超人世理論_読むと幸せになるブログ

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ちょっと気分が楽になる。
ちょっとずつの楽が幸せに…。

先週末は寝込むことにした。

 
少し疲れていたというのも理由の一つだが、そうでなかったとしても一日中しっかり眠ろうと決めていた。
 
 
 
かれこれ2年近く風邪をひいていない。
この分だとあと半年、あるいは一年は風邪をひくことはないだろう。
 
それは私にとって、強制的な「無意識との対話」の機会を失うこと。
 
アップグレードのタイミングを失うこと。
 
 
 
 
Medetationをすれば良い、と思うかもしれないが、違うもののように感じている。
 
私にとって「無意識との対話」は大まかに4種類ある。
 
1 睡眠
2 自然の中に身を置き、ぼーっと浸る
3 Meditation
4 絵を描くなど、Creative workに没頭する
 
どれも無意識との対話に違いないが、アクセスする領域が違うという感覚がある。
脳科学の分野においては明確な説明があるのだろう。
 
長時間の睡眠を余儀なくされる「風邪」は、実は一年を通して数少ない一大イベントとも言える。
 
 
 
前回寝込んだ際に見せられた夢、「知恵の階段」は日を重ね、自分の中でその整合性はより確かなものになっていった。
 
 
見せられるもの、気付かされることは、向ける意識の違いにより個人差があるだろう。
しかしながら、長時間の睡眠は誰にとっても貴重なものに違いない。
 
 
 
進むデジタル化、テクノロジーの進化、Stay homeによるオンライン中毒。
コロナ禍において、過去に危惧されたAIによる支配が加速しているようにも感じる。
 
 
 
本当に重要な情報はオンライン上には存在しない。
オンラインで得られる情報は全て人を介した情報に過ぎぬのだ。
 
全ての情報は現実世界の空間に存在する。
目に見えぬ空間を漂う様々な粒子には宇宙創生時の微粒子が含まれるかもしれない。
降り注ぐ温かな日差しには遥か彼方からの光子が含まれているかもしれない。
 
138億年の歴史を刻みながらこの空間へ到達した粒子が私達の呼吸と共に体内に取り込まれる。
皮膚の表層を刺激する。
 
 
 
感覚を研ぎ澄ませ、「空」に漂う地球創生の歴史を感じることこそが情報のインプット。
 
 
 
世界が揺れるコロナ禍、流れに呑まれぬためにも直感力を高めることが好ましい。
「心の安定」のためにも、スマホを手放し、しばしの時間のオフライン、長時間睡眠にて「無意識との対話」をおすすめしたい。
 
 

手、脚、頭、胴体と体内の各臓器

 

フィジカルな体の怪我や不具合は頭で考えても治らない。

 

 

 

心の不具合も同じこと。

 

心の傷も考えても治るものではない。

 

 

 

心に傷を負った際、人は一気に解決する「答え」を探し求める。

 

そして思考のトラップにはまる。

 

精神的な問題が「思考」で解決すると思いがちだが、癒しのプロセスはフィジカル・ボディと同様に時間を要するもの。

 

 

 

つまり、心の傷を癒す「解決策」はない。

 

それを癒すのは「時間」のみ。




楽になる「考え方」は絆創膏や包帯、添木やギプスなどに値する。

 

傷を覆い、更なる痛みから心を守るもの。

癒しのプロセスをスムーズにし、

完治した際、心に歪みが出ないよう補修するもの。

 

 

 

指を切ったらどうなるだろう。

まずは止血する。

血が止まっても痛みはなくならない。

やがてカサブタができ、乾燥し、はがれ、ようやく完治し、痛みがなくなる。

 

 

 

このプロセスに近道はない。

 

無理にカサブタを剥がせばまた血が流れる。

 

 

 

大きな怪我であれば、その分完治に長い時間を要する。

あるいは後遺症として残る場合もあるだろう。




「心の怪我」も同様。

流れる血が止まっても痛みはなくならない。

カサブタを無理にはがせばまた血が流れる。

 

 

 

「痛み」は癒しの最初のプロセス。

 

痛みを起こし、そこに傷を認識し、必要な癒しのプロセスを起こす。

 

 

 

