受験生の皆さま、ご健闘をお祈りしています。






先日、鎌倉でおとずれた

三浦氏一族のやぐら



山肌にうがたれた坑が

自然と一体化した洞穴のようにくらくて


ここを墓所にするとは

どんな心のありかただったのだろうと

疑問がわいたのでした。




やぐらは右奥の黒い穴

手がかりをもとめ

場所は違えど

鎌倉時代初期に完成したという

それだけをたよりに

『宇治拾遺物語』を選んでみたら、




町田康さんによる

ぶっ飛んだ現代語訳に

おったまげ!



池澤夏樹責任編集 日本文学全集より

『宇治拾遺物語』 町田康 訳



全集第8巻の
この一冊には

『日本霊異記』

『今昔物語』

『宇治拾遺物語』

『発心集』


四つの説話文学がおさめられてます。


笑い話や

世にも不思議な話

怖い話など


芸能や文学のもととなった

有名な物語も載っています。



伊藤比呂美さん、

福永武彦さんの現代語訳は

現代小説のようにわかりやすく


個々の物語は

星新一のショートショートのように

ピリリとしてます。



選ばれた説話も秀逸。


ハラハラさせる展開で

今、設定を現代に変えて

ドラマ化したら視聴率をとれそうな


お笑いや

サスペンス、

スリラー、

ホラー映画

恋愛ドラマのよう


説話は口承で

聞き手の反応に鍛えられた物語なのだと

感心しました。



詩人、福永武彦の訳による

今昔物語も面白かったけれど、


町田康の訳による

宇治拾遺物語が大胆すぎて衝撃!



例えばこれは芋粥のから抜粋です。





「え?芋粥を飽きるほど食いてぇ?それマジ?」


「マジっす」


「よりによって芋粥かよ。滓みてえな奴だな。あ、わりい、わりぃ、ごめんな、お客さん、滓とか言っちって」




講談社学術文庫『宇治拾遺物語』より



町田康さん、

原文を直訳し、

文と文の間を想像で埋めていったそうです。



画像はお借りしました。

桂枝雀の落語になぞらえ、

座布団にちょっとでも足先がかかっていればそれは落語だと桂枝雀が決まりをもうけていたように


原文にちょっとでも足先がかかっていたら

それは翻訳だと。



↓こぶとり爺さんの原典となった話が試し読みできます。



https://web.kawade.co.jp/bungei/3393/ 

PCからのほうが閲覧しやすいかも


2015年出版当時

町田康さんの訳は評判だったそうです。





町田康さんによると


「この翻訳(こぶとり爺さん)は足先の爪が座布団についているかいないか、ギリギリだと思います」


(みんなで訳そう宇治拾遺『作家と楽しむ古典』より)



宇治拾遺物語は

全部で197篇あるのだけど


町田康さんが訳したものには

阿呆みたいなスケベ話がいくつもあって

爆笑するやら呆れるやら

これが長年語り伝えられてきたことに

頭がクラクラしました。


ちょっとここにタイトルを書くのが

ためらわれますキメてる



とはいえ可笑しくて

思わず子にも紹介したら

あまりの莫迦莫迦しさに

かしこまったもののと思いこんでいた

古文の印象がすこし変わったみたいです。


海外で日本文化を尋ねられて

宇治拾遺物語の小話ができたら

いいんじゃないかと思うけれど


お下品かな?



子ども向けの宇治拾遺物語には

絶対に載っていないお話の数々。

たとえばポプラ社の訳者は




「大人にはめっぽうおもしろい話でも少年少女には遠慮しなければ」

「ユーモアに満ちた話だけど、いささかはばかるところがあってこの本で採用するのは割愛した」


と解説中に二度も言及されてました。

本当は載せたかったのかな。



ご興味あるかたは、町田訳もおすすめです。




『作家と楽しむ古典』




伊藤比呂美さんと

町田康さんの

翻訳の舞台裏に興味がわいて

こちらを読みました。


詩人や作家の方々が

古文の言葉や音が意味するものを

当時の人々の感性を深掘りされていく

その勘所が

芸術的、情熱的かつ軽やかで


訳者の頭の中を

もっと覗き見たくなりました。


ちなみに

日本霊異記が

呪術だと気づき翻訳に苦労されたという

伊藤比呂美さん


町田康さんの訳を知って腰が抜け、

「町田康コロス」と思い

長い文学生活の一、二を争うほどの

深い衝撃を受けたそうです。








百人一首の小池昌代さんは

源実朝の歌を

孤独で透明な歌と評し

その解釈と訳を披露されています。






実朝をモデルに
太宰治、小林秀雄、吉本隆明、
坪内逍遥、武者小路実篤
中野孝次、斎藤茂吉、正岡子規ら
名だたる作家が作品を書いているそうで

源実朝は
それほどに作家達を惹きつけた
生き様だったのか、
という驚きと 

小池さんの訳に惹かれ
そのなかの一冊を読むことにしました。


『源実朝』吉本隆明


詩人で批評家の吉本隆明さんが

実朝の詩的思想を明らかにするために

前半は

実朝暗殺が必然となるまでの

政治の変容について

吾妻鏡や玉葉などの記述から推測し





後半は

実朝の歌から

孤独で逃れられない境遇のなかで

彼が何を感じ

歌にしたかを読み解いていく




極上の推理小説を読んでいるようでした。











私の関心にひきつけると

祭祀の長者の章に

鎌倉の祭祀形態についての記述があります。

p88~89 


鎌倉は

南シナや東南アジアから定着した海人部

武蔵に定着した帰化人

縄文時代からの土着の人々から構成され


祭祀形態はかなりの古層から形成されている。


表面的には差異はあるようにみえても

おなじ原初にゆきつくと

みなされることもおおい。


となると

勝手な(希望的な)想像ですが

やぐらの由来は

土地活用のための簡便な策以外の

理由がありそうに思えてきます。





じっくり再読したいです。








番外編


『これで古典がよくわかる』橋本治



枕草子や源氏物語を現代語訳した

橋本治さんによる

受験生のための入門文学史


第五章に実朝の歌があります。


古典のわかりにくさを

わかりやすく説明してくれ

古文学習を苦手に思うようなら

その先入観を和らげてくれそうな一冊です。



といっても

私は現代語訳ばかり読んでいるので

子には冷ややかに見られています。



ただ橋本治さんの



古典をわかる上で必要なのは


「教養をつけるために本を読む」じゃなくて


「行き当たりばったりで“へー”と言って感心してる」の方なんです。



というアドバイスは

まさに

いつも行き当たりばったりに

「へー!」と読んでいる私にとって

助け舟のように思えました。















皆さまにとって良き週となりますように。