超人世理論_読むと幸せになるブログ

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ちょっと気分が楽になる。
ちょっとずつの楽が幸せに…。

少し前になるが、マリエ氏の「枕営業」告発についてスルーされるその背景などについて取り上げる記事があった。

 

記事の内容通り、議論されることはなくかき消されるようだ…。

 

 

 

これは「芸能界の体質」という論争ではなく、

「ジェンダー問題」である。

 

 

 

このようなことは芸能界に限らずどの業界においても起きている。

そうでなければ「枕営業」という言葉は存在しないだろう。

その事実があるからこの言葉が存在するのだ。

 

 

 

今、ジェンダー問題に日本全体で取り組む動きが起きなければ、かつて世界経済大国第2位を誇った日本は近い将来に衰退を迎えることになるだろう。

 

このことが日本の未来が左右される重要な課題であるにも関わらず、それがスルーされ、何の対応もなされないことの違和感について考察してみた。

 

 

 

このところClubhouseにおいてジェンダー問題について議論されることが頻発した。

 

なぜか…?

 

それが世界に類のない、超高齢化に直面している日本における深刻な課題のひとつであると大多数が認識しているからだろう。

 

移民問題、ジェンダー問題(女性の能力正当評価)は、日本における超高齢化対策への最重要課題だ。

 

では、理解しながら対応がなされないことの本質にある問題とは何なのであろう?

 

 

 

それは「未知なるものへの恐怖」

 

 

 

テクノロジーの進化を拒否する高齢者の意識と何ら変わりない。

 

 

 

● 新しいものへのチャレンジが面倒くさい。

 

● 今のままでも何とかなる。

 

● 「できないに違いない」と、トライする前に決めつける。

 

 

 

猛スピードで流れ、変化する世の中で、ガラ携の生産中止に伴いスマホの使用を余儀なくされれば、これまで頑なに拒んだスマホを使用せざるを得なくなる。

 

近年、日本においても女性の職場環境に多少の改善が見られるが、それは世界の変化に伴い余儀なくされた微々たる変化に過ぎない。

 

前述の例に置き換えるなら、孫とのビデオ通話のために「しぶしぶ」入手した「簡単スマホ」のようなものだ。

 

 

 

実は日本を高齢者に例えることには私なりの考えがある。

世界の各国家に年齢を当てはめるとしたら、人口減少が進む日本は、他国と比較し高齢に分類されると見ている。

 

「人口ボーナス」と呼ばれる人口増加が戦後の日本に起こり、2008年以降は少子高齢化により人口減少、「人口オーナス」へと転じている。

 

一方、インドやアフリカでは今も人口増加が進んでいるが、特にアフリカにおいては今後爆発的な人口増加が予想されている。

 

これらを生物の成長と細胞の増加に置き換えると、人口増加にある人種は成長期、日本などの人口減少にある人種は壮年期〜老年期のように捉えられる。

そして、これらは民度、人種としての成熟の度合いにも反映しているように思える。

 

 

 

海外に居住する大多数の日本人が持つ「日本の未来への危機感」とは「年老いて取り残された日本」なのであろう。

 

物価が20年前とさほど変わらない日本を、国内の日本人は「安定」と捉え、海外在住の日本人は物価上昇の海外との格差により「衰退」と捉える。海外において生活の中に日本の勢いが衰える様を実感している。

 

実際のところ、GDPは2010年に中国に抜かれて以来、日本は世界第3位に留まり、現在中国との差は著しい。

 

 

 

 

年齢が若返ることがないことと同様、人口ボーナスは一度しか起こらず、残念ながら日本の人口が再び増加することはない。

 

日本という国家が高齢であるとするなら、いかなる老年期を迎えたいのか…。

 

努力をせずとも問題はないのかもしれない。

ゆるやかに衰え、世界から取り残されても、日本国内ではそれなりに快適な生活ができるのかもしれない。

 

国内の日本人と海外在住の日本人との関係は、

「今のままでも不自由はない」と拒否する年老いた父と

「スマホぐらい使わないと何もできない」とあおる息子のようなものではないか。

 

 

 

日本は世界の流れに取り残され、頑固で厄介な老人として落ちぶれるのか…

 