薬をつけても、絆創膏を貼ってもできた傷が消えないように、心の傷も「教え」によってすぐに消え去るものではない。


それは、時間をかけて毎日少しずつ癒えてゆく。

 



瞬時に治れば、それは「奇跡」に値する。

フィジカルな傷が瞬時に消えることが「奇跡」であるように…。


「奇跡」は起こり得るが、そこには「奇跡」を起こすなんらかの理由がある。


『奇跡の必然性』先日、行きつけのカフェで知り合いに出会った。Hi how are you? Haven’t seen you for a while.Where were y…リンクameblo.jp

 

 


焦らなくとも良い。

 

心の傷も、何もせずとも自然に毎日癒えてゆく。

 

 

 

幼少期に大きな心の傷を負い、歪んだ形で癒える場合がある。

その歪みが「アダルトチルドレン」なる性質などの原因となる。

 

心の歪みは修正が可能だ。

 

まずはそこに「歪んだ形で癒えた心」があることを知る。

 



なんらかの障害物があり、それを避けて曲がったまま育った幹。


倒れかけても上へ上へと伸びるのが自然の本能。




そんな歪んだ心が胸の中心にあると想像する。

 



心は形を変える粘土細工。

優しく丁寧に温めながら、そっと、ゆっくり丸く丸く、こねてゆく…。


自分の好きなように、自由自在に作り直せば良い。




様々な癖を持った難しい人とうまく付き合う方法、それは常に己の心を温め柔らかく、フレキシブルに保つこと…


「自分の心を常に丁寧に満たすこと」




手、脚、頭、胴体と体内の各臓器、そして心。


身体に魂がなければ「生」とはなり得ない。

「心」もフィジカル・ボディと同様に捉える。

 

こじれた人間関係

そんなことが周囲に起きてはいないだろうか。

それはなぜか?



大殺界と言われる時期、つまり運気や調子が悪い時には必ず起こる。



人類全体が大殺界。
調子を崩しているのだから、人間関係のトラブルを抱える者も当然増えるであろう。



自分自身、あるいは周囲の者の心の健康が損なわれれば揉め事になる言動に至るのは自然なこと。



誰が悪い訳でもない。

単にそういう時期なのだ。

パンデミックのせいにしてしまえば、諦めるしかないようにも思えるが、実は対処法がないわけではない。



1 自分自身の心の安定を保つこと。

心が乱れた相手からの攻撃に翻弄されぬよう、日頃の心のメインテナンスが重要である。

少しばかりの隙間時間に空を見上げ、美しさに見惚れる。
好きな音楽を聴き、心地よさに浸る。
あるいは携帯などで好きな風景やアイドルなどの写真を見てうっとりと浸る。
想像だけでも良い。
心が安らぐことを想像し、浸る。

ポイントは「できる限り頻繁に心地よさを心に感じ、自分を満たすこと」



2 こだわらぬこと

揉め事に至った際、互いの主張に食い違いが生じる。
自身の主張を取り下げれば敗北感を感じるだろう。
しかしながら、物事の是非は「正誤」ではない。
単なる「相違」だ。
引き下がっても負けたわけでもなく、間違いを認めたことにもならない。

