先日、部屋を覗きこむたぬきと目が合って
お互いに驚くことがありました。
おひさしぶり、元気だったね。
そういえば芋を掘り返さなかったし、さして食害もないから、この町のたぬきは食に事欠かないんでしょう。
そんな師走ももう半ば。
ご紹介いただいた本を何冊か。
『あしたの幸福』いとうみく
パパとふたりで暮らしていた中2の雨音は
大人の事情を察して甘えたい気持ちも自分の心におさめてきた。
だから事故でパパを亡くしても、介護と受験生を抱えた親戚宅には行かずに自分の家で一人暮らし続けたいと主張する。
そこへ音信不通だった生みの母、国吉さんが同居を申し出て、雨音は利用すると決める。
国吉さんは予定の変更と機微を察することが苦手な変なひと。
パパはユニークな人と言い、祖母は欠陥人間と嫌っていた。
パパと再婚間近だった帆波さんもある理由を胸に雨音と一緒に暮らしたいとやって来る。
そして始まる三人の共同生活。
雨音には親身になってくれる友達がいる。
母の鬱病で看病と日常雑事を一人で引き受けている廉太郎と、
どの場面も絵が思い浮かび、
数々の名作マンガを彷彿とさせました。
テンポよいセリフの掛け合いや
友情も思春期のときめきも
一風変わった設定も納得してしまう
まるで巻が進むごとに明かされる
脇役も主役になる物語のように
『あしたの幸福』の登場人物たちも
行間にそれぞれの物語を予感させました。
うまいなぁ、と思ったのは
雨音は気丈に普段通りにふるまうけれど
父の死後
部屋で考え事をして
気がつくとあたりは暗く夜になっているし
避けていた電話をとったら
どっと疲れて朝まで寝てしまう
そうやって雨音が語らずに
心の深いダメージが描かれているところ。
子どもは最後まで逃げません。
でも、だから折れます。
背筋がすっと寒くなる国吉さんの一言。
国吉さんが語る過去に、彼女自身の家族の団らんはみえません。
彼女独特の言動は発達障害の特性を想起させ、周囲の理解次第で平穏と不幸の落差が大きいことに愕然とします。
祖母と父と暮らしていた雨音は
父の死後、元母と婚約者との三人の食卓にふと普通の家庭の雰囲気を感じます。
廉太郎の母が病んだきっかけは、誰にでも起こり得ることでした。
重ねられるエピソードを読んでいると、ページを繰る手を止め、語られないことを想像する時間のほうが長くなりました。
国吉さんがつくったオレンジミントティ。
オレンジジュースと冷やしたハーブティが7:3
すっきりして美味しそうでした。
自分の人生のハンドルは自分で握ること。
例え、失うものがあるとしても、
自分を失うことはないから。
作者いとうみくさんのメッセージを、
今はそんなふうに読んでいます。
家族のありかたについても、
いくつかの問いかけが胸に留まっています。
国吉さんのことばに返す雨音の思い。
大人を守るのは
子どもじゃなくて社会かな
子どもは逃げないんじゃないよ、
逃げかたも
逃げる場所も
あたしたちは知らないんだよ
たいていの子ども達は社会に対してまだ無力で声のあげ方もよく知らないから、大人が耳をすましていないとどんどん見えない存在になってしまう。
認知度と、内面が可視化でき共感しやすいフィクションの影響力に期待したいところです。
合わせて紹介いただいた本、こちらも読みました。
調査や聞き取りからみえる、ヤングケアラーの実態や統計調査の難しさがわかる一冊でした。
子どもが自分の力だけで、自分と家族のことを理解し、自分にかかっている負担に気付くことは難しい。それゆえ子どもが自らSOSを発信することも、相談してくることも、ほぼ期待できない。
幼い頃に徐々に手伝いから始めて、過剰な負担になってもそのことを自覚しにくいこと。
本人が頑張る間は家庭外に表面化しにくいこと。
担任に伝えても、お手伝いをしている程度と思い違いされ、深刻な実態が見過ごされやすいこと。
慣れない子どもが不器用に家事をするために、聞きとる大人が想定するよりも膨大な時間がかかっていること。
疲れとストレスから、ヤングケアラー自身が不調に陥りやすいこと。遅刻や欠席を怠惰と思われ非難されがちなこと。
学校ではできるようになることに価値が置かれるけれど、介護ではできない、できなくなる相手と向き合う。
二つの価値観のせめぎ合いを打ち明ける相手もなく、心が擦り切れていくこと。
介護経験が評価されず、普通の経験が薄いために、自己評価が低くなりがちなこと。