あるいは、「老賢人」なる助言者として世界に貢献、一目置かれる存在となるのか。

 

 

 

スマホやあらゆるテクノロジーは使ってみればなんということはない。

使い慣れればかえって便利で、使い勝手が良いことに気づく。

ガラ携にはなかった多くのファンクションによりこれまでの面倒な手間が省けるようになる。

 

 

 

ジェンダー問題や移民問題も同様だ。

女性の活躍はむしろ男性に得であり、生活のプレッシャーが軽減する。

男性に、よりメリットがある事、やってみればなんということはない、便利なツールなのだ。

 

世界において落ちぶれたくなければ、積極的に取り組む以外に方法はない。

 

 


では、ジェンダー問題の解決法とは?

 

それは「男性の意識改革」無くして達成されることはない。

 

「できない」「バカな可愛さ」のフリをして誤魔化す女性、泣いて責任逃れをする女性も存在する。

男性の意識もさることながら、女性においても、現状に甘んじる傾向は否めない。

 

しかしながら、男性主導の日本においては男性の変化無くして、社会の変化はあり得ない。

男性の変化に伴い、女性にも「自立」意識が育まれることだろう。

 

男性の意識改革において重要なのは

「感情をもって理解すること」

 

能力のある女性の、正当に評価されないことへの憤り。

性的な嫌がらせを受けることに感じる侮辱と心地悪さ。

 

想像してみると良い。

 

白人社会において的確な提言をした際に、アジア人であるが故に見下され、無視されることの悔しさと憤りを。

ゲイの大男に囲まれ、人知れず体を触られることを。(あなたがヘテロなら)

 

これらの感覚を男性が真に感じ取り、女性の立場を理解することができたなら、自ずと女性への扱いが変わることだろう。

 

 

 

あらゆる問題に対し柔軟に、勇気を持って挑んで欲しい。
いつまでも現役である必要はない。

「老賢人」としていかに成熟するべきかを考えれば良い。

 

一目置かれる存在となれ。

老賢人として世界に貢献できる国であれ。

これまでも他人との違い、生きづらさにより取り残されたような孤独感に陥る者たちは多く存在した。

 

パンデミックによる規制により、程度の差はあれ、誰しも不便さや不都合、困難に直面している。

しかしながら、あらゆる局面で二極化し、そこには格差が生まれている。



 「心の格差」が広がる現在、「孤独感」が激化しているのかもしれない。

 

 


なぜ我々は「困難」に直面するのか?

 

 

 

それは今が人として成長する時だから。

 

 

 

人は窮地に陥いると、日常では決してすることのない努力をする。


苦しみから逃れるためにもがき、様々な行動を起こす。

 

物理的になす術がなければ、心が楽になる考え方を追い求める。

 

平穏無事である時には決して感じることのない、人への感謝を体感する。


「普通」のいかに特別たるかを実感する。


 

 

 

つまり「困難」の際に体験するのはただならぬ「辛さ」だけではない。


「困難」は物理的、精神的な「自己の鍛錬の時」でもある。




この「自己の鍛錬の時」は全ての人に訪れる。

なぜならそれこそが我々の人生の目的でもあるから。




孤独に陥る必要はない。


今はあなたに順番が回ってきただけのこと。


周囲と比較をする必要はない。


 

 

辛ければ辛いほど学びは大きく、乗り切った後の成長は増大する。




「困難」の時期は必ず終わる。


1年は区切りの時、3年が収束の時。




苦しかった分、飛躍的な成長を遂げる未来の自分自身に大いに期待し、時が過ぎるのを待つ。




「今、困難に直面している方へ… 希望を実感した日」

今、困難に直面している方へ… 希望を実感した日|Mizue Funakoshi|noteシドニーに強風が吹き荒れる。 またこの時期がやって来た。 2003年のあの日から、毎年この時期にシドニーに強風が吹く事を知っている。   「私は乗り越えられる」 そう確信したあの日。   街の風景を変えてしまうほどの強風は、大木をもなぎ倒し、あたり一面に枝やゴミ、ビニール袋やシート、あらゆるものを散乱させる。 全てのものが抵抗を失い強風…リンクnote.com


