お付き合いを始めて10か月が過ぎた頃、私は妊娠に気づきました。
率直な気持ちとしてとても嬉しく、幸せを感じたのをよく覚えています。
上の息子は、兄弟ができる事を本当に喜んでいました。
そういうこともあり、私は何日か後、病院で検査を受け、お腹の中の赤ちゃんの写真をもらいました。
実はその時、私が結婚をしていないことを知った先生は「堕胎するんだよね?」と聞きました。
当たり前の発言だと思います。42歳で未婚で子を産むなんて、無謀すぎることは重々承知でした。
しかし、私の産みたいという思いは、それより遥かに上をいっていたのです。「先生、結婚しますから、大丈夫です!」と伝えました。
その後の検診でも、幾度か結婚について聞かれましたが、その都度大丈夫ですと確信などないまま、ただ答えました。
お腹の中の赤ちゃんが形としてしっかり撮れている写真を持って、私はある日、彼に打ち明けることにしました。
当然、喜んでもらえるものだという、浅はかな夢を抱いたまま。
告白した瞬間の、困った顔、次の日の朝、「堕ろした方がいい」という悪夢のような答えに、私はこの世のどん底へ突き落とされた様なショックを受けました。
もちろん、写真も見せることはありませんでした。
その日のお昼ご飯に、大阪駅の中でステーキ丼980円を食べ、全く味を感じられないまま、「お醤油のタレだね」と言うのが精いっぱいでした。
そのあと喫茶店でコーヒーとカフェオレを飲みました。彼は私の目の前で4本のタバコを吸いました。そして、先輩が訳のわからん絵を買った話をつらつらとされていました。
今でもその光景は鮮明に覚えています。だって、人生で何度もあることなどない程の失意のどん底という心情の中にいたのですから忘れられるはずもありません。
もちろん、私に堕胎の選択肢はありませんでした。ですから、この関係を終わらせなければならないのかもしれない・・・とその時思いました。
その後も何度か会い、外出するときの休憩場所は必ず喫茶店の喫煙室。お腹が大きくなり、外出が困難になるその日まで。
私は出来るだけ家でご飯食べようといいました。なぜなら、家では喫煙はベランダでされていましたので。でも、彼は「外食でも全然いいんやで」と優しさのつもりで言っていたのでしょう。
もしくは、私が流産したら助かると思っていたのでしょうか?・・そんな風にも思ってしまいます。
私は週末、彼の家へ通い、大きなおなかで夜一人、1時間かけて帰宅する日々が続きました。
ある日、禁煙のレストランで食事をしました。お客様の感想を書く紙に、彼は「もう来ません。タバコが吸えないから」と書いていました。
本当に幻滅です。
妊娠8か月の時、私は初めて父親に告白しました。すると、彼に会って話をしたいといいました。そしてその事を彼に伝えると、「会ってもいいけど、何か言われたら俺帰るで」と。。
父はきっと、一目会って、「私をよろしく」と伝えたかっただけなのだろうに・・私はそういう父の優しい性格も解っていましたから。
その時の彼の言動には、ほとほと愛想がつきました。その後、私は彼の部屋の鍵と殴り書きの手紙を置いて、荷物を引き取って帰りました。
しかし、やはり産まれてくるまでは支えは必要と考え直し、その事を謝り許してもらいました。
その時の彼の言動は、「考えが唐突すぎる。ちゃんと物事をよく考えたら?」という内容のものでした。
私は、世間一般の9割以上が考えられるちゃんとした物事の考え方のない彼にそんなことを言われてもなお、悲しみを押し殺し、笑顔でいました。
それからしばらくして、継母と姉が出産を手伝いに大阪へ来てくれました。
継母は、彼に来てもらいなさいといい、私はその事を彼に伝えると、「あ~はいはい。」と。会いたくないなら無理しなくてもと私は言いました。
「いや、行くわ」と。私の家で、ということに、「え?お店とかじゃないの?」と。私が出産日を1週間内に控えているのにもかかわらず、です。
言われた通り、彼は継母と姉と妹に会いました。仕事の事、これからのこと話しましたが、あまり具体的な話はでませんでした。
継母は一目見たことで多少満足はしてくれていたようですが、姉は彼の男としての無責任さに怒りがあり、始終怪訝な顔をしていました。
帰りに駅まで送ると、「お姉さんは障害?」と言われました。屈辱です。
あと、「初めて会う人に、人の職業は言わないように」とも言われました。
仮にも妊娠させた彼女の親を赤の他人だからと強く言われたようです。あきれました。そんなに俺様は偉いのでしょうか。。
そして、いよいよ出産することになり、促進のせいか、入院したその日の夜中に元気に産まれました。
姉は帰る日をのばして出産に付き合ってくれました。姉がいたから私は安心して出産できました。
息子も産まれる直前に病院に駆けつけてくれました。
出産するにあたって、成人された身内の方のサインがいるといわれたのですが、(万が一の為に)子どもの父親は来られないですか?と聞かれ、
この状態で連絡し、拒否されればきっと本当に立ち直れないかも。。と思い、姉に頼みました。
出産は無事に安産でしたが、その後出血がひどく、朝まで処置室で出血を止める治療を受けました。かなりの痛みを伴いました。
病室に移ってからも2日間は管を通され、寝たきりの入院生活でした。3日目にようやく管が取れ、授乳もできることになりましたが、
その胸の痛みと赤ちゃんの世話で、眠れない日々が続きました。
支えになってくれる人もいないまま、産まれた事を連絡したはずの彼も、病院に姿を現すことはありませんでした。
5日目に無事、上の息子に付き添われ退院しました。出産費用は、処置代を合わせると、15万円は自腹でした。
それからも、大変な日々でしたが、彼が訪れることはありませんでした。
生後14日のぎりぎりに、友達に世話を頼み、出生届けを出しに役所へ行きました。
もちろん、父親の欄は空白のままです。結局私がこの子を不幸にしているのか・・自責の念に駆られつづけました。
3か月になろうとするある日、彼から「母親が大阪に遊びにきており、子を会わせたいのだけど、行ってもいいか?
