いかがお過ごしですか。

落葉がすすみ、
こちらもいよいよ寒くなってきました。

体を温めるあついお茶が、しみじみと美味しい季節です。








前作も気になりながら
読まずにいた上間陽子さんの本が
今年のノンフィクション本屋大賞を受賞されました。

おめでとうございますニコニコ

ちなみに2019年大賞はブレイディみかこさん『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』でした。



いよいよ、もう読むしかないと手にとりました。


『海をあげる』上間陽子






生まれ育った故郷の沖縄に戻った著者が
幼い娘を育てながら
若い女性の聞き取り調査する日常を記した
12編のエッセイ集です。


どれも柔らかな文章で読みやすいのに
ひとつひとつのことばに
存在感があって
どんどん引き込まれました。





ひとつめの「美味しいごはん」は
私の日常感覚と近いところから語りが始まります。




幼い娘がもしゃもしゃと食べ、
その食べることが好きな様子に安堵し
いつかごはんのつくり方を教えたいと思う。


自分のためにごはんをつくることができるようになれば、どんなに悲しいことがあったときでも、なんとかそれを乗り越えられる。


(私はどんな気持ちで子どもに料理を教えようと思ってるんだっけ、とふと思う。)








上間さんは
自分があまりに深く傷ついたために
食べられなかった頃を思い出します。

友に助けられ
なんとかごまかし、やりすごした長い日々。


一人で苦しみに耐えるしかなかったこと

友だちが窮地に駆けつけてくれたこと

忘れきれない傷とともに生きてきたこと

時間をかけて癒やしてきたこと

そういうことすべてが
聞き取りの相手と向き合う土台になったこと。


生きていることが面倒くさい日々が
私にあったことは、
若い女の子の調査をしていると、
どこかで役に立っている。















娘さんが赤ちゃんの頃
好んで眺めていたのは
『人生最後のご馳走』の
美味しそうな写真だそう。



『人生最後のご馳走』青山ゆみこ






ホスピスを選んだ患者さん達が
選んだ食とその思い出や
スタッフの方々の姿は
『ライオンのおやつ』を思い出しました。



美味しい記憶は
幸せな思い出とつながっている。


ならば料理の作りかたを知ることは
幸せのつくりかたを知ることでもあるのかもしれない。



それから料理を教わり食べる
なにげない日常の一場面のなかに

過去の
さまざまな出来事の思いや
気づきが祈りのように
凝縮して込められていること。

そうやって
父母や祖父母やそのずっと前から

言葉にしない思いもつながれてきたし
つないでいくのだな

そんなふうにも読みました。







それぞれのエッセイのかたわらには

やり場のない思いを静かに受けとめる

沖縄の海の景色がみえます。




亡くした祖母の行くニライカナイを思い
みなで海に入ったこと

保育園の水遊びのこと

若年出産女性のインタビューのこと

祖母がいるニライカナイにつづく海を
汚すように
辺野古に土砂が投入され続けていること



若い人たちの告白や
聴き取る上間さんの思いを
読みすすめるうちに、

知らないうちに
海の深い深いところへ潜っていくようでした。







上間さんの聞き取りの相手となる若い女性の境遇は、


映画なら『怒り』

広瀬すずが演じた少女のように理不尽な暴力にさらされたり






『朝が来る』

蒔田彩珠が演じた少女のように
持て余すほどの困難すら
孤独に耐えざるをえないところに生きている








自分たちの声を聞かれてこなかった
何人もの
少女達の声を
ときには聞き取りの後に
嘔吐するような思いで受けとる。


そうするうちに、
上間さん自身が語る言葉をうしない
自分の声が聞こえなくなってしまいます。


この本は
そんなときに
書けることから
書かれたものだそうで、


だからこそ
ひとつひとつのことばが
考えつくされていて、隙がない。




一番最初に書かれたのは
そして一番伝えたいのは
「アリエルの王国」だそうです。



単行本では最後の方に載っています。

私は「美味しいごはん」から深いところへ
潜っていく順番に理解を助けられました。





まだ戦争が終わっていない地がある。

その事実を
静かに
内面から
見せつけられたように思っています。






とても柔らかな口調で話される上間さんの
受賞スピーチは是非に聞いてもらいたいです。



読んだら、読む前には戻れない。
そんなふうにも思っています。










続けてこちらも読みました。

『裸足で逃げる』



沖縄の女性たちが暴力を受け
そこから逃げて
自分の居場所をつくりあげていくまでの記録





2012年から2016年の聞き取りの記録です。

冒頭につづられる

心も体も傷ついた友だちに出した
甘くて温かいココアのエピソードは

共同研究者の岸政彦さんの著作にも
調査対象者の語りとしてあります。

タイトル『裸足で逃げる』体験ともイメージが重なりました。





あのとき傷ついた友は
自分であったかもしれない。



ある意味で上間さんの原点かもしれません。





一緒に調査することもある
打越正行さんは