久しぶりに泣いた。

過去に最も辛い時期を経験して以来、自分の事で泣くことはほとんどない。



先週、激しく転び腕を骨折。
腰痛もひどい。

大抵の場合、何か問題があっても友人からのオファーはできるだけ断り自分でなんとかしようとする。
しかしながら今回ばかりは誰かの助けなしにはどうにもならなかった。



今日は近所に住む、ex neighbor である友人が、ディナーにとラザニアを作り、届けてくれた。

まろやかな甘みとトマトの酸味によく煮込まれたひき肉。
コクのあるクリームソース。

絶妙なバランスのその温かなひと口が胃の中に溶け込んだ瞬間、私の中でこの1週間続いた緊張が一気に解けた。



涙がこみ上げてきた。

泣きながら、美味しくて優しいラザニアを子供のように頬張った。



1人で食べることが悲しいのではない。

人の心があまりにも暖かく優しいのだ。

 

ひと口ひと口、その優しさを噛み締め味わい、飲み込む。
 

 


病院に連れて行ってくれた友人。
買い物に連れて行ってくれた友人。
食事を届け、共に食してくれた友人。
泊まり、サポートをしてくれた友人。
無理に鍼治療の予約を割り込ませてくれた友人。
食事に連れ出してくれた友人。

 

 


そこにずっとあったのは笑顔と笑い声。
共に語り、共に笑う。



人を癒すのは人。



自然からは得ることのない癒し。
そこにあるのは大いなるエネルギー。



人の心に、心満たされる。



「偉大なる幸せ」はいつも自分が最も惨めな時に訪れる。

 



富や名声、財産に恵まれた時にこの幸せを感じる事はないだろう。



Amazing grace

大いなる恵み

こんなにも惨めな自分が救われた時に感じるもの。

それは「偉大なる幸せ」



様々なオファーをお申し出くださった皆様、本当にありがとうございました。
暖かい思いやりに感謝すると同時に、皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。

パンデミックにより世界中で様々な規制が始まって以来1年が経過した。


旅行業界、エンターテインメント、飲食、輸出入といった直接生活への影響があった業界のみならず、一般生活の不自由さと不便さ、パンデミックの恐怖により、世界の全ての人類が困難に直面した。




その困難の時期は過ぎたのか?

我々はそれを乗り越えたのか?




大多数は死に直面するわけでもなく恐怖が和らぎ、規制による不都合も習慣化し慣れたのだろう。




「困難」は個々の心の認識だ。




恒常性という機能により「変化」に脳が過剰に反応する。

その結果起こるのが「不安」な感情であり、「困難」という認識だ。




1年が経過した今、程度や形態は変わったものの、世界各国でそれぞれに規制があることに変わりはない。


世界は状況に慣れた我々の「心」程には変化していない。




パンデミックが始まって以来、二極化による格差が問題とされてきたが、それは経済や生活面にとどまらない。


「心のあり様」にも格差が生まれている。


そしてこの「心の格差」が「孤独感」を生んでいる。




実は「心の格差」こそが最重要課題なのだ。




経済的に恵まれ裕福でも、何らかの問題により「困難」に直面し、心を病んでいる人もいるだろう。


経済的に恵まれなくとも、家族や友人との距離が縮まり心が安定した人もいるだろう。




「心の格差」は必ずしも生活レベルに準じたものではない。


経済格差という分かりやすい事象がある現在、裕福である場合の方が他人に理解されにくいのであろう。


その心の状態や孤独感は経験した者にしか理解できるものではない。




あなたが今「困難」を感じていないのなら、自分には理解できない感情があるのだということを知ってほしい。


想像や知識、学問だけではとうてい理解などできはしない辛さが世の中にはある。


それを理解しようとする必要はない。

必要があれば経験をもって知る時が来るだろう。


本当に辛い気持ちを体験する時、それが理解し難い感情であると当人は知っている。

他に理解を求めるのは難しいのだと理解している。




ただ、自分には理解できない辛さを体験している人がいるのだと知っていれば良い。


目に見える状況だけでジャッジできはしないと理解すること。


自分には到底理解できない辛さを味わっているのだろうと思うことが、相手にとって「受け入れられた」という感覚になる。


「受け入れられる」ことが最大の癒しとなる。




立ち位置が違えば見える物が違う。

相手から見えるものを、自分の立ち位置から見えないからと否定することなどできはしない。


『理解_1』見えないものを見ようとするのではなく、そこにあると認める。自分の立ち位置が相手の立ち位置と完全に一致することはない。相手から見える風景と自分から見える風景は違…リンクameblo.jp



情報の波に呑まれてはいまいか?