それと、母親が俺に似たところがないと言うんだけど、本当に俺の子か?」とメールがありました。
子に会うのが母親が来たから・・そして、極めつけに俺の子か・・
今の私を本当に傷つける言葉でした。
自分の親に会わせる事は当たり前、私の親に会うのは必要性がない。そう彼は思っているのです。
私は、メールで怒りを送りました。すると、「そんなの当たり前(俺の子)に決まってる、と返せば済む話。今回は母には理由をつけて帰ってもらうので、もういいです。」と。
必死で彼の子を育ててきた私の労力は、この人には全く関係のないことなのかと、辛く、悲しい思いでいっぱいでした。
それでもやっぱり会わせたいという彼の申し出に、私は怒りを押し殺し、会わせました。
彼のお母様はとてもやさしく、女性の苦労をすごく分かってくれ、その人柄を私は受け入れることができました。
帰る日も、新大阪まで見送りに行きました。この子を大切にかわいがってくれる貴重な人だから。大切に思いました。
ただ、彼への不信感はまったく消えることはありませんでした。
無収入の中、私は貯金を切り崩しながら生活していましたが、このままではいけないと思い、あるいは彼に生活費の工面を頼む事もできたのでしょうが、
信頼を置けない彼に、そんな申し出をすることはありませんでした。
結局子が4か月の時に無認可の保育所へ預け、仕事へ復帰することに決めました。保育料は67,000円でした。それ一切も助けてはくれませんでした。
それから、週末毎に私の家か、彼の家で会いました。
彼は、食事のすべてや、買い物代を支払い、来た日は1万円もしくは5千円、3千円と、子のもろもろの買い物代として置いて行ってくれました。
一度、休暇をとり、彼の姉、お兄さん(会えませんでしたが)、お母様に会いに、それと観光のつもりで横浜へ行きました。
お姉さまもとてもいい方で、私はほっとしました。そして、お姉さんに、「同じ女だからわかるけど、弟は親に挨拶もしてないし、こんな中途半端だけど大丈夫?」
と、やさしく言葉をかけてくれました。私はそのとき悟りました。
以前、彼が、「兄弟や親には子どもが入学したり、お祝いの度にだいぶ(お金)してやっている、と。
きっと、そのこともあり、彼に強くは言えないのでは?あるいは、俺様には言ってもわからないからと思っているのか、間接的に私にそう言ったのでしょう。
しかし、私はお母様にも、お姉さまにも、わたしは彼に良くしてもらっているので大丈夫です。結婚については、私にもう一人息子がいて、その子の帰る場所はまだ必要だからと、
心配をかけまいと、そう伝えました。本当は、心の底から助けて!!と叫びたい気持ちでいっぱいでした。
日々が過ぎるにつれ、子をかわいがってくれるようになってくれたことに少しだけ彼への信頼は回復しようとしていたのです。
それは、家族同然で、きっと彼の「俺様」は少しずつなくなってくれているはずで、私も彼に子の父親としての接し方をしていました。
父親というのは、かっこよくなくてもいい、ただ、包容力といざという時の支えになってくれればと考えていたのです。
それが、子の1歳の誕生日から1ヶ月あまりが過ぎたある日、「この半年、俺は君の無礼な発言にストレスがたまっている。今度俺をディスってくるときははっきり言わせてもらうからそのつもりで」という内容のものでした。
私は、「私は妊娠してからずっとそれを受けていた。電話にも(彼が)出ないし、話したくないならそれでいい、あなたが私に憎悪をいだいているなら、しばらく会わないほうがいい」と返しました。
すると、「了解。平行線なのはわかった。もういい。」と。。
私は決めました。
彼にDNA鑑定をしてもらい、はっきり我が子と自覚してもらったうえで、決別しようと。
代償はいりません。認知も、慰謝料も、養育費の一切を拒否します。
そして、そんな彼を選んだ自分の男を見る目のなさを悔やみながら生きます。
彼自身を憎むことはありません。仮にも我が子の父親なのですから。
そして望むのは、彼がこれから誰かと出会い、結婚し、子が出来て、子どもを育てるということがどんなことなのか、しっかり認識して欲しいということです。
私はこの思いを、公正なる第三者に読んでいただきたいと思っています。