超人世理論_読むと幸せになるブログ

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ちょっと気分が楽になる。
ちょっとずつの楽が幸せに…。


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宇宙の膨張は加速している。

 

空間に存在するダークエネルギーによるもの。

 

しかしながら、この存在を見た者もいなければ、どのようなマテリアルか予想すらできていない。

宇宙の膨張の加速が事実として観測された今、あるエネルギーが存在しなければそれは起こり得ないということから、

未知なるエネルギー、つまり「ダークエネルギー」とされた。

 

ひとつ確かなことは、このエネルギーが宇宙が広がると共にどんどん増え続けているということ。

 

そんな物質は見たことがない。

不可解極まりない。

そう物理学者は言う。

 

 

 

そうだろうか?

 

物理を専門としない私にとって、それは生物の成長のように思える。

 

母親の体内で受精卵から始まった我々の体はある程度の成熟まで細胞の数を増やしていく。

 

 

 

宇宙が一つの個体だとしたら?

 

ビッグバンによる宇宙創生以来138億年。

この宇宙全体の水素を使いきり全ての星が燃え尽きるまでに1,000兆年がかかるということだ。

宇宙の寿命を1,000兆年とし、ヒトの寿命に置き換えてみる。

ヒトの寿命を100年とした時、宇宙138億年といえば、ヒトのたかだか2ヶ月にも満たない。

活発に細胞分裂し、その成長が加速するのは当然の年齢。

 

あるいは、まだ母親の体内で育つ胎児に過ぎないのかもしれない。

 

 

 

一方、あらゆる物質を構成する原子は原子核とその周りを回る電子で構成されるが、この原子核と電子にはかなりの距離がある。

原子のサイズを神宮球場に例えるなら、原子核は数ミリ程度、スタンドの最後列に原子核よりも更に小さな電子が回っている。
それほどの空間があるということだ。

 

 

つまり原子により構成される我々の体は個体でありながら中身はスカスカの空間だらけということになる。

 

これは今我々が認識する宇宙空間に類似するのではないか。

 

個体と認識する我々の体が空間だらけならば、

空間に見える宇宙が個体であったとしても不思議はない。

 

 

 

実は宇宙は我々の外にのみ存在するものではなく、内にも存在する。

 

我々が肉体という境界を認識し、「個」と捉えているに過ぎない。

 

 

 

目の前の問題は、宇宙の境界、我々の「個」のサイズの認識を変えることで縮小する。

 

 

 

想像してみる。

体内の原子、細胞、肉体、それに続く空間、地球、太陽系、銀河系、そして宇宙へ…。

 

目を閉じ、しっかりと感じる。

自身の体内に、我々が存在する地球を取り巻く、遥か彼方の宇宙の世界があることを…。

 

我々が認識する肉体、「個」。

その境界を肉体から地球へ。

肉体のサイズを地球へと変える。

 

それを確実に実感した時、あらゆる事象への認識が変わる。

 

目の前の問題は些細な出来事へと認識が変わる。

問題が問題ではなくなる。

 

 

 

仮定や哲学ではない。

スピリチュアルでもない。

これは万物の理論を追い求める理論物理学の一つの解釈だ。

 

もしも目の前の問題に苦しんでいるのなら、試してみると良い。

 

間違いなく問題が問題ではなくなるだろう。


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心に傷があること、

それは心残りがあるということ。
 
その心残りは何であるのか。
 
誰とのいかなる関係か。
 
母に愛されなかった。
父に認められなかった。
子供に母(父)親らしいことをしてやれなかった。
近しい人を救うことが出来ず怪我や病い、死に至らしめてしまった。
生前、パートナーに優しくすることができなかった。
 
 
 
心の傷と向き合うことは、
心残りを解消すること。
 
 
 
必ずしも難しい関係に至ったその相手に向き合う必要はない。
 
その人との関係を修復することが難しければ、
他の誰かとの間に体験すれば良い。
 
過去の傷となった相手との間にいかなる関係を築きたかったのか…。
 
 
 
母に愛されたと感じなくとも他の誰かから愛されば良い。
そこに必要だったのは「無条件に愛される」という学び。
 
父に認められなくとも他の誰かに認められれば良い。
そこに必要だったのは「自信と自身の存在価値」を感じること。
 
自身の子供にできなかったことを他の誰かに与えれば良い。
そこに必要だったのは「認め、見守り、信じ、無条件に愛する」という経験。
 
ある人を救えなかったという罪悪感に苛まれるなら、
他の誰かとの関係性に、その本人が自分自身を救わない限り、「他人が救うことなどできない」ということを体感すれば良い。
 
