「明後日ですが夜便ですよね?昼間10分で構わないのでちょっとご挨拶に来ても良いでしょうか。」

「どうぞどうぞ、私たちもみずえさんの顔を見たいし。」

温かく、でも寂しさの残るバースデーはお開きとなった。

帰り際には日本から持参して使い切らなかった食材や飲み切らなかったビールなどたくさんのお土産をいただき、出発当日にも立ち寄ることを約束してアパートメントを後にした。

 

 

 

翌朝、いただいたお礼のカードが入った封筒を開け、中身を見て慌てて明子さんにメッセージを送った。

 

「おはようございます!!
いきなりですが、立て替えた分が多すぎてビックリしてしまいました。
オーストラリアドルは安いのでお預かりした分の半額になります。
さすがに多すぎて受け取れませんので明日お会いした時に精算させていただきますね。」

 

お二人がオーストラリアドルへの換金を多くはしていなかったこと、コロナ禍により買い物が思うようにできず、私がオンラインで購入し建て替えた分などがあり、その精算を日本円ですることになっていた。

ところが実際に建て替えたよりもかなりの高額が同封されており驚き、受け取りを辞退したという訳だ。

 

「みずえさん、おはようございます。
昨日は心に残る素敵な誕生日となりました。
ありがとうございました。
明日もお目に掛かれるのはとても嬉しいのですが、清算はお断りさせてください。そんなに多くはありません。
西郷さんからの感謝の気持ちが少しだけ入っていると思ってくださいね。」

「感謝の気持ちは私の方なんです……。
ロックダウンのつまらない生活が、お二人のお陰で楽しく充実した生活になって、本当にラッキーだといつも思っていたんですよ。ご帰国なさったらとても寂しくなります……。」

 
結局この「西郷さんからの感謝の気持ち」は返金させてもらえず、受け取ることとなった。
返金しようとする私を明子さんが拒否し、二人ですったもんだしていると西郷さんが後ろからきっぱりとした口調で言った。
 
「絶対に受け取ったらダメだからね。」
 
今回もまた西郷さんの生き方、在り方を垣間見、人格の素晴らしさを再確認するに至った。
助けてもらっているのはこちらの方だと思っていたが、私が何かをオファーした際にはいつも必ず深く感謝してくださっていた。
著名人にとってはいたる場所で特別扱いをされることが常であろう。
それを当然のように受け取るだけの方も多いのに対し、西郷さんは著名人ゆえのメリットを当たり前に受け取る方ではない。
ひとつひとつに丁寧に感謝し、返せる時には必ずお返しをしてきたのだと思う。
西郷さんは見下すことも媚びへつらうこともしない、全ての人に等しく敬意を払う方なのだ。
私のような一般人で西郷さんにとって何のメリットもない人間に対しても敬意をもって接してくださっていた。
そうやってこれまで多くのご縁を繋いできたのだろう。
 
 
 
午後になり西郷さんから1通のメールが届いた。
 
「みずえさん
昨夜は貴重なお誕生日をお祝い頂きありがとうございました。ケーキもよほど嬉しかったようです。
昨日の検査の結果、例のDVDですが、また開けて覗いてみたい欲求に駆られました。
電話でも結構ですからもし時間があればご指導いただけますか?
西郷」
 
待ってましたとばかりにすぐさま西郷さんに電話をした。
 
「良かったら後で伺いましょうか。」
 
本当は電話で説明するだけでも良かったのだが、出国を翌日に控え名残惜しく、できるだけ用事を作ってお二人に会いに行きたかった。
 
 
 
夕刻のボンダイビーチへ向かう。
通い慣れたこのアパートメントに来るのももう明日を残すばかり。
最後の陽がビルにしがみつくように名残惜しそうに街の向こうに消えてゆく。
水平線から天上に広がる空はピンクと薄紫のグラデーションに覆われ、辺り一体を優しく包み込んでいた。
穏やかなビーチの風景が愛おしさを増している。
影がなくなる不思議な時間。
陽が沈み、完全に暗くなる前の少しの間だけ世界から影が消える。
そしてふと思う。
人の人生もそんなものなのかもしれない。
命の火が消える時、心の中には光も影も失くなり、優しく穏やかな静けさに満たされるのかもしれない……。
西郷さんと明子さんとの楽しい時間も終わりに近づき、夕暮れにそんな感傷的な気持ちを感じていた。
 

