なにかを為すことによるリスクは全て本人が背負えばいい
組織ではそういうわけにはいかない
個人の行いが組織の存続に関わる
一人の行いで全員が困ることになる
そうならないためにも、ルールで縛らなければならない
適切なルールの下では組織存続に関わるようなエラーは理論上起きない
しかし、ルールに縛られるということは、
リスクを回避すると同時に、行動の自由によるメリットも失う
発展性がないのだ
同じことを同じようにやっているだけでは、
悪くはならなくとも良くもならないのだ
敢えて誤解を恐れずシンプルに例えて言えば、大企業の社員と中小企業の社長だ
大企業の社員は、その大企業を存続させるためのルールの下で仕事をする
給料は安泰だ
しかし、もっとこうしたら良くなるだろう、もっとこうやってみたい
と思ったところで、それを実行する自由はない
それを実行しようと思ったら、自分がルールを作るしかない
それが、中小企業の社長
しかし、自分の考える良質なサービス・製品の提供が
多くの人間に支持されるかどうかは別問題、結果として現れるかどうかは別問題
端的に言えば、給料は保障されない
自分の人生、どちらに重きを置くか
どのように生きたいか
結局のところ、そういった信念のようなものが将来の道を決めるのだろう
自分も例外ではない
ただ、その信念を構築するだけの経験がまだないうちは、
机上の空論でしかない
つまり、とりあえずやってみるしかない、ってことだ。
個人であれば、好きにやればいい
なにかを為すことによるリスクは全て本人が背負えばいい
組織ではそういうわけにはいかない
個人の行いが組織の存続に関わる
一人の行いで全員が困ることになる
そうならないためにも、ルールで縛らなければならない
適切なルールの下では組織存続に関わるようなエラーは理論上起きない
しかし、ルールに縛られるということは、
リスクを回避すると同時に、行動の自由によるメリットも失う
発展性がないのだ
同じことを同じようにやっているだけでは、
悪くはならなくとも良くもならないのだ
敢えて誤解を恐れずシンプルに例えて言えば、大企業の社員と中小企業の社長だ
大企業の社員は、その大企業を存続させるためのルールの下で仕事をする
給料は安泰だ
しかし、もっとこうしたら良くなるだろう、もっとこうやってみたい
と思ったところで、それを実行する自由はない
それを実行しようと思ったら、自分がルールを作るしかない
それが、中小企業の社長
しかし、自分の考える良質なサービス・製品の提供が
多くの人間に支持されるかどうかは別問題、結果として現れるかどうかは別問題
端的に言えば、給料は保障されない
自分の人生、どちらに重きを置くか
どのように生きたいか
結局のところ、そういった信念のようなものが将来の道を決めるのだろう
自分も例外ではない
ただ、その信念を構築するだけの経験がまだないうちは、
机上の空論でしかない
つまり、とりあえずやってみるしかない、ってことだ。
外国人、というと
あまりにおおざっぱ過ぎる分類だが、
イメージ的には米国人
彼らは休日に日光浴のため公園に出向く習慣を持つ人が多いそうな
本当だろうか
是非習慣にしたい
なんて優雅な休日だろう
なんというか
贅沢な時間の使い方だ
日本人には理解し難い感覚だろう
何の目的もなく外出しない
というのは、おそらく自分だけでなく
現代の、特に若年層にそういった人は多くいるのではないだろうか
目的がないなら何のために外出するのか
そう考えると、外出によって浪費するエネルギーの無駄だ
いまやネットがつながっていれば自宅でいくらでも時間を使える
時間を潰す、という意味でも、有効利用する、という意味でも
ショッピングも自宅にいながら行える
女性のショッピングは、物を買うことよりもショッピングという行為自体が目的なのかもしれないが
音楽を聴きながら夜の散歩も嫌いではない
しかし、どうしても、行きつく先、目的地がないと
なんのために歩いているのか、自問自答を試みてしまう
そうなっては興ざめだ
結局、ジョギングすることによって、
体力的、時間的限界と相談しつつ折り返し地点を決め、
目的化することとなった
最近はそれもしていないが
目的もなく外出しない
は、何事にも興味を持てないことに通じているのだろうか
趣味を持てないことに通じているのだろうか
そう考えると、これは誰もが持っている感覚ではないのか
自分は少数派なのだろうか
考え始めると様々な面から自分が見えてくる
主に良いとは思えないような面が強調されて
益々空しい気分になる
なんて残念なんだ
夏を想起させる曲を聴いて
昔を懐かしみ
涙がこぼれそうになった
しかし、具体的に何かを思い出したわけではない
なにとなく、はっきりとは思い出せないが
こんな気持ち、こんな情景を思い浮かべたことが遠い昔にあったな
という程度だ
こんな感覚に陥ったのは久しぶりだ
たまにあるが、なかなか良いものだ
なにが良いのかと問われると、正直よくわからないが、
昔をなにとなく思い出し、なにとなく感傷に浸り、
またこんな思いに耽りたいと願う
そんな日が来るだろうか
いや、経験はやってくるのではない
きっと向かって行かなければならないのだろう。
あまりにおおざっぱ過ぎる分類だが、
イメージ的には米国人
彼らは休日に日光浴のため公園に出向く習慣を持つ人が多いそうな
本当だろうか
是非習慣にしたい
なんて優雅な休日だろう
なんというか
贅沢な時間の使い方だ
日本人には理解し難い感覚だろう
何の目的もなく外出しない
というのは、おそらく自分だけでなく
