初見の妄想雑感の記録。
妄想すぎて削除するかも
今月公開の『DUNE』観ました。
息子は、
予告編がスター・ウォーズの既視感があって、
二番煎じのようで、観ないと言う。
本家はDUNEの方だけど、予告編は確かに。
でもね、
上映開始数分で、
映画館で観てよかった〜
予告編は別物と思っていい!
私は満足しましたが
観た方の評判は絶賛と不評とにはっきり分かれているようです。
予告編がスター・ウォーズ的だったので、
娯楽大作を期待すると、
ドゥニ・ヴィルヌーブ監督の作風に面喰らうのかもしれません。
私は『メッセージ』で出会いました。
『メッセージ』
かなしいエピソードからはじまる物語は
陰鬱な気配すらあって
色調も暗め
結末も劇的なはずなのに
静けさを感じて
こんなSFもあるんだな、
と異質な印象を受けました。
いろんなシーンが心に引っかかって、
観直すたびに
不思議と好ましさが増す作品でした。
物語は登場人物もロケーションも少なく
言語学者と子ども
物理学者と
数人の軍人と
エイリアンのみ
ストーリーはシンプル、
言語学者が未知の宇宙生命体と交信しながら
その言語構造を探ります。
話す言語によって思考や認識もかわるという発想をもちいて(サピア=ウォーフの仮説)
言語構造を解明し、理解を深めるうちに
主人公は、本来もっている時間意識から、
宇宙生命体のもつ
独自の時間や感覚の認知へと変容し
その人生のとらえ方も変わっていきます。
原作はテッド・チャンの短編
『あなたの人生の物語』
映画はドラマティックなエピソードも加え、テーマを繰り返し描いていて、原作よりわかりやすくなっています。
テッド・チャンは覚書で
人が避けられない事態に対処する話の中で、
(物理学の)変分原理を使えるかもと思いついた
と記しています。
前半を描くのが文学なら
後半を加えるのがSFなのでしょうか。
映画は
始まりも終わりも区切りのない
一つの円環で表される
言語と時間感覚をもつエイリアンの
表義文字を
生き物のような動きで表現した
映像が美しかった。
そして、叶わぬ夢を実現した世界を
SFの視点で描きます。
「未来を知ることは本当に可能なのか?」
避けることのできない未来を知ってなお、
自らその未来を選ぶ登場人物。
大切なものをいつまでも
手元にとどめておけない儚さを目の前にして、
いつかは失うもの、
失ったものへの
思いがつのりました。
今年息子と観ました。
物理学を理解できていない私達でしたが
運命論のような、
実証できない未来をめぐる仮説については
実証できないから
今を精一杯生きればいいんだよ、と
息子のほうがよほど割り切れていました。
そして『DUNE 砂の惑星』
原作は全部で6冊とか。
映画原作はそのうちの3冊
今回の映画化はそのうちのさらに半分。
プロローグ的な立ち位置の映画となります。
映画を観る前に結末まで読むか
躊躇して
以下は、読みかけの感想です。
原作では主人公の15歳のポールは
貴族の跡取り息子で
魔女的な母の特殊な能力を伝授され
選ばれし者的なエピソードが満載でした。
哀しいかな、
今の私には感情移入しにくくなっていた。
架空の世界の
時代小説的な政治の駆け引きも
レアな香料を麻薬抗争にみたて
数多い登場人物の
人間関係を整理し想像しながら読んだけど
映画はよくできたもので、
そのあたりはざっくりと省かれていて、
わかりやすくなっていた。
原作を読まなくても楽しめるはず。
そして息子の姿に原作よりも親近感。
母親の干渉を面倒くさく思う
息子のかんじ、見たことある〜
主演のティモシー・シャラメは25歳なのに
思春期男子の内面のアンバランスさを繊細に演じていました。
凄い。
母レベッカ・ファーガソンの
妖艶で真意をはかりかねる表情のなかに
息子の未来を食いつくしそうな野心を覗かせる演技も絶妙でした。
男児に産み分け
女子にしか伝えられない秘技を
息子に訓練して
野心を実現しようとしている。
怖い母・・・
そこを制して
成長していくポールの姿が眩しい。
この映画を観て
ある意味で
究極の母と息子の関係性に
ツボを押されたのか
なんだか、せいせいとした気分で、
息子のやり方に任せていこうと思いました。
(影響うけすぎ
)
原作では権力のあるパワフルな男性を
キャスティングが変わって、
ほっそりした女性がしなやかでいて逞しく演じていました。格好良かったです。
映像化困難とされた作品を
現代の技術で実写化を成し遂げた
巧みさと映像美も見惚れますが、
現代の感性で脚色していてる点も
見どころになっていると思います。
『DUNE』は、後世の多くのクリエイターに影響を与えたようです。
その一人、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』が実写化したらこんなふうに描かれるのかしら?というシーンもちらほらありました。