食い下がり、長引かせ、疲労困憊するより、早々に関わりを断つことの方が有益だ。

不思議の国、
こちらから見ればあちらが不思議
あちらから見ればこちらが不思議

どちらが正しいわけではなく、互いが違うだけなのだ。



3 出費が少ない方を選択する。

トラブルに金銭が絡む場合もあるだろう。
弁護士費用を支払っても、回収できる額が上回るのか。

自身の正義という理由であればいくら金銭に余裕があっても戦わぬこと。

そこで意固地になった分、心乱れ、ストレスを抱え、魂をすり減らすことになる。

己の落ち度なくして失ったものは、いずれどこかで補われる。それは創造力を伴い未来へと繋がるもの。
他人を傷つけ奪ったものはいずれどこかで大きな損失となる。

過去に強引に得た収入がなければ、損失は必ず補われる。

自身の生活が地に落ちるほどの影響がないのであれば多少の損は、「未来への投資」として受け流すのが得策だ。

「損をして徳を得る」



4 相手への同情を持つ

怒りを手放す唯一の方法は許すこと。

しかしながら「許し」に至るのは難しい。
無理に許そうと思えば己の心に負荷が生じる。

「許そうとせず」、自身が相手の立場に立たされたことをより明確に想像し、「同情する」。

現状のみならず、相手の育った環境、それゆえの性格も想像する。

「可哀想」「気の毒」
そう思えた時に、心は自然と許しへと変わっていく。

無理に「許そう」とし、自身の怒りを封じ込めてはならない。
自身への内なる毒となる。

怒りが収まらぬのなら、悪口が自身へ降りかかるのを承知で友人や家族に愚痴を聞いて貰えば良い。

「良い人のふり」をして怒りをごまかしても、
悪口をぶちまけても、
いずれにせよ自身への毒となる。




ーまとめ

心乱れれば、心乱れた人と引き合う。

人間関係のトラブルが長引けば、
心が病み、心病んだ人々と引き合う。

文句を言い続ければ、文句言いと引き合う。

共に愚痴をこぼせば、愚痴仲間が増えるばかり。



いさかいがあった際には己の心に目を向ける。

心が不安定であることに気づくだろう。

他人を攻める前に、前述の方法を試みることをお勧めする。

己の人生のVIPになること。

 
 
 
人生におけるあらゆる経験は、レストランに行くことと似ている。

 

そんなことを、2003年から数年続いた困難を乗り切る際に思った。

 

 

 

人は生まれる前に、いかなる経験をし、何を学ぶかをある程度プランしこの世に誕生すると聞いたことがある。

 

それが「宿命」であり、変えられないこと。

 

一方、「運命」は変えられるものだという…。

 

そして、我々の人生における「経験」とはこの「宿命」と「運命」により構成される。

 

 

 

我々は特殊な状況でない限り毎日食事をする。

レストランに行くこともある。

一人で、あるいは友人と。

 

何を食べるか、誰と食事をするかを決めずに、その時の成り行きでレストランを決めることもあれば、

誰と何を食べるか前もって決め、レストランに行くこともある。

場合によってはそれが年に数回の贅沢な高級レストランでの食事であることもある。

 

前もって予約をした食事。

これを「宿命」とするなら、何も決めていない食事が「運命」であるのかもしれない。

 

 

 

「宿命」においては、誰と、何を経験し(何料理を食し)、何を学ぶか(どう味わうか)が決まっている。

 

一方「運命」においては、誰と、何を経験し、何を学ぶかはその都度ある程度自由に決められる。

 

どちらにおいても、何らかの経験(お腹を満たす)が得られる。

 

 

 

高級食材を味わうにはそれなりの「大金」が要求されるように、

大きな学びを得るためにはそれなりの「代償」が必要となる。

 

人生の「経験」における「代償」とは「困難の度合い」である。

 

高級レストランのVIPになれば、かなりのわがままも通ることだろう。

足繁く通い、大金を支払っていれば、料亭であってもラーメンをオーダーすることもできるようになるかもしれない。

 

 

 

人生を思い通りに操るとは、人生のVIPとなること。

 

それなりの代償を払う。

数々の困難を経験し、学び、味わい、他者へも貢献する。

 

 

 

今朝、テレビでパンデミックによる相次ぐキャンセルでアメリカから帰れないオーストラリア人の取材を見た。

数日前のZoom飲み会で、フライトのキャンセルにより日本からオーストラリアに戻れない日本人もいると聞いた。

 

現在隔離中のPark Royal HotelのFBグループにて

「帰国する際トラブルに巻き込まれた人」

と投稿したところ、相次いでコメントがあった。

アメリカやカナダから、3〜5回のフライトキャンセルの後に数ヶ月かかりようやく帰れたという。

 

 

 

そして、今日ようやく私自身が非現実的なほどにラッキーであることに気づいた。

 

このパンデミックの渦中、去年、二度も日本へ帰国している。

 

数回にわたる出国許可申請や、帰りのチケットの混乱など、多少の困難はあったものの、フライトのキャンセルなどのトラブルなどはなく、驚くほどの出費もなく、ある程度思い通りに行き来することができた。

そして、隔離中のホテルも快適で、恵まれている。

 

あまりの自分の幸運に驚き、心からの感謝を持つと同時に、ふと以前思った

 

「己の人生のVIPになること」が蘇った。

 

