「みずえさん

おはようございます。
お疲れじゃありませんか?
昨日は遅くまで楽しませて頂きありがとうございました。素晴らしいビューと癒しのお部屋ですっかりくつろいでしまいました。
西郷さんが、家族や古い友人意外とあのように長い時間を共に過ごすの珍しいことです。
みずえさん本当にありがとうございます。
沢山のお料理、どれもとても美味しかったです。」

「明子さん
おはようございます!!
昨日は遠路はるばる、来てくださってどうもありがとうございました!
西郷さんがお疲れになったのではないかと心配です…。
ルーちゃんのことでお二人とも悲しく辛い時でしたのに、無理をさせてしまいましたね。
おかげさまで私は本当に楽しくて大切な思い出に残る時間となりましたが。
人との出会いはありがたい、とつくづく感じています。
西郷さんが珍しく長い時間を過ごしてくださったというのは何よりも光栄です。
遠い親戚か古い友人と思ってまたいつでもお気軽に遊びにいらしてくださいね。
そしてたくさんのお肉をありがとうございました!当分お買い物をしなくてすみそうです。
今日も素敵な一日でありますように…」

コロナ収束の見通しが立たなかったこの頃、お二人の日本帰国後、次にまたいつ会えるかは全く予想ができない状況だった。
日常が戻るのか戻らないのか、国境が開くのか開かないのか、仕事が再開するのかしないのか…。
いかなる世界になろうとしているのか…。
全てが不透明、先が全く見えない異常な世界で、なす術無く全ての希望はブラックホールのような巨大で深い闇に吸い込まれる。
「いつでもお気軽に遊びにいらしてください」
そう伝えることは私自身にとっての激励であると同時にちっぽけな自分に無力感を感じる瞬間でもあった。

お二人の滞在も残すところあと5日。
不安で不安定な異常な世界で、残された5日間が愛おしく、そして疎ましかった。

 


帰国が決まり、西郷さんも明子さんもほっとしたに違いないけれど、同時に名残惜しさもあっただろうと思っている。
出国の2日前には冷蔵庫のクリーンアップと称してディナーに招待された。

「みずえさんこんにちは。
帰りの準備はまだなーんにもしてませーん。まあ、まだ日がありますし、詰めるだけですからね。


火曜日、丁度14時からmatar病院でPETスキャンの予約があります。


帰りにシティーのドラッグストアで、舞ちゃんと待ち合わせて娘に頼まれた化粧品を買う約束になっています。


帰りに一緒にここまで来て、借りていた炊飯器を持ち帰ってもらいます。


みずえさん、もしお時間が許せば舞ちゃんを紹介させてください。
ここの残りもので恐縮ですが、一緒に晩御飯してください。
みずえさんのビーフシチューや、カラマリのトマトソース、あとお肉もあってメニューは盛りだくさん?です」

「あらら、お気遣いなく…。でも冷蔵庫整理のお手伝いならば喜んでご一緒させていただきます!」

「ありがとうございます。お呼びたてするようでごめんなさい。用事ができたら遠慮なく言ってくださいね。」

「とんでもないです。舞さんにもお会いできるしちょうど良いです!」

お二人に出会った当初より舞さんのことは聞いていた。
お嬢様の幼馴染、幼少の頃より家族ぐるみのお付き合いをしている方がたまたまシドニーにいて、携帯電話の契約や家のことなど色々手伝ってくれているということだった。
コロナ禍の厳しいルールにより会うことができずにいたが、帰国を前にようやくそのチャンスがやってきたのだった。



当日朝、西郷さんから以前送ったメールへの返信が届いていた。

「みずえさん

 



あんまり長いこと生きて来たので時折どれが真実か物語か迷う事があります。

もし人の念いがあるとすれば、私はそれによって動かされて来たというしかありません。10年ごとに、変化しながら。



脇目を振らずに、思いをこらしてみたら、何かが見えるはず。



明子の誕生日です。
ささやかなケーキでもお持ち頂ければ幸いです。



 

西郷」

『奇跡とは人の念いにより起こるのでは…』という私の考えに対しての返事だった。

そして、コロナ禍の影響で多くの仕事を失った私への激励でもあった。

 

「それによって動かされて来たというしかありません」
そのように語る西郷さんには、きっと多くの方たちに見守られ、期待され、色々ありながらも変化しながらファンの方たちの念いによって人生を動かされてきたという思いがあったのだろう。

「西郷さん



 

素敵なメッセージをありがとうございます!!


