2021.12〜 過去の話です


ガンマナイフ入院の流れを詳しく


初日は検査です。

検査で静脈瘤が見つかった娘


数ヶ月前の検査では

見つからなかったものでした。


私はここでも

怖くて、不安で、隠れて泣き。


先生に言われるまま

同意書にはサインしましたが、

本当にこれでいいのかは悩みました



なんせ知識がない。


何が正しい選択なのか

本当に分からない。


私はただ娘に生きててほしい。

病気を治したい。


それだけを祈ってます



ガンマナイフ治療当日(2日目)

娘は麻酔を怖がり、

手術室まで一緒に入りました


全身麻酔で眠るまで。


お母さん。びっくりすると思うけど

麻酔の先生も脳外科医もいる。

大丈夫ですので。

と念を押され、いざ全身麻酔へ。


スッと意識をなくす娘を見て

言われていたのに

びっくりして涙が止まらず。


看護師さんに背中をさすってもらって

手術室を出ました。


ごめんね。

がんばってね。


そう願うしかなかったです。



治療を終え、娘に会えたのは

6時間後でした。


見知らぬ土地で、

1人ずっと不安で泣いてましたが

怖いのは娘の方だろうな。


まだ、4歳。

自分の病名も難しくて言えないのに。




娘をひと目見て

この日は私は父の元へ。


娘は集中治療室へ入院だった為、

付添いは出来なかったのです。


まだおばあちゃんの家にも

泊まれない娘を置いていく。


とても不安でしたが、

看護師のお姉ちゃんが

ずっと横にいてくれたよ。と言ってました



私も久しぶりの父。

九州から、大阪へ来ての治療。

静脈瘤も見つかり、

自分の決定に不安もあり。


心が疲れきってしまっていたので

大阪に父がいることは

とても心強かったです。


夜は父と久しぶりにゆっくりと話し、

ココアを淹れてくれたりもしました。


朝ごはんも父の手作りで。

すこし元気になれました。


母が亡くなって10年

父もすっかり料理上手に。


父の作るお味噌汁は

どこか、母にも似ていて

心あたたまるものでした。


次の日(3日目)の朝1番で父と

娘を迎えに行き

やっとひと安心。


2泊3日のガンマナイフ入院が終わりです


お世話になった大阪の病院を後にしました。



まだまだスタート地点。


頭の中の爆弾は(娘はそう呼んでいます)

消えてなくなるからね。


大丈夫だよ。



少し現在の話を。

11月頭に2度目の脳出血を起こした娘。


2週間意識がなく眠っていて、

意識が戻り2週間と少し経ちました。


回復はとても早く。

元気になってきました。


脳にはダメージを受けましたが、

なんとか退院できそうです。


大事な回復期を

家族と過ごしながら

リハビリをしようと話しになっています。


まだまだ不安もあります。


脳動静脈奇形はまだあるから。

また脳出血をしたら、と

考えるとゾッとします。


2度の脳出血で

交通性水頭症の疑いもあります。


どうかどうか

うまくいきますように。


娘が永く、生きていられますように。