 

 

あの時、最大限の努力をし、困難を乗り越え、多くを学び、その後も積極的に学んできたつもりだ。

それなりの代償は払ったのかもしれない。

 

しかしながら、今改めて思う。

人生をうまく操ること、すなわち「己の人生のVIPになること」とは、

料亭でラーメンをオーダーするような無茶をすることではなく、

摩擦の少ない、流れに身をまかせる行動ができるようになるということなのかもしれない、と…。

 

 

 

 

新年明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

年明け早々、日本では緊急事態宣言と、依然ざわついた世の中ですが、いつ、いかなる時も意思と感情は自分だけがコントロールできるもの。
 
世界の状況に左右されることなく、
皆様の心がいつも平穏で満たされた一年になりますよう心からお祈り申し上げます。



オーストラリアでは国際線を運休していたカンタス航空が、7月1日からの航空券を販売開始した。

明るい気持ちになった矢先、あくまでも判断は政府次第、というがっかりな記事…。

それでも、これまで国際線の運休について、引き伸ばし続けていたカンタスの前向きなアクションは、ようやく先の見えないトンネルの出口が見えたような明るいニュースだった。



少し前に、カンタスでは国際線の利用についてコロナワクチン接種を義務付けるとの発表があった。

日本においても、全国民分のワクチンを確保すると政府が発表しているが…。



ここで疑問。

ワクチン接種は必要か?



個人的には「不要」。
(ウィルスに中長期的な危険性がないのであれば)



ワクチン接種は一部の人たちだけで十分なのだ。

必要なのは重症化の危険性がある人たちのみ。

コロナ感染による重症患者が少なければ医療逼迫は起こらない。



無症状、軽症の可能性が高い若い世代には必要ない。

彼らの間で感染が拡大しても、高齢者がワクチンを受けていれば感染しないであろうし、したがって医療崩壊は起こり得ない。



なぜ全ての人を対象とするのか…?



理由は分からない。



今回のウィルスは中長期的な健康被害が危惧される性質のものなのか。

単に全人類にワクチンを摂取させる何らかの理由があるのか。



個人的には接種したくないが、フライトに必要なのであれば接種することを拒むつもりはない。

ここまで日常をかき乱された今、陰謀説などで言われるような「何か」があったとしても、今更どうなるというのだ、というのが正直な気持ちだ。

いずれにせよ、パンデミックが始まった当初より、今回の騒動には不可解なことが多い。

Good News first.

 

おめでとう!!

この大晦日に、人類は一つの区切りとなる年明けを迎える。

 

 

 

あって、無かったような一年… 。

非現実の世界。
今日は2020年の最後の日。
 
 
 

やはり人類の大殺界だと思う。

 
 
 
多くの者が2021年を待ち焦がれ、
流れが変わることへの期待を胸に新年を迎えるのだろう。
 
 
 
最も辛い、訳がわからない混乱の2020年を乗り切った。
 
2021年を迎える時、心が変わる。
ひとつの区切りを迎えた我々の未来への期待。
強風に煽られ吹き飛んだ浮遊物が地に落ち着くように、心が安定する。
 
 
 
And a bad news is...
 
この困難は2022年まで続くだろう。
 
 
 
けれど、気を落とすことはない。
 
感染拡大そのものはそれより早く収束するだろう。
その影響が2022年まで及ぶだけのこと。
2022年の中頃には様々なことが収束し始める。
 
したがって、あと1年半の辛抱。
 
 
 
そして、この出来事は人類の飛躍的な成長の糧となる。
 
 
 
2003年に始まった私の人生の最大の困難を思う。
 
あの数年間、現実に生きている実感がなかった。
 
私の人生の軸とは別の空間に、並行して数年間があるような…
 
他人の人生を生きているような…

「いつ、誰に何が起きても不思議はない。」
そんなことを思った。
 
自身の選択に関わらず、失うものがあり、また得るものがある。
 
自分らしくない行動。
変にこだわり、尽力しても結果は出ない。
 
しかしながら、この時の全ての努力から強さと賢明さを学び、人としての大きな成長を遂げた。
 
この経験なくしてはあり得なかった自身の成長。
 
混乱の3年が収束した時、何もなくとも、何事もないことに心底幸せを感じた…。
 
今は経験させてもらえたことに心底感謝している。
 
 
 