変異するウィルス

New type、mRNAワクチン

世界の二極化

経済不安

New normal

変化する世界情勢

天災への危惧




この1年、どれほど目まぐるしく世界は変化し、多くの新しい言葉を耳にしたことだろう。


今、我々は未だかつてない世界の大変化の真っ只中にある。

新たな世界への選択を余儀無くされる今、飛び交う情報の波に呑まれ、心が乱れることも多い。




いかに対応するべきか?




新たな情報だけで判断してはならない。




情報は海のようなもの。


次から次へと止むことなく迫る荒波に立ち向かえば呑まれ巻かれるばかり。


新たな情報に呑まれることなく乗りこなすには、迫る波をやり過ごし、波が崩れるピークの先、沖へと向かう。




そこにあるのは過去の蓄積。




過去の歴史

自然の摂理

宇宙の法則

生命の成り立ち




新たな情報とは、所詮これらの真理から吐き出された表面的な波に過ぎない。


新たな情報に敏感に反応し貪ることは、情報の波に呑まれ、巻かれることに等しい。




地球がいかに形成されたのか。

生命がいかに進化してきたのか。

この世界がいかに発展してきたのか。

生命力がいかに神秘的で底知れぬ強さを持っているのか。



そこに見るは宇宙の法則、自然の摂理。




目先の経済不安に脅かされる者もあろう。

機に乗じて金儲けをする者もあろう。


上がれば下がり、下がれば上がる。

増えれば減り、減れば増える。


増えているように見えて、実はそれが変化・循環であることを知る。


循環が止まれば淀み、腐敗へと変化する。




全ては自然の摂理の元に成り立つ。


この宇宙の外に存在しない限り、この宇宙の法則を脱し、成り立つことはない。




新型ワクチンへの不安もあろう。


受けるべきか、受けざるべきか。


選択はあるようで実はないのだろう。


流れに乗れば加速する。

流れに逆らえば停滞する。


遅かれ早かれ、世界が求める流れに乗ることになるのだろう。




ワクチンの是非は分からない。


人類が破滅へ向かったとして、それもまた人類全体の流れであり選択であるのだろう。

そしてそれは地球にとって、宇宙にとっての進化であるのだろう。



それがいかなる選択であっても、生命の神秘が底知れぬ強さを持つという真理に揺らぎはない。

虐げられてもしぶとく生きるのが生命なのだ。


● 生命力の神秘について言及→ 5‘13“〜


14 days ホテル隔離 最終回!! Hotel Quarantine Last Day!!オーストラリアでの14日間のホテル隔離の様子をお伝えします。とうとう最終回です!ホテルをチェックアウト、自宅へ帰りました〜!リンクyoutu.be



自身の生命力を信じれば生き残る。


真理を知ることは、我々のしぶとい生命力を知ること。




いかなる状況であれ、この世界が宇宙の法則の元に成り立っていることを知る。

しっかりと心を安定させる。

今、それが最も大切なこと。

先週末は寝込むことにした。

 
少し疲れていたというのも理由の一つだが、そうでなかったとしても一日中しっかり眠ろうと決めていた。
 
 
 
かれこれ2年近く風邪をひいていない。
この分だとあと半年、あるいは一年は風邪をひくことはないだろう。
 
それは私にとって、強制的な「無意識との対話」の機会を失うこと。
 
アップグレードのタイミングを失うこと。
 
 
 
 
Medetationをすれば良い、と思うかもしれないが、違うもののように感じている。
 
私にとって「無意識との対話」は大まかに4種類ある。
 
1 睡眠
2 自然の中に身を置き、ぼーっと浸る
3 Meditation
4 絵を描くなど、Creative workに没頭する
 
どれも無意識との対話に違いないが、アクセスする領域が違うという感覚がある。
脳科学の分野においては明確な説明があるのだろう。
 
長時間の睡眠を余儀なくされる「風邪」は、実は一年を通して数少ない一大イベントとも言える。
 
 
 