 

 
アパートメントにはいつものお二人の姿があった。
キッチンを忙しく動き回ると明子さんとベランダ近くのソファに海を背景にゆったり座る西郷さん。
頻繁に通うようになり、西郷さん、明子さんとの距離が縮まり、通いのお手伝いさんのような気持ちになっていた。
早々に西郷さんのMacBook Proで確認作業を終わらせ、キッチンで明子さんと他愛もないことを話す。
そして厚かましくディナーにも呼ばれ、別れ際には追加で未使用の食料品をいただき退出した。
帰宅すると早速いただいたお土産を袋から取り出し、明子さんへメッセージを送った。
 
「今日もたくさんのお土産をありがとうございました!
手に入りにくいひじきやお茶、そしてサンマの缶詰もとても重宝します。
おそうめんも美味しそうなので楽しみです。
明日ですが、1:30ごろにちょっと顔を出させていただきますね。
何があるわけじゃないんですが、名残惜しくて…。
テイクアウェイコーヒーでも買って行きますね。」
 
「何だかごちゃごちゃと、捨てても良いような物をごめんなさい。
明日もいらして頂けるのはとても嬉しいです。
みずえさんが居てくださると、何だか元気が倍増します。」
 
 

9月23日、旅立ちの日。
清々しい快晴のシドニーの朝は寒さもゆるみ、春が間近であることを告げていた。
ベランダに出て空を見上げ、コロナ禍でめっきり数が減った飛行機を眺めながら、新たなステージにチャレンジしようとしている西郷さんとそれを支える明子さんの行く末を思った。
 

「ガンの先進医療とその効果」。西郷さんがテレビで自らの言葉で伝え、活躍することで多くの患者とその家族に希望を与える。

決して楽なことではなかったはずだ。
完璧にはほど遠い健康状態で「元気」を演じなければならないプレッシャーがあったことだろう。
シドニーにいるのと違い、日本では一度外出をすれば常に人の目にさらされる立場にある。
 
冬の終わりとはいえパリッと冷えた空気に急かされるように家の中に入り、明子さんにメッセージを送った。
 
「おはようございます!お忙しいところすみません。
今日、おやつに美味しいカスタードタルトとコーヒーを持っていきますね。コーヒーの種類をお知らせくださいね!」
 
「みずえさん、おはようございます。
今日もお会いできるなんて嬉しいです!
先日のケーキも残ってますし、たい焼きもまだ有りますので、おやつは買わないでくださいね。コーヒーは遠慮なく、フラットホワイトのソイミルクとカプチーノでお願いします。
コーヒーを買うついでにサンドイッチのような物をちょっとだけお願いしても良いでしょうか。」
 
「はい!了解です!」
 
 
 
玄関先には大きなスーツケース。すっかり片付いた部屋の様子に明子さんの段取りの良さが伺える。
 
「連日おじゃましまーす!」
 
生活感のなくなった部屋に寂しさを感じ、意識して元気よく挨拶をした。
コーヒーとオーストラリアらしいボリュームたっぷりの大きなサンドイッチを2つテーブルに置き、3人分に切り分けた。
3人なのだから3つ買えば良いものを……。
 
我が家での食事会にも言えることだったが、高級食材は一切無く、ケチケチしたもてなしだった。
ビジネスに大打撃を受けていた私には大盤振る舞いをする心の余裕がなかった。
今となっては情けなく、悔しい。
フィッシュマーケットでマッドクラブやアワビ、ロブスターなど豪華な食材を用意することだってできたのに。
もっと何かできていたはずなのに……。
あれが最後と知っていたなら……。
 
