観て、見えなくなる。
そんなことが起きている。
思考で観る。
心で見る。
心に見える。
あなたは他人を、生物を、事象をどのように見ているだろうか…。
金を持っている。
地位が高い。
知名度が高い。
影響力がある。
見た目が美しい。
人との付き合いに打算があると感じるなら、それは思考で観ているということ。
先進国の人類は、ただ、「見える」ということを忘れてしまった…。
映画、アバターのネイティブ・ヒューマノイド、Na'viの挨拶
I see you.
この本来の意味はただ、その人があるがままに、考えることなく何のジャッジもなしに「見える」こと。
ヒット作となる映画には深い意味が隠れている。
直感的な感覚により何かを捉え、表現させられているのだろう。
思考で観ることが悪いわけではない。
現代がそのような傾向にあるだけのこと。
しかしながら思考で観て、ジャッジし、損得を考え行動をしていると大切なものを見失うことがある。
心に見える。
ただ、その人を感じることを忘れてはならない。
感情は心に起きる自然現象。
心に感情が起きている時、それは心で「見る」ということ。
喜び
怒り
悲しみ
憤り
恋
それぞれの感情が心のフィルターとなる。
心のフィルターにより、素敵に見えたり、醜く見えたり、うとましく見えたりするだろう。
ただ、心に「見える」とは、心のフィルター無しに見るということ。
感情のない、平常心で感じること。
打算でもない、感情のフィルターを通したものでもない、その人のあるがままとは…。
全ての人、生物、事象を心に見えるように見させる時、あなたの世界観が変わるだろう。
自分らしい自分が見えるだろう。
そして、今まで見えなかった多くのものが心に押し寄せてくる。