現代の、特に若年層にそういった人は多くいるのではないだろうか
目的がないなら何のために外出するのか
そう考えると、外出によって浪費するエネルギーの無駄だ
いまやネットがつながっていれば自宅でいくらでも時間を使える
時間を潰す、という意味でも、有効利用する、という意味でも
ショッピングも自宅にいながら行える
女性のショッピングは、物を買うことよりもショッピングという行為自体が目的なのかもしれないが
音楽を聴きながら夜の散歩も嫌いではない
しかし、どうしても、行きつく先、目的地がないと
なんのために歩いているのか、自問自答を試みてしまう
そうなっては興ざめだ
結局、ジョギングすることによって、
体力的、時間的限界と相談しつつ折り返し地点を決め、
目的化することとなった
最近はそれもしていないが
目的もなく外出しない
は、何事にも興味を持てないことに通じているのだろうか
趣味を持てないことに通じているのだろうか
そう考えると、これは誰もが持っている感覚ではないのか
自分は少数派なのだろうか
考え始めると様々な面から自分が見えてくる
主に良いとは思えないような面が強調されて
益々空しい気分になる
なんて残念なんだ
夏を想起させる曲を聴いて
昔を懐かしみ
涙がこぼれそうになった
しかし、具体的に何かを思い出したわけではない
なにとなく、はっきりとは思い出せないが
こんな気持ち、こんな情景を思い浮かべたことが遠い昔にあったな
という程度だ
こんな感覚に陥ったのは久しぶりだ
たまにあるが、なかなか良いものだ
なにが良いのかと問われると、正直よくわからないが、
昔をなにとなく思い出し、なにとなく感傷に浸り、
またこんな思いに耽りたいと願う
そんな日が来るだろうか
いや、経験はやってくるのではない
きっと向かって行かなければならないのだろう。
もう子供じゃない。
否定する言動・行動を実行する前に、可能であれば時間を空けて様子を見るべき
これは感情的であるのとそうでないのとに関わらず
時には、敢えて感情を表に出し、アピールすることによって
相手に自らの考えを理解しやすく、受け入れやすくする効果を狙うこともあるが
それが否定的なものであった場合は、逆効果に働く可能性が大きい
また、それが一旦逆効果に働いてしまうと、修正することは難しい
なぜなら、相手はこちらを”感情的に物事をとらえる人間”としてとらえるからだ
こうなってしまうと、後にどのような修正手段を講じようとも、
余程相手が理解ある人間でなければ、本意はなかなか伝わらないだろう
努力は結果に現れない
それが普通なのかもしれない
努力が結果として現れることを
むしろ幸運と思うべきなのだろうか
そうであるからこそ、継続する必要があるのだろうか
継続していく中で、何度も挫折を繰り返して繰り返して繰り返して、
その中でたまたま、運良く、結果として現れる
そんなものなのかもしれない
きっと、その過程を知らない、考えない人間が、
努力をすれば必ず結果となって現れる
という無責任な考えを持つのだろう
もしくは、努力に慣れきってしまった人かもしれない
努力を苦行と、辛いことと思わないような人間からすれば
数知れない失敗の後に現れる成功も必然なのだろうか
成功まで努力することこそが努力であって、
失敗で終わる努力は、それは努力ではない、認めない、そういうことだろうか
努力を快楽とする人間もいるだろう
苦行を快楽とする人間だっているぐらいなのだから
しかし、世の中の多くはそうではないだろう
…というのは言い訳に過ぎない
世の中の多く、で終わりたくはない
成功までの努力、実行しなければならない、すべきなのだろう
結果の出ない努力ほど、空しく、悲しいものはない。
これは感情的であるのとそうでないのとに関わらず
時には、敢えて感情を表に出し、アピールすることによって
相手に自らの考えを理解しやすく、受け入れやすくする効果を狙うこともあるが
それが否定的なものであった場合は、逆効果に働く可能性が大きい
また、それが一旦逆効果に働いてしまうと、修正することは難しい
なぜなら、相手はこちらを”感情的に物事をとらえる人間”としてとらえるからだ
こうなってしまうと、後にどのような修正手段を講じようとも、
余程相手が理解ある人間でなければ、本意はなかなか伝わらないだろう
努力は結果に現れない
それが普通なのかもしれない
努力が結果として現れることを
むしろ幸運と思うべきなのだろうか
そうであるからこそ、継続する必要があるのだろうか
継続していく中で、何度も挫折を繰り返して繰り返して繰り返して、
その中でたまたま、運良く、結果として現れる
そんなものなのかもしれない
きっと、その過程を知らない、考えない人間が、
努力をすれば必ず結果となって現れる
という無責任な考えを持つのだろう
もしくは、努力に慣れきってしまった人かもしれない
努力を苦行と、辛いことと思わないような人間からすれば
数知れない失敗の後に現れる成功も必然なのだろうか
成功まで努力することこそが努力であって、
失敗で終わる努力は、それは努力ではない、認めない、そういうことだろうか
努力を快楽とする人間もいるだろう
苦行を快楽とする人間だっているぐらいなのだから
しかし、世の中の多くはそうではないだろう
…というのは言い訳に過ぎない
世の中の多く、で終わりたくはない
成功までの努力、実行しなければならない、すべきなのだろう
結果の出ない努力ほど、空しく、悲しいものはない。
他人を評価するということは、
同時に自らも評価するということ。
同時に自らも評価するということ。