「脇目を振らずに思いをこらす…。」



今日は明子さんのお誕生日なのですね!!


お知らせくださってありがとうございます。



ケーキをお持ちしますので皆でお祝いしましょう〜〜〜!!


大切な日にご一緒できるなんて本当にラッキーです。



それでは後ほど…。

みずえ」



西郷さんが通っていたMater病院というのはハーバーブリッジのこちら側、我が家からは車で15分程度の場所にあった。


どうせボンダイビーチに行くのだからとその日はアパートメントを訪ねるのではなく、病院で西郷さんと明子さんと落ち合うことにした。



検査を終え病院の正面入り口付近に現れた西郷さんは思ったより元気な様子。


ドアを開け、助手席を前に倒してまずは明子さんを後部座席に通した。


4シーターとは名ばかりの私の車は後部に人が座れば助手席もかなり狭くなり、皆がこじんまりと納まらなければならない。


明子さんの足を挟んでしまわないよう注意深く倒したシートを起こした。



 

「ごめんなさい!私の車、本当に狭くて…。ちょっと窮屈ですけどシティーまで10分程度なので少し我慢してくださいね。」



 

舞さんと待ち合わせがあった明子さんだけをシティーで降ろし、私はそのまま西郷さんをボンダイビーチのアパートメントへ送るプランだった。
そうすればディナータイムまで西郷さんは少し休憩ができる。
 


車高の低いその座席へ西郷さんもよっこいしょとばかりになんとか乗り込んだのを見届けドアを閉め、私は運転席にまわった。


普段は適当に運転をする私だが、パッセンジャーがいる時には少しの緊張感がある。
マニュアル車のギアの繋ぎでガクンガクンと衝撃が起きないよう細心の注意を払う必要があるからだ。


慎重に車を発車させ、ギアはまだセカンド、病院敷地内から出るか出ないかのところで明子さんが一際明るい声で言った。

 



「瑞恵さん、今日は私の誕生日なんです!!」



 

内心ハッとしたのと同時に西郷さんの視線を横顔に感じた。

でも今は西郷さんを見るわけにはいかない。目を合わせたら明子さんにサプライズがバレてしまう。


イタズラがバレた時の子供のような焦り。



「ヤバ!どうしよう!とぼけないとね!」



テレパシーのような意識が一瞬にして私と西郷さんの間に走った。
そして内心可笑しくなってしまった。

 



「わぁ〜!そうなんですね!お誕生日おめでとうございます!!」(知っていたけど…笑)



 

白々しい私の演技がバレたかどうかは分からない。


動揺した私は知らなかった場合に出るはずの普通の会話ができず、ぎこちない雰囲気を作ってしまったから勘の良い明子さんには伝わってしまったかもしれない。
でも西郷さんに事前に知らされていたのがバレたとしてもケーキを買ってあることは知らないはず。

 

でも実を言えばそんなことより大御所の俳優の前で白々しい演技をすることが何よりも恥ずかしかった。

なんとなくその場を切り抜け、予定通り明子さんをシティーへ、西郷さんをアパートメントに送り届け、私はボンダイビーチを少し散歩した後、夕食の頃を見計らって部屋へ戻った。

 

 

 

明子さんの横にはクリッと大きな目をした可愛い女性の姿があった。

通常、しばらくオーストラリアに住んでいると色々と大雑把になり、悪い言い方をすればガサツになるものだが、お嬢様の幼馴染、舞さんは数年オーストラリアに住んでいるとは思えないほど品の良い美しい女性だった。

明子さんの傍、食事の準備を手伝う舞さんの様子に幼い頃からの親しさを感じる。

それでも紹介された後に私ともすぐに打ち解けたのはオーストラリアの流儀だろう。
 
この日のディナーは舞さんがいることで家族の食卓の様な暖かく優しい雰囲気となっていた。
西郷さんも明子さんもいつもよりもリラックスしている。
テーブルに並んだ”残り物”の数々で豪華な食卓ではあったけれど、メニューは普段の献立。
西郷さんのご家族に混ぜていただいたような、これまでとは明らかに違う空気を感じ、大変心地が良い。
部屋に流れるスタンダードジャズは私が若い頃より好んで聴いていた耳馴染みのある音楽。
食卓は舞さんの幼い頃の懐かしい思い出話しと共に和やかな雰囲気に包まれていた。
そんな折り、流れてきたメロディーに私がふと呟き、皆がなんとなく口を閉ざした。
 