亡きパートナーに対し素直になれなかったのなら、今近くにいる人たちに素直に接すれば良い。
素直に接することができないのは、相手から拒否され傷つくのでは、という恐れから。
それは大人の世界や振る舞いが理解できなかった幼少期に負った心の痛み。
それが理解できる今、幼少の頃のように傷つくことはない。
 
 
 
「誰の涙?」
この世において、最も重要なのは己自身が体験すること。
その体験を通し己自身を精神的、肉体的に高めている。
 
チャンスは何度でも訪れる。
 
それが叶わなかった相手にこだわる心を認識する。
それはその人との間に成されなくとも良いのだと知る。
他の誰かとの関係性において体験すればそれで自身のタスクは完了する。
 
過去にできなかったタスクの完了が「心残り」を解消する。
 
 
 
 

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思い起こしてほしい。

 
失敗したと感じた時。
敗北感を味わった時。
自信を失った時。
 
 
そしてその後いかなる展開があったのか…。
 
 
 
失敗と感じたその出来事は、
別の展開への起爆剤ではなかったか?
 
本当に失敗だったのか?
 
何かを学んだり、気づいたりするきっかけに過ぎなかったのではないか。
 
 
 
ただ期待とは違う道、方法がそこにあっただけ。
 
チャレンジするその目的は何であるのか?
 
目的さえ見失わなければ失敗はない。
 
 
 
失敗は本来の自分の目的を諦め捨て去ること。
 
 
 
 
「超人世理論」
あることがきっかけで、今の私のこの世の理解をそのように名付け、そのセミナーを開催することにした。
 
料金を$0〜、参加者の判断に任せることとした。
お金を払う価値があると感じてもらえるのかどうかは分からない。
 
期待通りの結果にならないかもしれない。
 
根底には何の学問も、私自身の学位も地位も名声もない。
 
私自身の経験と感じたことのみから作り上げた哲学。
 
 
 
実は以前「幸せ」に関する本を出版したいと思い知り合いの出版社に問い合わせたことがある。
売れる根拠が見当たらないという理由で断られた。
 
 
 
そこで気づいたことは、本を出版することが目的ではないということ。
 
自分自身が苦しさから解放されたい、あるいはこの世を深く理解したいという強い念い。
そしてふと何かに気づく、表現できない程の楽しさと興奮。
 
その興奮を体験したいに過ぎないのだ。
 
そしてできることならそれを誰かとシェアしたいという思い。
 
 
 
今回のセミナーが期待通りの評価に至らなかったとしても、私の目的はなくなるわけではない。
 
この世を深く理解したい。
そう願い、質問を投げかけ、何かに気づく興奮。
 
これを体験することを死ぬまで続けるのだろう。
 
 
 
もしもあなたが何かにチャレンジしたいのなら、何でも今すぐ始めてみてほしい。
そこに本来の目的を見失わない限り、失敗はない。
その先には今のあなたの期待とは違う何か別の展開が待っているだけ。
 
失敗は、あなたが欲する本来の目的を諦め、捨て去ること。
 

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誰しもパートナーに求めるものは同じ。
 
そこに相手がいることの安心感。
 
 
 
経済的なサポート
身の回りの世話
子供の世話
 
パートナーに求める物の本質はこれらの物理的なサポートではない。
 
 
 
なぜそのパートナーを好きになったのか。伴侶としたのか。
付き合い始めの当初から全てに満足していたわけではなかったはず。
 
そこに心を満たす何かがあったからその相手とリレーションシップを持つに至ったはず。
 
その相手が自分を認め、受け入れてくれているという満足感。
そこに存在しているという安心感。
 
他があり、己の存在に確証を持つ。
対象がなければ己の存在は不安定で不確実。
存在は曖昧で疑わしい。
 
 
 
初心はいとも簡単に忘れるもの。
 
失い、その人の存在があることの安心感、ありがたさ
に気付く者は多い。
 
 
 
給料が少ない
掃除をしない
料理をしない
子供の面倒を見ない
 
あなたは物理的なサービスの提供のためにそのパートナーを選んだわけではない。
 
その人といて安心感を感じ、心が満たされたからパートナーとして選んだのだ。
 
 
 
