「死への恐怖を克服する」

YouTubeチャンネルにて動画を公開した。


死の本質は食物連鎖だ。

動画の中でそのように語った。


このことに気づき、自らの命の尊さを実感した。




自然界における死は他の生命体の食物になることを意味する。

捕食される、あるいは死後土となり植物などの栄養となる。

つまり自らの死は他の生命体を生かすことなのだ。


人間界においてヒトが食物となることはほとんどない。

しかしながら我々は生命維持のために日々何かを食べている。

つまりそれは日々何かしらの生物の死をもって生かされているということだ。


そうして何十年と生きながらえてきた。

己が生きるためにこれまでどれほど多くの生物の死が関わってきたことだろう。


自らが多くの生物の死によって生かされていることを知ると、己の命の尊さをひしひしと感じるようになる。

あなた方の命の犠牲をもって私の体を生かしてくれてありがとう、という深い感謝を感じる。

細胞の一つ一つに有り難さと愛おしさを感じるのだ。




我々日本人の食前の挨拶、「いただきます」という言葉の本質には

「あなたの貴重な命をいただきます」

という意味があるのだろう。


己の体の指の先、足の先に至るまで60兆個もの細胞にこれまでに奪った命が息づいている。


全ての生物にはそれぞれの生き方、生命エネルギーが宿っている。それを繋ぎ死を活かすことが食物連鎖だ。

他の生物を自らの一部にする食事は神聖なことなのだ。

生き生きした生命エネルギーを接種すればそれが自らの活力となるだろう。

ヒトの食物のために狭い檻の中で一生を終えた生物を取り入れれば檻の一生というエネルギーを取り入れることになる。


イスラム教では祈りを捧げた肉、ハラルミートを口にするが、それも理にかなったこと。

その動物の死に祈りを捧げることで一生を、エネルギーを整えるのだろう。

キリスト教においても食前の祈りがある。

日本では「いただきます」が祈りの言葉となっているのだろう。


近年に見るヒトの心のもろさは体に取り入れる食事の質の変化にも起因するのかもしれない。

化学調味料とプロセスフードは生命エネルギーが破壊された無機質な物質。


「命を繋ぐ」という自然の摂理に反する行為なのかもしれない。


他の生物の一生のエネルギーに感謝し、それらによって形成された自らの肉体に感謝し食事を摂取すれば、自ずと肉体と精神に生命エネルギーが満ち溢れることだろう。