永遠にないであろうジブリ作品の実写化を想像する、本編とは別の楽しみもありました。
私は時間的に普通の上映を観て満足しましたが、もう一度観るなら絶対レーザーIMAXで観ます
そしてpart2が待ちきれず、
ドゥニ・ヴィルヌーブ監督の未見SF作品を観ました。
『ブレードランナー2049』
ディストピアSFはな、と
食わず嫌いでいてもったいないことをしました
とはいえ
今見たからこそ、感じられるものもあるのかも。
レプリカント(人造人間)と
人間の見分けが
眼球のシリアルナンバーでしか
見分けがつかなくなった近未来。
人間はなにをもって人間たりえるのか
生物的な違いの境界が見えにくくなったとき、
その存在意義が問われます。
物語は
人間としてひっそりと生きようとする
旧型のレプリカントが、
人間の社会秩序を脅かす存在として
探し出され抹殺される社会。
抹殺を実行する者を
ブレードランナーと呼びます。
富裕層の人間は地球外の新世界で暮らし
地球では
大企業が
従順で人間らしい新型レプリカントを
下僕として製造し送り出している
レプリカントのK(ライアン・ゴズリング)は
粛々と抹殺する仕事を行っても
感謝されず
人間からは蔑まれ、
実体のない廉価版ホログラムAIのジョイだけに心を許している
喜びの未来があるのか、と疑うような
孤独な生活をおくっているようにみえる
製造時から成人の自分にある
子ども時代の記憶。
それが本当の出来事だと知ったとき
捜査の名をかたって
自分のルーツを探すことになります。
寡黙な主人公の
真実を探る心の旅が
希望への喜びやおそれや戸惑いが
K(ライアン・ゴズリング)の表情に見え隠れして
観ている自分も
その期待が真実であってほしいと願ってしまった。
監督はKを
人間になりたかったピノキオだと
語ったそうです。
ブレードランナーの世界は
企業の社長の口から
人間が奴隷であってはならない
奴隷はレプリカントでなくてはならない
と語られ
レプリカントと人間のドラマをつうじて
奴隷制度社会を描いていました。
まるで
アフリカ大陸で捕らえた人々を
「新世界」へ送り出す
何世代も奴隷として生き死にした人々が
自らのルーツを探す
その物語を2049年に再現していたよう。
そして、日本で鑑賞する私の目には
レプリカントというフィクションの生き方が
日本に住み、納税しても
選挙権のない
技能実習生や外国籍の労働者のようにも思えました。
従順に働き、社会を脅かさない存在。
レプリカントが求める自由への道が
かぎりなく険しく思えるのは
虚構と現実の境界が曖昧に重ね見えるからでしょうか。
肉体をもつ女性が
廉価版ホログラムAIのジョイに
彼女がうったえる愛を
あなたの中身(プログラム)なんて(人間にくらべれば)薄っぺらいと
言い放つ
その言葉への反感から
生きとし生けるものが
子やつがいをいとおしむ姿を思い出しました。
愛に高次な機能は必要ではないし
愛が高尚なものとうたうなら
それは人の奢りだろうとも気づかされる
登場人物が
特別な記憶が自分のものではないと
知ったとき
彼は悲しみの底に落ちる
そのとき支えになったのは
自分を愛してくれた者の存在。
その愛にむくいたい思いが
相手を救い
自分をも救う。
映画で「大義」とよばれるものは
その存在にとっての
生きる意味、なのでしょうか。
映画づくりは
詩をつくるようなものだと考えているので、
解釈は観る方にお任せしたいと思いますが、
生きるために
死も包容していくことを
感じとっていただければと思います。
(ドゥニ・ヴィルヌーブ監督のインタビュー記事より)
レプリカントに植え付けられる記憶は
読書や映画鑑賞のようにも思います。
自分では体験していない出来事も
追体験して
心がふるえて
自分の体験になる。
その体験は作り物ではないのだと
『ブレードランナー2049』の
レプリカントが
教えてくれたように思います。
今月の満月もみとれる美しさでした。
ドゥニ・ヴィルヌーブ監督のフィルモグラフィーを調べてびっくり
衝撃の『ボーダーライン』も彼!
音楽も素晴らしかった
『メッセージ』と制作時期が近いことにも衝撃
『プリズナーズ』『複製された男』も・・
監督の作品と知らずに観ていた・・・
幅の広さに驚かされます
ハリウッド進出前の作品
『静かなる叫び』『灼熱の魂』は未見です。
動画配信していないので、探して観たい。
これだけ大作を連続して成功させたら
しばらくは創られない世界だろうし
監督の創作の源泉に通じるかもしれないから。
それにしても
前衛的な作品はともかく
映画が詩のようなものとは
思いもしませんでした。
監督の言葉のおかげで、
観ることが
詩を読むことが
さらに楽しみになりました。