前回寝込んだ際に見せられた夢、「知恵の階段」は日を重ね、自分の中でその整合性はより確かなものになっていった。
 
 
見せられるもの、気付かされることは、向ける意識の違いにより個人差があるだろう。
しかしながら、長時間の睡眠は誰にとっても貴重なものに違いない。
 
 
 
進むデジタル化、テクノロジーの進化、Stay homeによるオンライン中毒。
コロナ禍において、過去に危惧されたAIによる支配が加速しているようにも感じる。
 
 
 
本当に重要な情報はオンライン上には存在しない。
オンラインで得られる情報は全て人を介した情報に過ぎぬのだ。
 
全ての情報は現実世界の空間に存在する。
目に見えぬ空間を漂う様々な粒子には宇宙創生時の微粒子が含まれるかもしれない。
降り注ぐ温かな日差しには遥か彼方からの光子が含まれているかもしれない。
 
138億年の歴史を刻みながらこの空間へ到達した粒子が私達の呼吸と共に体内に取り込まれる。
皮膚の表層を刺激する。
 
 
 
感覚を研ぎ澄ませ、「空」に漂う地球創生の歴史を感じることこそが情報のインプット。
 
 
 
世界が揺れるコロナ禍、流れに呑まれぬためにも直感力を高めることが好ましい。
「心の安定」のためにも、スマホを手放し、しばしの時間のオフライン、長時間睡眠にて「無意識との対話」をおすすめしたい。
 
 

手、脚、頭、胴体と体内の各臓器

 

フィジカルな体の怪我や不具合は頭で考えても治らない。

 

 

 

心の不具合も同じこと。

 

心の傷も考えても治るものではない。

 

 

 

心に傷を負った際、人は一気に解決する「答え」を探し求める。

 

そして思考のトラップにはまる。

 

精神的な問題が「思考」で解決すると思いがちだが、癒しのプロセスはフィジカル・ボディと同様に時間を要するもの。

 

 

 

つまり、心の傷を癒す「解決策」はない。

 

それを癒すのは「時間」のみ。




楽になる「考え方」は絆創膏や包帯、添木やギプスなどに値する。

 

傷を覆い、更なる痛みから心を守るもの。

癒しのプロセスをスムーズにし、

完治した際、心に歪みが出ないよう補修するもの。

 

 

 

指を切ったらどうなるだろう。

まずは止血する。

血が止まっても痛みはなくならない。

やがてカサブタができ、乾燥し、はがれ、ようやく完治し、痛みがなくなる。

 

 

 

このプロセスに近道はない。

 

無理にカサブタを剥がせばまた血が流れる。

 

 

 

大きな怪我であれば、その分完治に長い時間を要する。

あるいは後遺症として残る場合もあるだろう。




「心の怪我」も同様。

流れる血が止まっても痛みはなくならない。

カサブタを無理にはがせばまた血が流れる。

 

 

 

「痛み」は癒しの最初のプロセス。

 

痛みを起こし、そこに傷を認識し、必要な癒しのプロセスを起こす。

 

 

 

薬をつけても、絆創膏を貼ってもできた傷が消えないように、心の傷も「教え」によってすぐに消え去るものではない。


それは、時間をかけて毎日少しずつ癒えてゆく。

 



瞬時に治れば、それは「奇跡」に値する。

フィジカルな傷が瞬時に消えることが「奇跡」であるように…。


「奇跡」は起こり得るが、そこには「奇跡」を起こすなんらかの理由がある。


『奇跡の必然性』先日、行きつけのカフェで知り合いに出会った。Hi how are you? Haven’t seen you for a while.Where were y…リンクameblo.jp

 

 


焦らなくとも良い。

 

心の傷も、何もせずとも自然に毎日癒えてゆく。

 

 

 

幼少期に大きな心の傷を負い、歪んだ形で癒える場合がある。

その歪みが「アダルトチルドレン」なる性質などの原因となる。

 

心の歪みは修正が可能だ。

 

まずはそこに「歪んだ形で癒えた心」があることを知る。

 



なんらかの障害物があり、それを避けて曲がったまま育った幹。


倒れかけても上へ上へと伸びるのが自然の本能。




そんな歪んだ心が胸の中心にあると想像する。

 