今そこにあるものをありがたく受け取る。
 
相手の欲するものを与える。
 
 
 
女性は愛される(ケアされる)ことを求め、
男性は自分のスペースを求める。
 
あなたが女性なら相手をなじるのを止める。
あなたが男性なら相手に花束をプレゼントする。
 
 
 
そして一言、伝えると良い。
 
なんだかんだ言って、ここにいてくれるだけでとても安心していられる。
いつも一緒にいてくれてありがとう。
 
相手のために伝えるのではない。
それは自分自身のため。
 
 
 
私は彼を責めてばかりいた。
俺は何もしてやれなかった。
彼(彼女)は幸せだっただろうか。
〜だったから仕方ない。
あいつが〜だから悪いんだ。
 
後悔。
自分への言い訳。
責任転嫁。
 
いずれ相手が先立った時、「心残り」に自分が傷つかないために…。
 
 
 
その人の存在があることの安心感。
 
長い夫婦生活で表現することが照れくさいのなら、伝えなくとも、心に感謝の気持ちをしっかりと感じるだけで良い。
その気持ちは必ず所作に現れるから…。
 

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新たな発明、発見は

学問による知識の積み重ねだけでは成し得ない。

 
それは直感により導かれる。
 
 
 
学び
閃き
創造あるいは証明
 
 
 
この世の何たるかを追求する物理学者達による新たな発見は、「仮定」つまり閃きによるアイディアから始まる。
数式に解き、物理的に検証することで発見に至るのだ。
 
閃きなしに、新たな発見はない。
 
 
 
2種類の情報が存在する。
 
人為的情報と天為的情報。
 
学問、メディアによる報道、ネット上の情報、書き込み。
これらは全て人為的な情報。
つまり人というフィルターを通したもの。
 
 
 
人為的情報から直感が生まれることはない。
 
 
 
直感は天為的情報から。
 
 
 
直感は何処より…?
 
 
 
神、大いなるもの、アカシックレコード。
一つのソースがあるように考える者は多い。
 
 
 
実は情報は空気中に存在する。
 
 
 
我々が浴びるこの光には宇宙の彼方より何億年、あるいはそれ以上の時を経て到達した光子が含まれる。
これらの光子には遥か太古の宇宙の彼方の情報が刻まれている。
 
 
 
我々は常に時空を超越した情報の素粒子を体内に取り込んでいる。
 
 
 
宇宙創生、あるいはそれ以前から脈々と続く進化、継続、循環の歴史。
自然の摂理。大宇宙の摂理。
 
 
 
人為的情報の全てはこの大宇宙の摂理の中に存在している。
このルールを脱して存在することはない。
 
 
 
人為的情報の根底に天為的情報を感じること。
 
空(くう)を意識する。
己の体の細胞ひとつひとつ、その細胞と細胞の隙間を意識する。
 
意識することで感じられるようになる。
 
 
 
人為的情報に固執し、天為的情報を忘れてはいないか?
 
忘れ去り、その存在すら忘れてはいまいか?
 
 
 
情報は今、ここに、体内に、空(くう)に、この世の至る所に在る。
 
直感とはこれらの天為的情報を感じること。

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困難を乗り切ること。

それは知恵の階段を上ること。
 
 
 
下方は広々とした広場のよう。
段にバラツキがあり、幅が広く、上る場所がはっきりせず、また滑りやすい。
時に上っているのか下がっているのか分からなくなることすらある。
そしていとも簡単に滑り落ちる。
 
周囲には人の集団。
自身の考えを頑なに信じる頑固な人々でひしめく。
向上心はあるものの、他の意見を聞く余裕のないそれらの人々はまとまった集団で行動し、時に嫉妬から何らかの邪魔をし、行く手をさえぎろうとする。
 
先へ進むには、信じ込まされる人為的に作られたその「思想」から心を切り離さなければならない。
 
 
 
そこを切り抜け、上方へ進んで行くと、大きなトンネル。
さほど長くはなく、振り返ればいつも下界の様子が見渡せる。
 
 
 
トンネルを抜けたその先には癒しの湯。
それまでの常識や偏った思考を洗い流す。
今までとは違った常識が見え始め、物事への見方、理解が変わってくる。
 
 
 