2021年の私はコロナ禍でほとんどのクライアントを失い、この先どうして良いか分からず、思いつくままに色々試すもうまくいかず、落ちぶれた自分を感じていた。
世界から取り残され、「役立たず」というレッテルを自らに貼ってしまいそうな、そんな自分の気持ちに必死で抗っていた。
落ぶれる自分を認め受け入れるのは、不安、敗北感、不甲斐なさ、そして苛立ちを伴う苦痛だ。

一般人の私でさえそんな情けない自分に苦しめられていたのだから、これまで多くの人たちの前に立ち、輝かしい人生を送ってきた芸能関係の方達においては、仕事の中止を余儀なくされ、活躍の場を奪われたことにどれほど不安で辛い日々を送ったことだろう。
輝く自分を見せることが職業の人々にとって、不安に苛まれ落ち込む自分を見せることほど勇気の要ることはない。
辛さを露呈するのも、ひた隠しにするのも、その苦しみを味わった者にしか理解できない苦悩だ。
 
スポットライトを浴びる人生を送ってきた西郷さんにとって、未曾有の大災難によりステージを下された辛さは耐え難い苦痛であっただろう。
そんな西郷さんは収束の見通しが立たない世界で、次の活躍の場を求め、シドニーで得た経験をもって果敢にチャレンジしようとしていた。
それは正に未知なる大航海への出発。お二人の何度目かの人生の門出だったのだろう。
たとえそれが最後になったとしても、きっと西郷さんはステージの脚光を浴びながら人生の幕を閉じたかったに違いないのだ。
十分にやり切った。
たくさんの素晴らしい軌跡と思い出を多くの人たちの心に残した。
それでも今一度、大好きな舞台に立ちたかった……。
 
 
 
「日本に帰られたら簡単には会えなくなるんでしょうね……。
シドニーだからこんなに気軽に会いに来れたけど、日本ではお忙しいだろうし、一般人の私が気軽に声をかけられないですもんね。」
 
「そんなことないよ。昔はそうだったかもしれないけど、今はそんなことはないよ。日本に帰ってきたらぜひ連絡くださいよ。」
 
「みずえさん、西郷さんのディナーショー、楽しいんですよ。ぜひ来てくださいね。」
 
限られた短い時間のランチタイムで、これまでのシドニーでの思い出を楽しく語らい、日本での再会を約束した。

そして別れを告げる時がやってきた。

玄関先にお二人と向き合い最後の言葉を投げかける。

 

「絶対に全てがうまくいきます!そのためのシドニーだったんですから。

お体を大切に、無理なく頑張ってください。ずっと応援してますね。

日本に帰ったら絶対連絡します。ディナーショーを見に行きますね!

本当に色々ありがとうございました!一生の思い出です。お二人がいてくれたおかげで本当に救われました。」

 

「みずえさん、本当にありがとうございました。

みずえさんもお体に気を付けて。お元気で。また日本で会いましょう!」

 

明子さんと、そして西郷さんときつくハグをした。

私の精一杯の生命エネルギー、オーストラリアの大地のパワーをお二人に託す気持ちで……。

お二人の勇姿を後に、また会えることを自分に言い聞かせ、満面の笑顔で別れを告げた。
 
 
 
家に帰り着く頃には野焼きで空が真っ白に煙っていた。
 

「お忙しいところお邪魔しました!

道中お気をつけてお帰りくださいね。
今ノースは野焼きでスモーキー。煙で真っ白です。
本当に色々ありがとうございました!!」

 

「みずえさん、早々と搭乗口に着きました!
空港もかなり煙ってましたよ。
野焼き、すごいですね。
後一時間、のんびり空港で飛行機を眺めて過ごします。」

 

 

 

陽が沈み、野焼きの煙がすっかりクリアになったベランダで物思いにふける。

 

「早速いただいたビールとサンマの缶詰をベランダでいただきました。

どうしていらっしゃるかな……なんて考えながら。

シドニーの夜景にサンマの缶詰は特別です。
またすぐいらしていただきたいです。次回はきっとロックダウンはないだろうから、今回行けなかったところにも行けますね。

時々シドニーの風景を送りますね。」

 

「西郷さんとシドニー」私の人生のかけがえのない思い出が幕を閉じた。