「私、この曲好きなんですよね…。」
 
「ジュリー・ロンドン」の「ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド」だった。
 
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ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド
 
なぜ太陽は輝き続けるの?
なぜ波は打ち続けるの?
分からない?この世はもう終わりなの
だってあなたはもう私を愛していないから
 
なぜ鳥は歌い続けるの?
なぜ星は輝き続けるの?
分からない?この世はもう終わりなの
あなたの愛を失ったらこの世は終わりなの
 
朝起きて思うの
なぜ全ては同じようにあり続けるのかしら
分からない。全然分からない
どう生きていけばいいのか…
 
なぜ私の鼓動は打ち続けるの?
なぜ私の目には涙が溢れるの?
分からない?この世はもう終わりなの
あなたがさようならと言った時にこの世は終わったの
 
分からない?この世はもう終わりなの
あなたがさようならと言った時にこの世は終わったの
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美しいメロディー、切ない詩。
なんとなく皆が聴き入り、場の空気がメロディーに染まっていった…。
 
 
 
しっとりした雰囲気で食事が落ち着き、デザートタイムへと移る。
こそこそと持参したバースデーケーキを大皿に乗せて、空気を一掃するかのように私は勤めて陽気に歌った。
 
Happy birthday to you
 
私に続いて皆で合唱となる
 
Happy birthday to you 
Happy birthday dear Akiko 
 
Happy birthday to you
 
賑やかなバースデーソングをバックに、驚いた明子さんの顔には満面の笑み…
 
そして目には涙…
堪えられずに私の目からも涙がこぼれ落ちた…
 
 
 
長いようで短い、私の人生の数ヶ月。
西郷さんと明子さんと過ごした時間。
お二人にとって大切な時間を共に過ごした。
言葉で語れない様々な想いが溢れた。
これまで過ごした時間、そして先が見えない未来…。
 
明子さんにとっては西郷さんと共に祝った最後のバースデーとなってしまった。
 
明子さんに寄り添うように共に涙を流し、そしてお互いの顔を見て少しテレたように泣き笑いをする。
 
「あはは…。」
 
「さあ、ケーキを切りましょうか!」
 
仕切り直すようにそう言って明子さんがキッチンから包丁を持ってきた。
目の前には私が持参したオーストラリアらしい大雑把なバースデーケーキと、舞さんが用意したシドニーで話題の美しいスイカケーキ。



 
「明子さん、包丁を入れる時に下まで切っちゃダメですよ。途中までで止めるんです。」
 
「え?なんで?切っちゃダメなの?」
 
「一皮残すってことだよ。」
 
西郷さんが横から合いの手を入れる。
 
「そう、なんでかは分からないけど、バースデーケーキは本人は最後まで切っちゃいけないらしいです。」
 
「一皮残すのね。」
 
「大変だぞ。一皮残して殺すって。」
 
西郷さんが私たちをからかう。
 
「まだ生かしとくってことだよ。」
 
「あ、なるほど、そういうことなのかな?」
 
では、失礼して…と明子さんが包丁を入れた。
そしてパカ、と最後まで切れた。
 
「あ、いっちゃった!」
 
一同が笑う。
 
「あははは!ダメじゃん!」
 
「だって、パカっていっちゃった〜。どうしよう、パパ〜。」
 
「まあ、まあ、それはそれで、潔いってことで!」
 
舞さんのきれいなスイカケーキはちょうど良い加減に包丁が入り、皆で2種類のケーキを少しずつ切り分けいただいた。
 

 





 





シドニーでの西郷さんと明子さんとの最後のディナーはまるで一つの映画のようだった。
楽しく、可笑しく、寂しく、悲しく、切なく、暖かく…。
ドラマに表現される全ての感情が入り乱れる1日だった。
 
「今日は満月のはずですよ。お月様が本当にきれい。」
 
明子さんに促されベランダに出ると雲の合間からは見事な満月が顔を出していた。
満月であっても月明かりはどこか儚い。
楽しく、可笑しく、よく笑った。
それでもどうしても心に残る切なさは、どんなに賢明に輝いても儚い、目の前に輝く月の光のようだった。