著作『ヤンキーと地元』のなかで、
上間さんの聞き取りについてこんなふうに書かれています。


筑摩書房サイトより


彼女は調査の場面で
対象者が語った断片的なエピソードをつないでいく。

それらが立体的につらなっていく場面に、
私は何度も遭遇した。

聞き取り終了後、

調査対象者から

「気持ちよくはなすことができた」
「すっきりした」

という言葉を聞かせてもらったこともある。



本人がはっきりと意識していない思いを
整理するような聞き取りは
調査というより
カウンセリングのような意味をもつ
時間だったのではないでしょうか。


聞き取りの内容をおこし
まとめたあとに
語った本人と読み合わせをして
残していいもの、
いやなものを確かめているそうです。


ここでもまた、
本人のことばで、
過去とこれからを考える時間をつくっているようです。




まるで社会学の手法を用いて
逃げられない現実を生きる人が
いかに生きのびるか
その手立てを探っているようです。




困難のなかにある若い母子が
どうすれば孤立せずに
助けを得られ、
道をひらいていけるのか。
生まれた子どもが
新たな道を生きていけるのか。


助かる最短のルートを
上間さんは知っていて
介入して
教え諭しても
本人がそれを選ぶわけではない

時間がかかっても
間違っても
間にあわないことがあっても

結局は本人が選んだ道しか進まない





では、選びやすい道はどうつくればいいのか。





どちらの本も
語られる現実は
逃げ道がすぐに思い浮かばないような
厳しさがあって
しかもそれは原因が
個人に帰するものではない
根深い社会構造の問題でもあることが透けて見えます。


それでも、
聞き取りながら
窮地を抜け出す道を探っている。

そういう上間さんの語りかけを読み
聞く耳を研ぎ済まそうとする姿を想像すると

圧倒されながらも
まだまだできることはあるのだ、と
希望も力もすこし湧いてきます。








上間さん達は、24時間稼働するシェルター「おにわ」を開設されました。





もし、あなたの窮地に駆けつけて美味しいごはんを作ってくれる友だちができたなら、あなたの人生は、たぶん、けっこう、どうにかなります。

そういう友だちと一緒に居ながらひとを大事にするやり方を覚えたら、あなたの窮地に駆けつけてくれる友だちは、あなたが生きているかぎりどんどん増えます。本当です。
(『海をあげる』美味しいごはん より)




娘にあてて書かれた文にある
窮地に駆けつける友は
読者一人ひとりもなり得るのではないでしょうか。







『海をあげる』も『裸足で逃げる』も
語られなかった声を聞く本でもあります。


(今語られるようになったのは)

聞く耳をもつものの前でしか
言葉は紡がれないということなのだと思います。

あのとき私は聞く耳を持たなかった。
だから聞き逃してきた声がたくさんある、そういうことだと思っています。

(『海をあげる』あとがきより)

 

聞く耳をもつ。
こんなふうに聞いてくれる人が近くにいたら
どんなに心強いことでしょう。

私もそのようになりたいと素直に思う本でした。












飛行機



『ヘルシンキ生活の練習』朴沙羅







朴さんが『海をあげる』の書評を
どこかで書かれていて、
その軽やかで
力強いことばに惹かれました。

ちょうどコロナ前のタイミングで
フィンランドへ移住された際のエッセイです。




仕事先を海外に求めたのは
けして偶然ではなくて

日本国籍の在日コリアンである朴さんと
日本人の夫の間に生まれた
姓の異なる二人の子どもが

就学したあとに名前や出自について
いわれない差別にあったとき

朴さんの父親のように学校に訴え闘ったり

かつての自分のように
自分が何者か悩んだときに
何を伝えればいいのか

そんなことに思い悩む
無用な苦しさにうんざりして

いまだにそうしなくては
生きていけない日本に見切りをつけて

日本を離れざるをえなかったわけでした。





ただ朴さんは相当にタフな方です。

初めての異国の地で
二人の幼い子を単身抱えて
慣れない仕事をしながらの記録とは思えないほど

ユーモアがあって
自分の過度なストレスへの対処すら
冷静に綴られます。

独自な立ち位置から
フィンランドの教育や価値観と
日本のそれを
理想化するでも美化するでも卑下するでもなく
観察し考察します。



重くのしかかる鋭い問いかけもあって
それは宿題だと思っているけれど



たとえば裏表紙写真にある、
保育園のアンナ先生に教わったこと


これらのスキルはすべて、一歳から死ぬまで練習できることですよ


日本にいて、人格や才能と思っていたことが、練習によって見につくスキルだと言われ
憑き物が落ちたような気持ちになる。


なんと盛り上がりにかける話だろう。
でも「あなたはすごい」だの「お前はダメだ」だの評価されるより、淡々と「これを練習しましょう(したければ)」と言われる方が、気が楽ではないだろうか。





気づきについてのエピソードは

自分が行き詰まりをかんじたときに
そのことを相対化して見直すやり方を
実地でみせてくれているようで
有用性を感じています。









どの本も、

こころを開いて語ってくれて、
ありがとう。


そんな気もちで読んでいます。