夏休みも折り返し
暦は立秋。







ことしも夏野菜の備忘録。

キュウリ苗はいくつか植えたものの
数本しかならず。
丈夫なゴーヤもそだちが今ひとつ。
土壌改良が必要かしら。

トマトは暑さにも水不足にも強い。



夏の暑さで弱った苗のトマトが

雨と雑な水やりで大量に割れてしまい



思いつきで
ドライトマトを作ってみた。

オーブンで焼き、
ニ昼夜、天日干しして。

パスタにしたら
さわやかな酸味。

手間をかけたほどには
味に存在感はでなかったけれど

たまに作るならいいかな。



子を合宿に送り出したり

子の友達と疑うほど若い声の
高圧的な特殊詐欺電話に
「通報します!」と怒ったり。



あわただしい日々のかたわらで
久しぶりに手にする



『夏の花』原民喜





広島で被爆した
詩人、原民喜。


集英社文庫では表題作をはじめ
『壊滅の序曲』『廃墟から』の
原爆三部作が
おさめられています。


簡潔な情景描写の連なりが
映画のカットのようで

読んでいる自分も主人公の傍らに立ち
戦時下の不穏な空気
原爆投下直後の混乱
おびただしい犠牲を見ているようでいて

挿入される心象風景は
夢のなかの出来事のような
距離感もあって

自分がまるで
影か死者になり、なすすべもなく
惨禍をただじっと
見つめている気がしてくるのです。







彼はやがてこの街とともに
滅び失せてしまうのだろうか。

それとも、
この生まれ故郷の
末期の姿を見届けるために

彼は立ち戻ってきたのであろうか。

『壊滅の序曲』より



『原民喜』梯久美子



若い人に原民喜を読んでほしいと
新書にまとめられた原民喜評伝。

ノンフィクションの名手、梯久美子さんが
莫大な資料をもとに
原民喜その人を生々しく蘇らせています。


中学時代
誰とも全く口をきかず
体育や体操がうまくできず
不器用な動きを
教師や生徒からなぶられたり


左翼運動の理想に共鳴し
前のめりに身を投じるも
暴力、密告、裏切りに
人間不信となり

愛する人を次々と若くして亡くし

飲み屋で大人と酒を酌み交わすより
店の隅にいる少女の
描いた絵をじっと眺めている。



孤独と
むきだしの柔らかな感受性が
むげに傷つけられる
痛々しいエピソードの数々を背景に


当時の言説とは
一線を画した表現で

創作を続け
被爆体験を記録した
原民喜の姿を
浮かび上がらせています。




彼は作品を書きあげて
自死するのですが

まるで誰も目に留めない
野の花が
次の芽吹きを見守りながら
そっと枯れてゆくような
理すら感じさせます。

梯さんは、
若者に読んでほしいからこそ
自死を美化させない構成に
腐心されたそうです。


「死」も陰惨きはまりない地獄絵としてではなく、できれば静かに調和のとれたものとして迎へたい。



以前は
原民喜の脆さ、痛々しさ、純粋さが
下衆な世間に晒されおびやかされるさまを
はらはらしながら読みました。


今年、読み直すと




昨日今日の出来事のように語られる
全く古びない文体と

世間ずれしていない
茫洋とした行動の内側で
正義感と反骨心と批判的な視線が
ちらちらとみえる

まるで今どきの若者の姿のようにも
みえることに驚かされました。



原爆文学の
今の文学に通じる普遍性に響いたのか

戦時中の一市民の戸惑いや
素朴な反応に
今の危うい情勢と重ね見ているせいなのか

それは次に読み直すときに
よりはっきりと
みえてくるのかもしれません。



拳を上げ声高に叫ばずに

戦時下のいびつさや
原爆のむごさ
踏みにじられない
生命のはつらつさを語った

原民喜の
稀有な立ち位置に惹かれる
再読となりました。


人間の不安と混乱と動揺は
いつまで続いて行くかわからないが、
それに対抗するためには、
内側にしっかりとした世界を築いていくより
外はないのであらう。






おまけ


梯さんと三浦しをんさんの対談での
原民喜は
「コミュ障」の愛敬さもあり
私の印象よりも頑固で強さをひめていて
その目線でも読み返したいです。






広島と長崎と
ビキニ環礁と。
核廃絶と
原爆忌に思いをはせながら。