その先の段は美しく磨かれた上質な木材。
上へ行くに従いその段は整い、幅も狭く、行く先がはっきりと分かりやすい。
 
集団で上を目指すのではなく、各々が自身のペースで一人一人上って行く。
 
所々にはそれを見守る人々。
警備のような体躯の者から次第に線の細い物静かな者へ…。
 
上れば上るほどにその歩みは楽になる。
 
 
 
知恵の階段には行き着く先がなく、無限に続く。
 
 
 
心の有様により下がることもあるが、上方に達したことがある者には常に上る先があること、それが如何なるものかが分かっている。
 
下方を脱したことのない者にはその先が如何なるものか理解できず、経験した者からの知識を貪り自身のものとしようとする。
 
しかしながら、それを理解し、我が物とするには経験をもってより他に方法はない。
情報によって我が物となるという思い違いから脱することで上へ進むことが可能となる。
 
困難に直面すること。
他からの情報で解決するレベルのものではなく、集団から外れ、自らの経験により学び始める、上へ進むチャンスとなる。
 
 
 
ーーーーーーーー
先日寝込んだ際に見せられた夢。
「たかだか夢」であるかもしれない。
しかしながら、大変説得力のある内容であったためここに記しておく。
 

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久しぶりに風邪で3日間以上寝込んだ。

平均して1日20時間は寝たのではないだろうか。
日頃こんなに眠ることはまずない。
 
 
 
知恵熱というのは乳幼児に発生する熱のことだが、ある意味、大人にも起こり得るものと思っている。
 
私自身の経験上、寝込んだ後に、気に病んでいたことがスッと腑に落ちたり、それまで持っていたあることに対するこだわりが薄れ、気持ちがスッキリした、また、ふと良いアイディアが浮かぶ、更には自分自身の「アップグレード」とさえ感じることが多々あった。
 
 
 
睡眠時、人の顕在意識はスイッチオフになり、潜在意識のみが活動する状態にある。
90%以上をも占める潜在意識が数日間にわたりフルで活動するということは、隠れた能力の隅々にまでアクセスする事ではないのか。
 
あるいは顕在意識により蓄積した「余分な考え」いわば「思考のゴミ」を一掃しているのかもしれない。
 
 
 
今回の場合、日常的に自然の中で過ごす時間、つまり潜在意識を活性化するための時間を持つ私が、一時帰国においてそのチューニングともいえる時間が持てなくなり、そのアジャストメントのために起きた作用であったかもしれない。
 
 
 
我々生物が肉体だけの存在ではなく、精神(魂)を持ち、はじめて「生きる存在」たらしめることは大多数の共通認識である。
 
不調により寝込む時、それはPhysical bodyの調整、成長のみならず、mentalの調整、成長でもあると言える。
 
長時間の睡眠はコンピュータに例えるなら、いわば「Reboot」あるいはヒトとしての「Up Grade」。
 
 
 
働きすぎの傾向にある現代人の肉体、精神に不具合が起きるのは当然のこと。
 
毎日のチューニングがしっかり行われず、気付かぬ間に「思考のゴミ」を貯め続けている。
 
過労死は、いたるところに蓄積した「思考のゴミ」と肉体の磨耗により起きたCrush。
 
 
 
病が強制的に行われた「Reboot」と考えるなら、大病に至らないための予防策は自主的な「Reboot」。
 
 
 
質の良い睡眠が好ましい。
しかしながら睡眠障害にある場合は他の行為により埋め合わせることも可能なのではないか。
 
自然との対話。
あらゆる芸術に没頭する行為。
瞑想。
 
 
 
重要なのは、
「思考のゴミ」のふるい落とし。
潜在意識の活性化。
 
 
 

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「令和」を感じてみる。

 

 

 

子供やペットなどに命名する際、

物理的、学術的、数学的根拠のみにより名付けるだろうか。

 

何か、こんな雰囲気…。

 

そこから根拠、整合性などを調べるのが一般的ではないか。

 

 

 

元号においてもそうであるに違いない。

 

出展は万葉集だということだが、それは世間を納得させるための表向きのもの。

 

そもそも万葉集に至った経緯は何であるか。

など突き詰めれば、その大元は「流れ」「感覚」そんなものからであるに違いない。

 

言い換えれば、元号は選ぶというより、時代、流れに選ばされた結果であるのだろう。

 

 

 

「令和」はどんな感じ…?

