生後6か月の時・・
彼の執拗なパワハラに耐えることができなくなり、
小さな荷物と共に母子二人そのマンションを後にしました。
小さな手をにぎりしめるたび、葛藤で胸が痛みました。
小さな手、本当に小さな小さな手でした。
区役所で母子であること、住む場所を探していることを聞いてもらい、母子寮の空きを探してもらいましたが、ちょうど昨日、3人の子どもを連れて着の身着のまま夫から逃れてきた方がいて、満室になってしまったと言われ、その時思いました。
“私はなんて幸せなんだ”
逃げなければならないDV夫もいないし、しかも子は1人じゃないか、と。
とりあえず、保育所の申請をし、とにかく住む場所を探しました。
が、現実はそんなに簡単ではありません。
職もなく、保証人もいない母子に貸してくれるアパートなどあるはずもなく・・
途方にくれました。
それでも何件も不動産を訪ね歩いた3日目のどしゃ降りのある日、
はじめて1件紹介してもらえました。
6畳1間のアパートでしたが、母子2人で暮らすのには十分でした。
それから数か月は照明器具を買うお金がなく、朝明るくなったら起きて、暗くなったら寝るという生活でした。
お金に余裕がなく、布おむつを何枚か買い、バケツで手洗いしました。
使い続けていると、布もぼろぼろになりましたが、おむつがとれるまで、縫い合わせたりしながら使いました。
冬は寒さで手があかぎれて、水がとても痛かったのを覚えています。
保育所を申請してから1か月後、たまたま保育所に空きが出たという知らせがあり、私は研修期間ののち採用という、とある会社へ通うことにしました。
何度も熱を出したとお迎えの連絡があったり、
流行病に休みを余儀なくされたりしましたが、
家で看病をしている度、私はこの子に一番必要とされているんだと愛おしさでいっぱいでした。
朝はホットケーキとバナナで、
お昼は保育所の給食、
夜はぞうすいにその日安かった具材を入れて、
それがほとんどの毎日の食事でした。
寝る時は、広げた布団で部屋がいっぱいになりました。
それでもその日々は、私にとって温和で本当に幸せな瞬間の繰り返しでした。
たくさんの幸せを、今は弟のおちびちゃんにも分けてくれています。