周囲の気付きの大切さや子どもの気付きを促すサポートの必要性がわかる。
(太字引用 いずれも『子ども介護者』より)
『ヤングケアラー わたしの語り』澁谷智子編
難病の母、高次機能障害の母、障がいのあるきょうだい、家族、精神疾患の母、認知症の祖母。介護した方たち七人の手記。
「ヤングケアラー」という一つの単語でまとめていいのかと躊躇われるほどに、その困難と苦悩は多様でした。
私はロボットのようになりたいと思いました。(苛立ったり嘆き悲しむ)
感情を生む心を捨て、
淡々と日々やるべきことをこなしたい。
母のことも母ではなくて
ロボットだと思おうとしていました。
もしかしたら私は
母をロボットと思うことで、
母がもっている感情を
知らないで済むように
したかったのかもしれません。
『ノートの片隅から』より
一編一編の手記は伝えたいメッセージが鮮明な小説のようでした。
必要な人のところにこの方々の声が届いてほしいと願わずにはいられません。
家族のケアはどんなケースであれ、
時間も労力も気力も
とてつもなく消耗します。
友人、親戚・・は
それまで良好だった
人間関係のバランスが崩れることも多いので
難しいところです。
だからこそ
行政の支援制度や業者などの
いわゆるプロの他人の手を
できるだけ借りてください。
一人の人間を支えるには、
一人の力では到底足りないからです。
『母と過ごした時間について』より
高崎市が全国初でヤングケアラー支援をはじめるそうです。国の規模で取り組んで欲しいです。
保護者の承認が必要なので、ヤングケアラー自身の必要性がそのまま反映されるわけではないかもしれないところは懸念されますが、大事な一歩です。
こちらも紹介本です。
ありがとうございます!×2
今回の本に限らず、記事にしていないものも含め、紹介本・作品を鑑賞できたおかげで、私はずいぶんと豊かな時を過ごしています。
いつもありがとうございます。
小児麻痺で車椅子に乗る17歳の姉ウネと
ロボット研究者の道に挫折したばかりの15歳のヨンジェ。
それぞれが生きる意味、希望を託すのは、
故障して安楽死を待つ競走馬のトゥデイと
廃棄直前の騎手ロボット、コリー。
お金がないから、手に入れられるものも諦めなくてはならない。登場人物達は夢も誇りもあるから、何度も悔しさを噛みしめます。格差社会や貧困ということばが、頭をよぎりました。
物語は、諦めきれない心が見つけたそれぞれの道を描いています。
競走馬やロボットという設定、
すぐに手にとるにはためらいがあったけど
読み始めたら共感の嵐。
ちょっと青臭いかな、と思う照れくさい言葉も
物語のなかでは心に素直に響いて元気をもらえました。
ごはんも炊けない「たわけもの」と別れるときに20キロの米袋をぶちまける場面。20キロの米粒が部屋中に散らばる光景は韓ドラっぽくて破壊力ありますね。翻訳者カン・バンファンさんのことば選びも小気味よかったです。
コリーに共感する能力はなかったが、
共感するかのごとく動く設計になってきた。
どのみち、
人間であってもまともにできないのが共感だ。
こんな言葉、なにかの拍子に思い出して笑っちゃいそう。
はからずも、ヨンジェもヤングケアラーの時期がありました。
他人の理解を諦めれば、
あらゆることが楽になった。
関係に期待しないため傷つくこともない。
風ひとつ吹かない静けさ。
それは寂寞でもあった。
ヨンジェが、ロボット研究の才能があり、ロボットに息を吹き込む力を持っている設定は、まるで喜びを諦めずに生きたい自分に生命を吹き込んでいるようにも思えました。
人、馬、ロボット。
どの存在も優劣なく等しいところで自由や喜びを求める姿を描いていて、切なく、そして清々しい読後感でした。
大丈夫、気にしないで。
きみにはきみの走る道があるんだから、
それだけを見つめて走ればいい。
自分のスピードで。
青臭く思えるけれど、若い母が夫に伝えた言葉がエールに思えるので、載せておきます。
漢江の夕日に向かって
必死にペダルをこぐ子どもたちに、
これからも止まることなく
走り続けていてほしいと。
時に人生がなんの相談もなしに
別の方向へ舵を切ったとしても、
そうして壁にぶつかり
深い痛手を負ったとしても、
もう一度立ち上がって舵を取ればいいのだと。
自分たちに1%でも希望が残っている限り、
それはじゅうぶん
逆転を狙える力になるはずだと。