 

 

 

私の「令和」に対するイメージ、感じるところ。

 

1 女性的

2 ポジティブ

3 精神性

4 原点回帰

5 日本回帰 _ 外国による支配からの脱却

 

 

 

1 女性的

 

歴代の元号をざっと見たところ、どれも男性的な印象の漢字、音だったのに対し、

 

「令和」「れいわ」

 

なんとも女性的な柔らかさ、潤いを感じる。

 

街の声が「意外」に偏るのはこの女性的な響きにあるのでは…。

 

後に女性の皇位継承の可能性があることの兆しであるかもしれないし、日本のユニセックス化が反映した結果であるかもしれない。

 

 

 

2 ポジティブ

 

新元号「令和」発表の動画に続き、元号「平成」発表の際の動画を見た。

 

天皇陛下崩御直後の自粛ムード漂う「平成」の発表と比較し、今回の新元号発表は明るく希望に満ち、街がお祭り騒ぎであることが素晴らしい。

 

赤い幕を背景に、安倍首相の口から出るポジティブな希望の言葉と時折浮かぶ笑顔は日本中に「ポジティブ」の印象をもたらしたのではないか。

 

自粛ムードを伴わない、未来への希望から吟味された元号は人々のポジティブなエネルギーのみにより構成されているはず。

 

現天皇陛下がそれを意図したかどうかは分からないが、明るいムードで始まるポジティブな新元号であることは大変に素晴らしい。

 

 

 

3 精神性

 

「れい」 「霊」

「霊」と同じ響きを持つ「令」を含む元号は、我々の口からその元号が発される度に霊的なエネルギーを発するのではないか。

 

 

 

4 原点回帰

 

「れい」「零」「0」

「れいわ」響きが太古を思わせる響きであることも神事に重きを置いた時代を反映しているように感じる。

 

 

 

 

5 日本回帰 _ 外国による支配からの脱却

 

超能力者、清田君(清田益章氏)のFBの投稿において、新字源のコピーが転載されていた。それによれば

 

「令」

「△印(おおいの下に集めることを示す) + 人のひざまずく姿」で、人々を集めて、神や君主の宣告を伝えるさまをあらわす。清く美しいの意を含む。もと、こうごうしい神のお告げのこと。転じて長上のいいつけのこと。

 

「和」

禾は粟の穂のまるくしなやかにたれたさまを描いた象形文字。窩(か)(まるい穴)とも縁が近く、かどたたない意を含む。

 

 

第二次世界大戦以前の日本人の天皇への強い忠誠心(信仰心)は、GHQにとって脅威であったに違いない。GHQは戦後、昭和天皇を「象徴」とすると同時に、日本人からこの忠誠心(信仰心)を奪わなければならず、極端なまでの洗脳を行ったと思われる。その教育に育った我々の世代の昭和の時代には天皇への敬意が著しく低かったという事実がある。

 

時は平成へと移り、その教育が緩くなった今、国民全体が持つ天皇陛下への敬意は漠然と高まっている。

 

本来我々日本人は信仰心の厚い国民性である。

世界的に見ても一つのことにこだわり追求し、それへ注ぐ集中力は並外れている。

その結果のテクノロジーの進化であり、数々の発明品なのである。

 

「令」の意味する、「 人のひざまずく姿。人々を集めて、神や君主の宣告を伝えること」の裏には、日本人の天皇への忠誠心、あるいは、大多数が「無宗教」と自覚する日本人に何らかの信仰心を取り戻すことが込められているのではないか。

(実際には信仰心がないのではなく、信仰心に対する歪みがある。「信仰」に対する拒否反応とも言える心の動きには根拠がなく不自然なものであり、世界において類を見ないであろう。)

 

共通のものを信じる集団はまとまりやすく、またそこに強さが生まれる。

戦後70年余。この間に外国から奪われた日本人らしさを取り戻し、強く団結するという意志があるように思う。

 

対世界において、天皇が象徴とされる現在、表立って日本の団結を強調することは困難であろう。

そこに海外において理解され難い漢字、そのエネルギーが暗に用いられていたとしても不思議はない。

 

あるいは「平成」、一度地ならしをした上での「令和」。激動の戦後の昭和時代、外国からの支配を知る者の、平成時代から暗にプランされた流れであったのかもしれない。

 

 

 

以上は他の投稿同様、何の根拠もない私個人の見解。清田君が投稿した「漢字源」以外に何の情報も参考にしていないので信憑性は低い。

 

 