心は形を変える粘土細工。

優しく丁寧に温めながら、そっと、ゆっくり丸く丸く、こねてゆく…。


自分の好きなように、自由自在に作り直せば良い。




様々な癖を持った難しい人とうまく付き合う方法、それは常に己の心を温め柔らかく、フレキシブルに保つこと…


「自分の心を常に丁寧に満たすこと」




手、脚、頭、胴体と体内の各臓器、そして心。


身体に魂がなければ「生」とはなり得ない。

「心」もフィジカル・ボディと同様に捉える。

 

こじれた人間関係

そんなことが周囲に起きてはいないだろうか。

それはなぜか?



大殺界と言われる時期、つまり運気や調子が悪い時には必ず起こる。



人類全体が大殺界。
調子を崩しているのだから、人間関係のトラブルを抱える者も当然増えるであろう。



自分自身、あるいは周囲の者の心の健康が損なわれれば揉め事になる言動に至るのは自然なこと。



誰が悪い訳でもない。

単にそういう時期なのだ。

パンデミックのせいにしてしまえば、諦めるしかないようにも思えるが、実は対処法がないわけではない。



1 自分自身の心の安定を保つこと。

心が乱れた相手からの攻撃に翻弄されぬよう、日頃の心のメインテナンスが重要である。

少しばかりの隙間時間に空を見上げ、美しさに見惚れる。
好きな音楽を聴き、心地よさに浸る。
あるいは携帯などで好きな風景やアイドルなどの写真を見てうっとりと浸る。
想像だけでも良い。
心が安らぐことを想像し、浸る。

ポイントは「できる限り頻繁に心地よさを心に感じ、自分を満たすこと」



2 こだわらぬこと

揉め事に至った際、互いの主張に食い違いが生じる。
自身の主張を取り下げれば敗北感を感じるだろう。
しかしながら、物事の是非は「正誤」ではない。
単なる「相違」だ。
引き下がっても負けたわけでもなく、間違いを認めたことにもならない。

食い下がり、長引かせ、疲労困憊するより、早々に関わりを断つことの方が有益だ。

不思議の国、
こちらから見ればあちらが不思議
あちらから見ればこちらが不思議

どちらが正しいわけではなく、互いが違うだけなのだ。



3 出費が少ない方を選択する。

トラブルに金銭が絡む場合もあるだろう。
弁護士費用を支払っても、回収できる額が上回るのか。

自身の正義という理由であればいくら金銭に余裕があっても戦わぬこと。

そこで意固地になった分、心乱れ、ストレスを抱え、魂をすり減らすことになる。

己の落ち度なくして失ったものは、いずれどこかで補われる。それは創造力を伴い未来へと繋がるもの。
他人を傷つけ奪ったものはいずれどこかで大きな損失となる。

過去に強引に得た収入がなければ、損失は必ず補われる。

自身の生活が地に落ちるほどの影響がないのであれば多少の損は、「未来への投資」として受け流すのが得策だ。

「損をして徳を得る」



4 相手への同情を持つ

怒りを手放す唯一の方法は許すこと。

しかしながら「許し」に至るのは難しい。
無理に許そうと思えば己の心に負荷が生じる。

「許そうとせず」、自身が相手の立場に立たされたことをより明確に想像し、「同情する」。

現状のみならず、相手の育った環境、それゆえの性格も想像する。

「可哀想」「気の毒」
そう思えた時に、心は自然と許しへと変わっていく。

無理に「許そう」とし、自身の怒りを封じ込めてはならない。
自身への内なる毒となる。

怒りが収まらぬのなら、悪口が自身へ降りかかるのを承知で友人や家族に愚痴を聞いて貰えば良い。

「良い人のふり」をして怒りをごまかしても、
悪口をぶちまけても、
いずれにせよ自身への毒となる。




ーまとめ

心乱れれば、心乱れた人と引き合う。

人間関係のトラブルが長引けば、
心が病み、心病んだ人々と引き合う。

文句を言い続ければ、文句言いと引き合う。

共に愚痴をこぼせば、愚痴仲間が増えるばかり。



いさかいがあった際には己の心に目を向ける。

心が不安定であることに気づくだろう。

他人を攻める前に、前述の方法を試みることをお勧めする。