個人の大殺界も、人類の大殺界も同じ。
 
 
 
今、誰もが実感しているはず。
 
想像すらしなかった、非現実的な世界が現実に起きている。
別の世界に生きているようだと…。
 
かつて私が自身の人生にそう感じたように。
 
 
 
だから私は人類の未来を想像する。
 
 
 
世界中、どこで何が起きても不思議はない。
 
選択に関わらず、何かを失い、何かを得るだろう。
 
人類らしくない行動。
 
おかしなことにこだわり、尽力するが、思い通りの結果とはならない。
 
けれど、この経験から人類は強さと懸命さを学び、大きな成長を遂げる。
 
全ての経験が糧となり、身になり、活かされる。
 
そして、人類は何もなくとも、何事もない幸せを実感し、それこそが「真の幸せ」であるのだと気付くだろう。
 
豊かさの本質を知るだろう。
 
いつかはこの経験こそが、貴重でありがたい困難だったと感謝する。
 
 
 
宝石が輝くためには荒削りが不可欠。
原石を優しく撫でていても煌めく宝石とはなり得ない。
 
人類は今、大きな成長を遂げようとしている。
 
粛々と、この記念すべき素晴らしい新年をお迎えください。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
皆様の心が平安で、幸せに満たされた一年でありますようお祈り申し上げます。
 
日本では来年半ばまでに全国民分のワクチンが共有できるよう手配すると公言されている。



不思議でならない。



ワクチンは全国民に必要なわけではない。
一部の国民で十分なのだ。

東京都の重症患者数を問題とし、感染そのものを重要視しないという判断が正しいのならば。



医療従事者と重症化の可能性が高い者達の感染を防ぐことができれば、中軽症者は感染しても問題にはならない。



感染しても無症状、軽症の者にまでワクチンを供給する理由があるのか?
例えば一度感染すると後遺症などの不具合が後に起こるなど…。



あるいは全人類にワクチンを投与する理由が他にあるのか?
陰謀論などで言われるようなマイクロチップが本当に仕込まれているのだろうか?

もしもそうであったなら、パンデミックが起こる前に完成度の高いワクチンがすでに完成していたことだろう。

その割にワクチン供給時期が遅いことも、有効性が95%程度と低いことも腑に落ちない。



例えば、ワクチンにマイクロチップが入っていたとして、それにより管理されることが今更なんだというのだろう。

すでに情報は操作され、ペイメントのデジタル化で金銭の流れも把握され、このパンデミックで行動も極端に制限されている。

財産もパワーもない私程度の一個人がマイクロチップで管理されたからといって大したことではない。



大統領選に敗れたトランプ氏が未だ不正選挙の訴えを取り下げていないこともまた不思議でならない。

トランプ氏はビジネスマンだ。
合理的でないことからは早々に手を引き、伸び率の高いことに注力するはず。

ビジネスマンらしからぬこの行動の根拠の裏に何があるのか。

相当な利益があるのか。
大統領の座を退くことで大きな損失があるのか。
何らかの大きな企てを知り、正義のために戦うつもりであるのか。



世界が腑に落ちないものだらけになっている。
人類は一体どうなっているのだろう。


 

不変の幸せを確立する_Vol. 3 幸せへの恐怖を克服する _心の未病改善

ワークショップを開催します。

 

特にトラブルがなく、平穏な日々がしばらく続いた際に
「人生そんなに甘くはない。いずれ何か問題が起きるはずだ。」
そんな風に思ったことはありませんか。
 
何事もないにも関わらず落ち着かなくて不安…。
 
常に幸せな人になるための一番の難関がこの「幸せへの恐怖」を克服することなのです。
今回はこの不安のメカニズムとそれを克服することについてお話しします。

 

過去のワークショップ:
Vol 1 幸せとは?

 

 


Vol 2 常に幸せな人でいる

 

 

 

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12月15日(火)
21:30〜22:30(シドニー時間)
19:30〜20:30(日本時間)
*15分前にルームオープン
配信: ZOOM
予約: FBイベント参加表明 @mizue.sydney

または mizue3@waad.com.au
備考: 筆記用具をご用意ください。

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