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この世に天才はわずかしかいない。

それ以外の人々は社会において誰しも大差がない。
 
 
 
社会において、そこに差をつけるのは
「学力」ではなく「人間性」
 
 
 
他から可愛がられる、「愛すべき人」であること。
他を愛おしく感じる人であること。
 
 
 
トラブルに際し、他より少し学力、能力が優れているより、可愛がられる人間であることで解決が容易になる。
 
己自身の能力はたかが知れている。
そこに手を差し伸べる他者が多くいることで対処の選択肢が増える、あるいは手助けにより円滑に解決に至る。
 
トラブルはなくとも、あらゆる局面において、協力者が多くいることでアイディアに広がりと奥行きができる。
 
人以外の万物、森羅万象とのより良い関係により自然、直感が味方となる。
 
 
 
万人、万物から好かれる必要などない。
波長の合うものとより良いハーモニーを。
大切な人、ものを常に大切に。
 
波長の合わない人から嫌われないよう、己の気持ちを偽り取り繕うのではなく、自分らしく素直であること。
同調せず、否定、攻撃もせず、違いを認め、相手を尊重し、その存在を認めつつ、あえて関わりを持たないこと。
 
 
 
他から好かれるよう努力するのではなく、己自身の心の充足、幸せを。
 
心が満たされた状態であれば他者をも心地良い状態に導ける。
また、意にそぐわない状況を受け流し、相手を寛大に受け入れる余裕ができる。
 
他とのコンフリクトは心の余裕のなさに起因する。
 
 
 
家庭、リレーションシップにおいても同じこと。
「愛すべき人」であることで家族、パートナーからの協力が得られる。
 
パートナーが協力的でない場合、相手の努力が期待値に至らない場合、攻撃をせず、ただその価値観の違いを認める。
 
相手に悪意があったとして、その悪意は相手のもの。
アクションにはリアクション。悪意を持った本人は後味悪く感じるもの。
いずれ本人が自身の心に言い訳をすることになるだろう。
 
パートナーに代わる人、物に頼れるのなら代替案を用いれば良い。
常に協力的でないパートナーならば、お互いのバランスが崩れ、関係は終わるだろう。
終わった時には傷つくけれど、それはより良い出会いへの準備段階。
 
いずれは大切な相手を大切にするあなたを同じように大切に扱う新たなパートナーが現れる。
 
 
 
日本への一時帰国中、姪が地域でも有名な進学校に合格した。
その妹達も同じように志すとのこと。
 
私の大切な愛しい姪達を誇らしく思うと同時に、彼女達の未来が愛に満ちた輝かしいものとなることを祈りつつ、
彼女達と、カオスに生まれた若い世代の子供達にこの言葉を贈りたい…。
 
社会において、差をつけるのは
「学力」ではなく「人間性」
「愛すべき人」であること。
他から好かれるよう心を偽り努力するのではなく、まずは己自身を幸せに…。
 

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ワークライフバランスとは

「生活の充実」

その根本は「就労の充実」ではない。

 

ワークという言葉に惑わされ、その根本を就労と捉えると目的がボヤける。

 

ワークライフバランスとは

充実した生き方をすること。

幸せな生き方をすること。

 

それを就労に当てはめるなら

心の満足のために働くこと。

 

 

 

「金のために働かないこと」

 

 

 

就労時間が問題なのではない。

職場環境が問題なのではない。

 

金のために働くこと、

即ち目の前の金銭問題に翻弄され、働かされていると感じることが問題の根本。

 

金のために働き成功する者は、金が好きで金を動かすことそのものに快感を感じる者。

金を動かし、増やすことに心の満足を感じている。

https://ameblo.jp/mzfnks/entry-12385654358.html

 

個々が心の満足のために働いていれば、法による規制や、各企業における決め事は必要ない。

 

 

 

好きなこと、心を満たすことは効率良くこなすことが可能であり、且つ何時間でも続けられる。

自らが選んだ仕事により心を満たすことができるなら長時間労働も苦痛にはならない。

 

そして過半数が各々の仕事に満足を感じ、生活が充実すれば、家庭や職場での人間関係も自ずと良くなる。

 

 

 

ワークライフバランスにおいて、第一に考えるべきは

現状における己の心のケア。

時間や環境などの物理的な条件を見直す前に、

仕事、またプライベート上起こる現象をいかに楽に、楽しく捉えるかを追及する。

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